西部開拓時代の鉄道労働者の仕事とは?大陸横断鉄道を支えた過酷すぎる現場
はじめに

西部劇の列車、その線路は誰が作ったのか?
西部劇の列車って格好いいですよね。
蒸気を噴いて荒野を走る姿を見ると、
「文明きたー!」
って感じがします。
でも冷静に考えると、あの線路、誰かが作ってるんです。
作業員A
「本日の仕事でーす」
作業員B
「はい」
作業員A
「山、爆破して線路通します」
作業員B
「もうちょい迂回とか考えません?」
しかも場所は、岩山、谷、雪、砂漠。
自然側も完全に、
「いや、そこ通路じゃないから」
という態度です。

つまり鉄道労働者の仕事、“線路を敷く人”というより、
「地球に対して人類の無理を押し通す仕事」
だったんですよね。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
最初の難関は「どこを通せば列車が走れるのか」

鉄道建設で最初に必要だったのは、測量です。
どこに線路を通すのか。
どこなら坂が緩いのか。
どこなら川を越えられるのか。
この判断を間違えると、列車は走れません。
現代なら地図や航空写真がありますが、当時は違います。
実際に荒野へ入り、足で歩き、目で地形を見て、ルートを決めるしかありませんでした。
しかも相手は、西部の大自然です。
- 谷
- 岩山
- 急斜面
- 雪
- 川
- 砂漠
今なら「そこに線路を通すのは無理では?」と言われそうな場所にも、鉄道を通そうとしました。
測量士A
「ルート見つかりました!」
上司
「平坦か!?」
測量士A
「谷の横です」
上司
「次」
測量士B
「こちらは岩山です!」
上司
「もっと普通の地形ないの?」
しかも最後は、
「まあ山削ればいけるか」
で進み始める。

だから鉄道建設は、すぐに土木工事になります。
地面を削る。
土を盛る。
橋を架ける。
崖を切り開く。
列車が走る前に、まず人間が地形と格闘していたのです。
西部の鉄道づくりは、
レールを敷く前に「自然をどう説得するか」から始まっていました。
シエラネバダ山脈、岩が本気で硬すぎた

とくに過酷だったのが、シエラネバダ山脈です。
ここでは、中国系労働者たちが工事の中心を担いました。
ただ、この山脈には大きな問題がありました。
岩が硬すぎる。
花崗岩です。
硬い。
とにかく硬い。
作業員A
「穴あきました!」
監督
「何センチ?」
作業員A
「気持ち程度です」
そこで労働者たちは、岩に穴を開け、火薬を詰め、爆破しながら少しずつ進むしかありませんでした。
しかも危険は爆破だけではありません。
- 崩落
- 落石
- 吹雪
- 雪崩
- 極寒
1866〜67年には猛烈な嵐が続き、トンネル入口が雪で埋まることもありました。
その結果、多くの作業員がほぼ除雪係になります。

作業員B
「今日の作業内容は?」
監督
「雪の下から昨日の作業員を探します」
作業員B
「線路工事って聞いてたんですが…」
しかも山側も容赦がありません。
もうここまで来ると鉄道工事というより、
「自然側が、毎日“その計画やめません?”って実力行使してくる現場」
なんですよね。
それでも工事は止まりませんでした。
線路敷設は“移動する巨大工場”だった

線路を敷く作業は、想像以上に大規模でした。
ただレールを置けば終わり、ではありません。
現場では、たくさんの役割が同時に動いていました。
- 枕木を運ぶ人
- レールを担ぐ人
- スパイクを打つ人
- ボルトを締める人
- 石を敷く人
- 資材を運ぶ列車
- 全体を管理する人
作業員、資材、馬、列車がひとつの流れになって、少しずつ前へ進んでいきます。
作業員
「前の班、何してるんです?」
監督
「山削ってる」
作業員
「後ろは?」
監督
「町が移動してる」
作業員
「これ鉄道工事ですよね?」
監督
「今のところは」
まるで一本の長いベルトコンベアです。
ただし、ここは工場ではありません。
壁も屋根もないのです。
風は吹く。
砂は飛ぶ。
雨も雪も来る。
それでも作業は続きます。

