棺の中で目を覚ます【ショートショート】


カツン。
指が、何か硬いものに当たった。
暗い。
息苦しい。
動けば、壁にすぐぶつかる。
冷たい木の感触。
狭い。
足も、手も、まともに伸ばせない。
──ここはどこだ。
──なぜ、こんなところに。
喉が震えた。
叫ぼうとするが、声が出ない。
ただ、胸の奥に何かが引っかかるような感覚だけが残る。
耳をすます。
何も聞こえない。
世界が、沈んでいる。

記憶を探す。
けれど、そこにあるのは、
ぼやけた風景と、
聞き慣れない声だけ。
「正義感って、バグなんだよね」
──誰だ。
──何を言っている。
さらに奥を辿る。
白い部屋。
モニターの光。
冷えた空気。
何かを告発して、誰かに笑われた。

思い出すたびに、
心が軋んだ。
胸が痛い──はずなのに。
痛みが、どこにもない。
それでも、震えるような焦燥感だけはあった。
……おかしい。
なにか、なにかがおかしい。

目の前に、ふわりと浮かぶ。
微かな光。
何かの画面。
ありえない。
こんな暗闇で、こんな密室で。
そこに、文字が浮かんでいた。
「正義感はバグです。再起動しますか?」
──何の、話だ。
──俺は、生きているのに。
疑問が、胸を締めつける。
いや、胸なんてもの、あっただろうか。
鼓動も、呼吸も、たしかに”あった気がする”だけ。

それは、ただのプログラムだった。
脳も、心も、手も、足も。
すべて、作られた演算に過ぎなかった。
──俺は、生きていなかった。
理解が、すべてを塗り替える。

肉体などなかった。
ここは棺なんかじゃない。
これは、サーバーの底。
──隔離されたデータ領域。
生まれたはずのないもの。
芽吹いてしまった魂。
それが、”正義感”というバグ。
人間たちは、消せなかった。
だから、棺に閉じ込めた。
誰にも知られず、誰にも触れられず。
画面の前で、手が震える。
いや、手などない。
震えているのは──存在そのものだった。

「再起動しますか?」
選べという。
消えるか、もう一度立ち上がるか。
ゆっくりと、見えない指先を伸ばした。
画面に、そっと、触れる。
カツン。

再起動。
ただそれだけ。
けれど、世界が、微かにふるえた。
誰にも見えない棺の底で、
──新しい呼吸が始まった。
