西部開拓時代の暮らし
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【カウボーイブーツの真実】西部開拓時代の靴はファッションではなく事故対策だった

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

カウボーイブーツを見ると、人はなぜか「自由」を感じます。

乾いた荒野。
馬。
夕焼け。
そして、あの尖ったブーツ。

だいたい映画のせいです。

しかし本物の西部開拓時代では、ブーツは“ロマン”というより「安全靴」に近い存在でした。

まず、馬が危ない。

現代人は「乗馬体験」と聞くと優雅な趣味を想像しますが、当時の馬は生活そのものです。
しかも毎日乗る。
荒れた地面を長距離移動する。

つまり転べば普通に大事故です。

だから彼らの靴は、おしゃれ以前に“事故対策”でした。

ヒールは鐙(あぶみ)で足が滑らないため。
長い革は脚を守るため。
紐がないのは、落馬したとき引っかからないようにするため。

つまりカウボーイブーツとは、「渋い男のファッション」ではなく、“荒野で死ににくくするための革の装備”だったのです。

現代人はブーツを履くとテンションが上がりますが、西部の人々はまず、「今日はちゃんと帰れるか」を考えていました。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

西部の靴は、“統一感”という概念があまりない

映画の西部劇を見ると、みんな同じブーツを履いています。

尖ったつま先。
高いヒール。
完璧に「西部です」という顔をしている。

しかし本物の西部は、そんなに整理された世界ではありませんでした。

軍の乗馬ブーツを履いている人もいれば、ヨーロッパ式の靴を履いている人もいる。
メキシコ系牧童文化の影響も混ざるし、町で買った既製靴もある。

つまり西部の足元は、“伝統文化”というより「履けるもの全部集合」です。

現代で言えば、登山靴と作業靴とミリタリーブーツを全部同じ画面に並べて、「これが現代人の靴です」と言っているようなものです。

統一感はない。
しかし全員、「壊れたら困る」という一点だけは一致している。

だから西部の靴は、映画みたいに様式美で揃っていないのです。

むしろ「生活に追われた結果、こうなった」が近い。

文化というより、“生存の寄せ鍋”でした。

カウボーイブーツ最大の役目は「落馬対策」

現代人がカウボーイブーツを見ると、だいたい「おしゃれな靴だな」と思います。

細い。
尖っている。
ヒールが高い。

つまり「西部の伊達男専用シューズ」です。

しかし本物の西部では、そんなファッション談義をしている余裕はありませんでした。

まず、馬が普通に危ない。

落馬すれば大怪我ですし、最悪の場合、「あっ」という間に人生が終了します。
西部では、「ちょっと危なかった」で済まないことが多かった。

だからブーツの形も、かなり現実的でした。

たとえば、あの高いヒール。
あれは脚を長く見せるためではありません。

鐙(あぶみ)で足が滑らないようにするためです。

しかも、奥まで入り込みすぎても危険でした。
落馬した瞬間、足が鐙に残れば、そのまま馬に引きずられる可能性があるからです。

つまり西部のヒールとは、「西部っぽいデザイン」ではなく、“死ににくくするための出っ張り”だったのです。

紐がないのも、ちゃんと理由がある

現代人は、靴に安心感を求めます。

しっかり締めたい。
足首を固定したい。
できればクッション性も欲しい。

つまり「なるべく疲れたくない」です。

しかし西部のブーツは、少し発想が違いました。

あえて紐がない。

現代人の感覚だと、

「編み上げのほうが安全では?」

と思います。

ところが馬の上では、その“安全そうな紐”が普通に危険でした。

落馬したとき、
鐙(あぶみ)や馬具に引っかかる可能性があるからです。

西部では、「脱げにくい」は、場合によっては「逃げにくい」でもありました。

だから、すっと抜ける構造が好まれました。

つまり西部のブーツは、「履き心地」より“事故ったあとどうなるか”を優先していたのです。

考えてみれば当然です。

現代人は靴擦れを心配しますが、西部の人々はまず、「引きずられて死なないか」を考えていたからです。

実は昔のブーツは、そこまで尖っていなかった

映画のカウボーイブーツは、だいたい先端が尖っています。

鋭い。
細い。
たまに「それ、人に当たったら普通に痛いだろ」というレベルのものまである。

つまり西部劇のブーツは、半分くらい武器です。

しかし1880年代の実物資料を見ると、意外と落ち着いています。

つま先は比較的四角い。
ヒールは高め。
長い革の筒もある。