作業員A
「ここ工場ですよね?」
監督
「はい」
作業員A
「壁がないんですが…」
監督
「自然換気です」
だから西部の鉄道工事は、
「町ひとつ分の労働力を、そのまま線路の先端へ押し出していく作業」
のような迫力がありました。
線路の先端では、毎日、人間社会そのものが前進していたのです。
1日で10マイル。記録挑戦のスケールがおかしい

1869年4月28日。
Central Pacific鉄道は、ある記録に挑戦しました。
1日でどこまで線路を敷けるのか。
結果は、約10マイル。
日本で言うと、約16キロです。
しかも1日で。
現代でも驚く数字ですが、当時は重機もありません。
現場では約1,000人規模の作業員が列になり、すべてが同時に動いていました。
- レール
- 枕木
- 工具
- 資材列車
- 電信隊
- 作業員
全部まとめて前進します。
もう工事現場というより、巨大な軍隊です。
しかも、この工事、一か所でも流れが止まると一気に詰まります。
レールが足りない。
ボルトが見つからない。
積み下ろしが遅れる。
それだけで、後ろの作業が全部止まります。

作業員A
「ボルト1箱どこ行った!?」
後方
「止まりましたー!!」
前方
「こっち1000人待ってるんですが!?」
もう工事というより、
「人間1000人を限界まで急がせると、どこまで地面を書き換えられるか」
の実証実験なんですよね。
しかも成功してるのが怖い。
労働者の後ろには「移動する町」まであった

鉄道労働者たちの後ろには、町までついてきました。
Union Pacific側では、アイルランド系移民や南北戦争帰還兵たちが多く働いていました。
そして彼らを追いかけるように現れたのが、
「Hell on Wheels」
と呼ばれる移動式の町です。
そこには、こんなものがありました。
- 酒場
- 商店
- 賭博場
- 売春宿
- 歯医者
線路が伸びるたび、町も移動します。
「工事現場の近くに店ができる」みたいな可愛い話ではありません。
実際はもっと、
「線路を敷いてるのか、町が増殖してるのか分からない状態」
なんです。

作業員A
「次の町まで遠いなぁ」
作業員B
「安心しろ。町のほうが追っかけて来る」
そして線路が伸びると、町ごと移動する。
鉄道建設って、交通網を作っていたというより、
「人間の生活を、そのまま西へ運搬していた」
のかもしれません。
ニトログリセリンは運ぶだけで命がけ

鉄道工事で怖いのは、地形だけではありません。
爆薬も危険でした。
当時は、ニトログリセリンも使われています。
これがかなり危ない。
揺れや衝撃で爆発するレベルの危険物です。
つまり、
「現場まで運ぶ」
というだけで、すでに命がけ。
実際に、輸送中や保管中の爆発事故も起きています。
作業員A
「こちら本日の爆薬です」
作業員B
「慎重に運べよ」
作業員A
「はい」
馬車
「ガタンッ」
全員
「うわああああ!!」
結果、
「運ぶの危なすぎる」
となり、その後カリフォルニア州では液体ニトログリセリンの輸送が禁止され、現場で必要分を製造する方式へ変わりました。

普通なら、
「危険すぎるからやめよう」
となりそうなものです。
でも鉄道建設の現場では、
「危険なのは分かった。で、工事はどう進める?」
という話になる。
このあたりに、当時の技術発展への執念が見えます。
便利な未来って、かなり危険な現場の上に建っていたんですね。
最後に

西部の線路は、鉄だけでできていたわけではない
大陸横断鉄道って、言葉だけ聞くと壮大です。
でも実際の現場は、もっと切実でした。
「山です」
「爆破で」
「吹雪です」
「掘って進め」
「崖です」
「落ちるな」
作業員A
「未来の交通網を作ってるんだぞ!」
作業員B
「はい!」
作業員A
「今日の担当は!?」
作業員B
「雪崩が来た時の先頭です!」
未来の作り方が、かなり命がけです。
しかも、その線路の下では、
山を削る人。
雪を掻く人。
鉄を運ぶ人。
無数の労働者たちが、毎日少しずつ大陸をつないでいました。
名前が残らなかった人も多かったはずです。
だから大陸横断鉄道って、
「技術が発展した結果」
というより、
「人間が、“そこまでして通す必要ある?”を全部押し切った結果」
なんですよね。

便利な時代って、
最初から綺麗に完成していたわけじゃない。
誰かが危険な場所へ入り、
無茶だと言われながら、
少しずつ前へ進んだ先に、
あとから“文明”って名前が付いたのかもしれません。

