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【イースター島はなぜ滅びた?】「モアイを作りすぎて文明崩壊」は本当なのか?

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

「こんな物ばかり作るから……」

海岸に並ぶモアイを見て、観光客がつぶやきます。

「これだけ巨大な像を作ったら、木もなくなりますよね」

隣の男もうなずきました。

「それで食料が減って、部族同士で争って滅びたんでしょう?」

長いあいだ、イースター島ではそんな話が広く知られてきました。

森を切る。
資源が減る。
争いが起きる。
文明が崩れる。

あまりにも分かりやすい話です。

ところが島に残された痕跡を調べていくと、話はそれほど単純ではありませんでした。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

森が消えたのは、本当だった

昔のラパ・ヌイ島(現在のイースター島)を研究していた学者が、土を調べます。

「ここには、かつて森があったようですね」

「では、やっぱり伐採で滅びた?」

「そこまでは言えません」

島にはかつてヤシ類を中心とした森林があり、人が暮らし始めた後に大きく減ったことは確かです。

ただし原因は伐採だけとは限りません。

人と一緒に島へ渡ったネズミが、ヤシの種を食べた影響も考えられています。

森は減った。

けれど、そこからすぐに「文明が滅びた」とは続かないのです。

「戦争の跡はどこにある?」

考古学者が発掘現場で首をかしげます。

「大規模な戦争で島が滅びたなら、もっと分かりやすい跡が残っていてもよさそうですが……」

「武器や砦は?」

「島全体が戦争になった証拠は、意外と少ないんです」

そこで研究者たちは、別の方法でも過去を調べました。

それがDNAです。

人間のDNAには、その集団がどれくらいの人数で続いてきたのかという痕跡が残ります。

もし17世紀に島民が大きく減っていたなら、残った人々のDNAには、

「一度、大勢が消えて集団が小さくなった跡」

が残るはずでした。

そこで2024年、古代ラパ・ヌイ人15人分の骨や歯から取り出したDNAを分析しました。

その結果として、

17世紀に人口が一気に崩壊した証拠は見つからなかったのです。

「森を失い、争って自滅した島」という物語は、少しずつ見直されることになりました。

石だらけの畑には、理由があった

島の畑を見た旅人が尋ねます。

「どうして畑に石を敷いているんですか?」

島の人は石を一つ持ち上げます。

「この方が作物が育つんだ」

ラパ・ヌイの人々は、石を畑に混ぜる農法を使っていました。

石は水分を保ち、風から作物を守り、土づくりにも役立ちます。

森が減り、環境が厳しくなっても、

「もう何もできない」

と暮らしを捨てたわけではありません。

使えるものが少ないなら、石まで使う。

島には、そんな工夫の跡が残っています。

本当に人口が減ったのは、その後だった

1722年。

ヨーロッパの船が島へやって来ます。

「海の向こうから人が来たぞ」

最初は、それだけでした。

しかし19世紀になると状況が変わります。

「また船だ」

今度やって来たのは、交易だけを求める人々ではありませんでした。

1860年代には奴隷狩りによって多くの島民が連れ去られ、その後は感染症も広がります。

人口はついに、100人あまりまで減った時期もありました。

島民が自分たちで滅びたという話より、ずっと重い出来事が後からやって来たのです。

最後に

「滅びた文明」という物語

長いあいだ、モアイは「滅びた文明の象徴」として語られてきました。

しかし調べてみると、そこにあったのは破滅へ向かった人々ではなく、厳しい島で工夫しながら暮らした人々の姿でした。

石の顔は何も語りません。

ただ何百年もの間、同じ場所から静かに見つめ続けています。
本当に知るべきなのは、なぜ作ったかではなく、誰がそこに生きていたのかもしれません。

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佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、無駄雑学などの小噺を発信しています。
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