影響という名の鎖【ショートショート】
影響力を持つ者ほど、その影から逃れられない
ハヤシの言葉は人々にとって絶対的な指針だった。
「車を捨てて歩け」と彼がSNSで発信すると、都市はまるで魔法にかけられたように変わった。
人々は一斉に車を降りて歩き始めた。
街全体が彼の意志に支配されているようで、その統一感に薄ら寒さが漂っていた。
ハヤシ自身、なぜこれほどまでに自分の言葉が人々を動かすのか、自問せざるを得なかった。
その夜、ハヤシは車の鍵を手に取り、マンションの駐車場へ向かった。
夜の静けさに包まれた駐車場は、不気味なほど静かだった。
車に乗り込んだ彼は、ふとバックミラーに目をやった。
その瞬間、何かがミラーに映り込んだ気がした。
振り返っても誰もいない──ただ暗闇が広がるだけ。
しかし、その暗闇には明らかに何か異質なものが潜んでいるように感じられた。
彼の心臓は速く鼓動し、不安が増大する。
エンジンをかけて走り出す。
街の明かりが次々と流れていく中で、スマホが震えた。
「後ろを振り返るな」
見覚えのない番号からのメッセージに、ハヤシの手は凍りついた。
冷たい汗が背中を伝う。
「誰が…?」
彼はそのメッセージに込められた意味を理解できず、ただひたすら前を見つめた。
翌朝、SNSにはハヤシが車に乗り込む姿の写真が流出していた。
写真にははっきりと、彼の背後に不気味な影が映っていた。
「偽善者」
「信じていたのに」
というフォロワーたちのコメントが次々と投稿され、まるで見えない力が彼を破滅へと導いているかのようだった。
その影が何者なのか、なぜ自分の背後に立っていたのか、ハヤシには全く見当がつかなかった。
SNSは激しく炎上し、ハヤシは静かにアカウントを削除した。
彼が唯一感じたのは、解放感と共に押し寄せる不安だった。
その瞬間、スマホが再び震えた。
「逃げられない」
短いその一言が、彼の心に深い恐怖を刻みつけた。
彼は急いでスマホを閉じ、どこかへ消えていった。
その夜、マンションの駐車場には一つの影が立っていた。
ハヤシが最後にいた場所をじっと見つめるその瞳には、冷たい光が宿っていた。
それはまるで、ハヤシが生み出した「影響」そのものが実体を持ったかのようだった。
影は何も語らず、ただ暗闇に溶け込むようにして消えていった。
ハヤシの行方は依然として不明だったが、彼の存在は確かに何かを残していた。
「僕たちは彼に何を求めていたのだろう?」
──フォロワーたちの誰かがそうつぶやいたが、その問いは誰の心にも届かなかった。
しかし、街の片隅には未だにその影が息づいていた。
何かが終わったようで、何かが始まったのかもしれない。
暗闇に潜むその「何か」は、まだ世界のどこかで次の機会を伺っているのだ。