【映画の西部劇は本当だったのか?】西部開拓時代の一日
はじめに

西部開拓時代というと、だいたい皆こういう想像をします。
夕日に向かって馬を走らせる男。
酒場の決闘。
なぜか転がっている草。
ところが実際の西部は、かなり地味です。
まず朝起きた瞬間に、「今日も水がない」から始まります。
水を汲みに行き、火を起こし、牛や馬の世話をし、そのあとようやく朝食です。
しかもその時点で、もうかなり疲れています。

映画ではカウボーイが自由に荒野を旅していますが、
現実には
「柵が壊れた」
「牛が逃げた」
「薪が足りない」
の繰り返しでした。
つまり西部開拓とは、自由な旅の時代というより、
永遠に続く“生活トラブル対応”の時代
だったのです。
しかも現代みたいに、足りない物がすぐ届く時代でもありません。
注文自体はできても、届くまで時間がかかる。
だから壊れた道具はまず修理するし、使える物は徹底的に使い続ける。
自由の象徴みたいに語られる時代ですが、実態はかなり「暮らしを維持する力」が求められる世界でした。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
朝は「水」と「火」から始まる

開拓民の朝は早いです。
というより、「寝坊すると生活が出来ない」ので早く起きるしかありません。
まず水を汲みに行き、火を起こし、家畜の世話をする。
現代ならスイッチ一つ、数秒で終わる作業ですが、当時は朝だけでかなりの体力を使います。
しかも草原地帯では木材まで不足していました。
そこで人々はどうしたか。
土で家を作りました。
発想がだいぶ追い込まれています。
「ソッドハウス」と呼ばれる芝土の家で、草の根が絡んだ土を切り出し、積み上げて壁にする。
屋根まで草なので、写真によっては牛が屋根の上に立っています。
もう「家に住んでいる」のか、「地面の一部として暮らしている」のか分からなくなってきます。

西部劇だと、人は自由を求めて西へ向かいます。
しかし現実には、西へ行った結果、
「木がないので土を積んで住む」
という結論に到達していました。
しかも本人たちは割と真剣です。
ロマンあふれる開拓時代というより、「昨日まで自然だったものを、今日から家と呼ぶ努力」の時代でした。
昼の仕事は終わらない

昼になると、開拓民はさらに働きます。
畑を耕し、柵を直し、薪を集め、洗濯をし、保存食を作る。
つまり「生活」がそのままフルタイム労働となっています。
しかも西部開拓というと、つい“荒野を駆ける男たち”を想像しますが、実際には女性もかなり働いていました。
裁縫、育児、料理に加えて、家畜の世話や畑仕事までこなす。
もう「家庭を守る」というより、ほぼ小規模集落の運営です。

19世紀のキルトには、農具やバター作りの道具を模した模様まで残っています。
普通、布に入れたい柄というのは花とか星です。
しかし当時は、
「この撹乳器、いつ見ても美しいわね」
という方向に感性が進んでいました。
それだけ生活と労働が密着していた、ということでもあります。
西部開拓は、一部の英雄が切り開いた世界というより、全員がずっと何かに追われている世界でした。
カウボーイは英雄というより労働者だった

映画のカウボーイは、だいたい無口です。
無口で、強くて、夕日を背にしています。
たまに酒場で殴り合います。
しかし現実のカウボーイは、かなり普通に「仕事の人」でした。
何百頭もの牛を何日も移動させ、雨に打たれ、砂嵐に耐え、夜中も見張りを続ける。
つまりやっていることは、
「自然を相手にした終わらない労働」
です。
しかも給料はそこまで高くありません。

たぶん現代なら求人広告に
「アットホームな牛追いです」と書かれて警戒されるタイプの職場です。
さらに映画では白人ばかり出てきますが、実際にはメキシコ系や黒人のカウボーイも数多く働いていました。
そもそも西部の牧畜文化自体、スペイン系牧童文化の影響を強く受けています。
つまり後世の映画は、“現実の西部”というより、
「だいぶ脚色された西部」
を我々に見せていたわけです。
夜の西部にあったのは、“ロマン”より修理だった

西部劇の夜は、だいたい格好いいです。
焚き火。
ウイスキー。
静かなハーモニカ。
しかし現実の開拓民は、その横でたぶんクワを直しています。
なぜなら昼間に壊れたからです。
しかも西部では、道具が壊れる=「不便」では済みません。
クワが壊れれば畑が止まる。(耕せない)
車輪が割れれば移動が止まる。(動かせない)
つまり生活そのものが止まります。
現代みたいに「また買えばいい」が成立しないので、
“今ある物をどう延命するか”
が、かなり重要でした。

ロマンあふれる西部開拓時代ですが、実際には「星空の下で木の柄を削っている人たち」の世界です。
しかも本人たちは真剣です。
焚き火を囲みながら夢を語るというより、
「このヒビ、まだいけるか?」
を真顔で検討している。
西部開拓とは、冒険の時代というより、“壊れた物と付き合い続ける時代”だったのかもしれません。
最後に

西部開拓時代には、たしかにロマンがあります。
夕日。
馬。
荒野。
なぜか全員、少し斜めを向いています。
映画だと、そのまま自由の象徴みたいな顔をしていますが、実際の開拓民が気にしていたのは、もっと現実的なことでした。
薪はあと何日分あるのか。
水は足りるのか。
壊れた車輪は明日まで持つのか。
つまり西部開拓とは、「夢を追う時代」というより、
「生活を壊さないよう必死に維持する時代」
だったわけです。

当時の写真を見ると、それがよく分かります。
泥だらけのブーツ。
傾いた家。
そして「できれば今日はもう働きたくない」が完全に顔へ出ている人たち。
そこには英雄というより、“ずっと生活に追われている普通の大人”が写っています。
西部劇では冒険の時代に見えますが、実際にはかなり「暮らし」の話だったのです。


