隣の席の宝物【掌編小説】
佐藤直哉(Naoya sato-)
コヨーテの小噺
世界は驚愕していた。
突如として、地球上からすべてのコーヒーが消失したのだ。
カフェは閉店を余儀なくされ、スーパーマーケットの棚はガランとしたまま。
コーヒー愛好家たちは悲嘆に暮れ、最後のコーヒーカップを巡る戦いが始まった。
東京の片隅で暮らす田中健二(タナカケンジ)は、そんな状況にも動じず、いつものようにオフィスへ向かっていた。
彼はコーヒーを嗜むことはあっても、熱狂的な愛好家ではなかった。
しかし、運命は彼に奇妙ないたずらを仕掛けていた。
偶然、田中は世界最後のコーヒーカップを手に入れることになった。
彼の同僚が何とか手に入れたそのカップを、彼の机の上に置き忘れていったのだ。
田中はそのカップを手に取り、コーヒーがなくなる前の最後の一杯を噛みしめようとした。
しかし、カップを口に運ぼうとしたその瞬間、田中はある事実に気づいた。
彼は、実はコーヒーが苦手だった。
小さい頃からコーヒーの苦さがどうしても好きになれず、大人になってからも、周りに合わせて飲むことはあっても、決して楽しめなかったのだ。
田中は苦笑いを浮かべながら、カップをテーブルに置いた。
そして、彼はいつものように自分の好きな紅茶を淹れ始めた。
外の世界がコーヒー不足に騒ぐ中、彼は静かに紅茶を楽しんでいた。
田中にとって、この出来事は大切な教訓だった。
世間が何に熱狂していようと、自分にとって価値のあるものを見失ってはならない。
最後のコーヒーカップは彼に、自分自身の好みと価値観を再確認する機会を与えてくれた。
窓の外を見つめながら、田中はほっと一息ついた。
世界は変わるかもしれないが、彼の好きなものは変わらない。
最後のコーヒーカップは、彼にとっての新しい始まりを告げるものだった。
そして、その物語は、人生の小さな皮肉として、彼の心に残ったのだった。