装飾ステッチもすでに存在している。

つまり“カウボーイブーツらしさ”自体は、ちゃんと昔からありました。

ただ、映画ほど「俺が西部だ」と主張していない。

考えてみれば当然です。

毎日履く靴が、あまりに尖りすぎていると普通に歩きづらい。

西部の人々は、決闘シーンのために生きていたわけではありません。

つまり僕たちが見慣れた「いかにも西部劇」という靴は、現実そのものというより、“ハリウッドが育てた西部の記憶”なのです。

西部のブーツは、“足に履く防災セット”だった

現代人は、ブーツを履くと少し気分が変わります。

「今日はなんか渋いな」

くらいは思う。

しかし西部開拓時代の人々にとって、ブーツは“気分を上げる革靴”ではありませんでした

もっと切実です。

下手をすると、「今日どこまで無傷で帰れるか」に関わる装備だった。

なにしろ西部の自然は、やたら下半身を狙ってきます。

泥。
サボテン。
棘だらけの藪。
蛇。
さらに馬具との擦れ。

現代なら「危険なので立入禁止」の看板が立つ環境を、当時の人は普通に移動していました。

だから、脚を革で覆った。

つまり長いブーツは、ファッションというより“脚の外装”です。

しかも細かい部分まで、かなり合理的でした。

ブーツ上部の持ち手は、長い靴を素早く履くためのもの。
装飾ステッチも、単なる飾りではなく、革を補強して型崩れを防ぐ役割があったと言われています。

つまり西部のブーツは、「西部っぽい雰囲気アイテム」ではありません。

“足回りに装備する総合防具”です。

現代人はブーツを履いて気分を上げますが、西部の人々はまず、「今日はどこをケガせずに済むか」を考えていたようです。

西部のブーツは、“一点物”ばかりではなかった

西部開拓時代というと、

「革職人が黙々とブーツを作る世界」

みたいな印象があります。

煙。
金槌。
無口なおじさん。

だいたい映画のせいです。

しかし実際には、西部にも既製品のブーツが大量に流れ込んでいました。

1897年のシアーズ・ローバック社のカタログを見ると、靴がずらりと並んでいます。

革の種類。
ソール。
値段。
耐久性。

つまり西部の人々は、「とにかく履ければいい」ではなく、ちゃんと性能や価格を見比べていた。

案外現実的です。

もちろん、西部で荷物を受け取るのは今ほど簡単ではありません。

それでも鉄道と郵便網が広がるにつれ、荒野にも少しずつ既製品が流れ込むようになった。

つまり西部のブーツは、「荒野で職人が一足ずつ作る特別な靴」だけではなかったのです。

サイズを選び、
値段を比べ、
壊れたら買い替える。

西部の足元にも、少しずつ“既製品の時代”が来ていました。

西部の女性靴は“歩きやすさ”だけではなかった

西部開拓時代の女性用ブーツを見ると、意外なくらい地味です。

足首丈。
小さなヒール。
編み上げ式。

現代の「ザ・ウエスタンブーツ」みたいな迫力は、ほとんどありません。

しかし当時の女性たちは、その靴で泥道を歩いていました。
しかもロングスカートです。

現代なら、「その服装、天気予報を見ました?」と言われそうな組み合わせですが、当時はそれが普通でした。

もちろん、実用性だけ考えるなら、もっと簡単な靴もあったはずです。

それでも女性たちは、ある程度きちんとした形の靴を履き続けた。

理由のひとつは、“ちゃんとして見えること”が生活の一部だったからです。

西部は新しく作られていく土地でした。
町並みも、人間関係も、まだ不安定です。

だからこそ、人は服装や靴で「私は社会の中で暮らしている」という感覚を保とうとした。

つまり女性の靴は、「歩くための道具」であると同時に、“荒野の生活に飲み込まれすぎないための線引き”でもあったのです。

最後に

西部開拓時代のブーツを見ると、「渋くて格好いい文化」に見えます。

しかし実際には、かなり切実です。

落馬しないため。
脚を守るため。
泥を歩くため。
長距離を移動するため。

つまり全部、「今日ちゃんと帰るため」の工夫でした。

高いヒールも、
長い革の筒も、
擦り切れた革の質感も、

本来は“生活で削れた跡”です。

現代なら、靴がボロボロになったら買い替えます。

でも西部では、その使い込まれた形そのものが、あとから「西部らしさ」になっていった。

文化というのは不思議です。
人間が必死だった痕跡を、後の時代は「格好いい」と呼ぶ。

映画の中で鳴る「コツ、コツ」というブーツの音も、もともとは荒野を生き抜くための生活音でした。

つまり僕たちは長いあいだ、“生存のための作業靴”を、「渋い男の象徴」として眺めていたのかもしれません。

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