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パタゴニアの巨人は本当にいたのか?――300年間も信じられた「巨人国」の正体

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

巨人を見た船乗りたち

1520年。

世界一周を目指していたマゼラン艦隊は、現在のパタゴニアにいました。

そこで船員たちは、海岸に立つ一人の男を見つけます。

記録係アントニオ・ピガフェッタ氏は、その姿をこう書き残しました。

「我々の中で最も背の高い者でさえ、彼の腰までしかなかった」

もし文字どおりなら、とんでもない巨人です。

男は顔を赤く塗り、目の周囲を黄色くし、毛皮をまとっていました。

マゼランは一人の船員に、男と同じように歌って踊りながら近づかせます。

さらに鏡を見せると、男は驚いて後ろへ飛び退き、数人の船員を倒したとも記録されています。

その後、マゼランたちは現地の二人を捕らえ、スペインへ連れて帰ろうとしました。

しかし二人とも航海を生き延びられませんでした。

結局ヨーロッパへ渡ったのは巨人ではなく、

「ものすごく大きな人間がいた」

という船乗りたちの話だけになったのです。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

すると今度は「巨人の骨」が出た

これだけなら、

「船乗りが大げさに話しただけでは?」

で終わったかもしれません。

ところが約100年後。

今度はが出てきます。

1615年、オランダの遠征隊が現在のアルゼンチン、プエルト・デセアド付近で、

10〜11フィートの人間の骨を見つけた

と報告しました。

約3〜3.3メートルです。

すでにマゼランの巨人伝説があります。

そこへ3メートル級の人骨まで出てきた。

当時の人なら、

「やっぱり巨人はいた!」

と思っても不思議ではありません。

ただし、その骨は現在残っていません。
本当に人骨だったのかも分かっていません。

それでも巨人伝説は広がり、ヨーロッパの地図には南米南部を、

「Regio Gigantum」――巨人の地域

と記したものまで登場します。

最初は、

「パタゴニアで巨人を見たらしい」

という船乗りの証言にすぎませんでした。

ところが、それが地図にまで書かれるようになると、

「パタゴニアには巨人が住んでいる」

という話が、まるで本当の地理情報のように扱われていきます。

こうして巨人伝説は、単なる目撃談ではなく、ヨーロッパで広く信じられる話になっていったのです。

でも、測るたびに小さくなった

その後もヨーロッパ人はパタゴニアへやって来ます。

すると、おかしなことが起こります。

巨人が少しずつ小さくなるのです。

後の航海記では、

「確かに大柄だが、マゼランが言うほど巨大ではない」

という話が出てきます。

それでも1766年には、

「パタゴニアには9フィートの巨人がいる」

という噂がロンドンで広まりました。

約2.7メートル。

まだ巨人です。

ところが航海者が増え、現地の人々を実際に測るようになると、

9フィート。
7フィート。
6フィート台。

と数字がどんどん現実的になっていきます。

マゼランが出会った人々は、後のテウェルチェ系の先住民と結びつけて考えられています。

彼らは確かに長身でした。

人類学資料では、成人男性の平均をおよそ178センチ前後とするものがあります。

かなり大きい。

でも、

3メートルではありません。

おそらく最初にいたのは、普通よりかなり背の高い人々でした。

そこへ船乗りの驚き、巨大な骨の報告、地図、噂が加わり、

いつの間にか、

「3メートルの巨人族」

になっていったのでしょう。

最後に

パタゴニアに3メートルを超える巨人族がいた確かな証拠はありません。

それでも巨人は、約300年間もヨーロッパの本や地図に登場し続けました。

最初は「ものすごく大きな男を見た」という話。

そこへ巨大な骨が加わり、最後には地図に「巨人の地域」とまで書かれます。

ところが実際に測り始めると、9フィートの巨人は7フィートになり、やがて6フィート台になりました。

パタゴニアの巨人が消えたのは、絶滅したからではありません。

船乗りたちが定規を持って戻ってきたからです。

おまけの4コマ

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佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、無駄雑学などの小噺を発信しています。
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