西部開拓時代の農民の生活とは?無料の土地に惹かれて行ったら、思った以上に過酷だった話

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

西部開拓時代の農民というと、

広大な土地で小麦を育て、
のんびり暮らしていたようなイメージがあります。

しかし実際の開拓農民は、
畑仕事以前にやるべきことが山ほどありました。

実際に西部へ行った農民の仕事は、

「畑を耕す」
ではありませんでした。

まず家を建てる。
井戸を掘る。
柵を作る。
水を運ぶ。
害虫と戦う。

農民
「いつになったら農業できるんですか?」

現実
「まだ家畜小屋が残ってます」

農民
「オレ何屋なんです?」

しかも干ばつ、嵐、バッタ付き。

西部の農民とは、

「農業をするために移住したのに、
最初の数年は建築業者と土木作業員と便利屋を兼任していた人たち」

だったのです。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

まず必要だったのは畑ではなく「生きる場所」

1862年のホームステッド法によって、多くの人が西部の土地を目指しました。

「よし!農場主になるぞ!」

と夢を抱いて荒野へ向かったわけです。

ところが現地に着くと問題がありました。

家がない。
井戸がない。
柵がない。
そして木材もない。

農民
「じゃあ家はどうやって作るんですか?」

西部
「地面です」

農民
「地面?」

そこで使われたのが、芝土を切り出して積み上げるソッドハウスでした。
しかも土で作ったのは家だけではありません。

納屋。
鶏小屋。
豚小屋。
学校。
教会。

農民
「この町、やたら茶色いですね」

住民
「材料がだいたい地面だからな」

つまり西部の農民は、

「家の材料を探す」

のではなく、

「家の材料の上で暮らしていた」

のです。

農場経営を始めるつもりで来たのに、最初に始まったのは農業ではなく土木工事。
西部開拓とは、畑を作る前にまず人間の生活そのものを建設するところから始まっていたのです。

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農民というより一人で町を運営する人だった

西部農民というと、
広い畑で小麦を育てながら、

「今年も豊作だなぁ」

と空を見上げているイメージがあります。

ところが実際の仕事は、思ったより農業ではありませんでした。

家を建てる。
井戸を掘る。
柵を作る。
家畜小屋を直す。
壊れた道具を修理する。
さらに飲み水まで自力で確保します。

農民
「なるほど。で、農業はいつ始まるんです?」

現実
「水を汲んでからです」

農民
「どこで?」

現実
「川です」

農民
「水道は?」

現実
「空から降るか、川まで行くかの二択です(訳:あるわけがない)」

飲み水が欲しければ、

① 樽を積む
② 馬車で移動する
③ 水を汲む
④ 持ち帰る

という工程が必要でした。

農民
「オレ、農家になりに来たんですよね?」

現実
「はい」

農民
「大工と土木作業員と修理工と運送業者にもなってますけど?」

実際の西部農民は、畑を耕す人というより、

「町役場と建設会社と水道局を一人で運営していた人」

に近かったのです。

本当に怖かったのは無法者ではなく天気

西部劇を見ていると、農民の敵は強盗や無法者に見えます。
ところが実際は違いました。

農民にとって本当に怖かったのは――

天気です。

農民
「今年は豊作かなぁ」

天気
「そうだな。じゃあ雨を降らせよう」

農民
「ありがとうございます!」

翌年。

農民
「今年もお願いします!」

天気
「やだ」

農民
「やだ?」

1880年代には雨が続いたため、多くの人が平原へ移住しました。
ところが後に乾燥した時期が訪れると、作物は育たず、借金を抱えて土地を去る人まで現れます。

農民
「ちゃんと働いたんですよ?」

天気
「知ってる」

農民
「畑も広げましたよ?」

天気
「知ってる」

農民
「じゃあ何で?」

天気
「なんとなく」

西部農民の上司は地主ではありませんでした。

「機嫌によって町ひとつの運命を変える、超気まぐれな天気」

だったのです。

努力で何とかなる相手ならまだいい。
西部農民が戦っていたのは、そもそも話し合いが通じない相手でした。

バッタは害虫どころか「飛ぶ災害」だった

西部農民を苦しめたものと聞くと、

強盗。
干ばつ。
嵐。

そんなものを想像します。
ところが1874年から1875年には、予想もしなかった厄介な敵が現れました。

バッタです。

農民
「今年は豊作だぞ!」

バッタ
「いただきます」

農民
「畑ごと!?」

空が暗くなるほどの大群が押し寄せ、トウモロコシも小麦も数時間で消えていきました。

しかも記録によると、

服をかじる。
木製品を傷つける。
列車まで止める。

農民
「お前ら何なら食わないんだ?」

バッタ
「何なら食べられないのか試してみよう」

ここまでくると害虫ではありません。

災害です。

農民
「作物が全滅しました!」

住民
「大変だ!」

農民
「服も食われました!」

住民
「え?」

農民
「列車も止まりました!」

住民
「もう害虫の範囲を超えてるだろ!」

西部農民は自然と共存していたというより、

「空から飛来する食欲の塊と戦っていた」

と言った方が正確かもしれません。

最後に

西部劇の歴史には、

ガンマン。
保安官。
賞金稼ぎ。

そんな派手な人たちの名前がたくさん残っています。
ところで、そうした人々が活躍できる町そのものを成り立たせていたのは誰だったのでしょうか?

そう農民です。

ただし仕事内容は、

畑を耕す。
以上。
……ではありません。

家を建てる。
井戸を掘る。
水を運ぶ。
干ばつに耐える。
嵐に耐える。
バッタにも耐える。

農民
「オレ、農家ですよね?」

現実
「そうです」

農民
「何か耐久テストの被験者みたいになってますけど?」

派手な伝説は残らなかったかもしれません。
しかし西部という社会を本当に育てたのは、

「自然から次々飛んでくる無理難題を処理しながら、ついでに作物も育てていた人たち」

だったのかもしれません。

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