無口な顧客【ショートショート】
無視した声が、最後に最も響く
「……僕でもいいですか?」
オフィスの隅で、存在を消すようにして座っていたヤマダが、静かに手を挙げた。
彼の発言に会議室内は一瞬凍りついた。
普段から無口で、会議でも発言することはほとんどない彼が、こんな緊急の場で発言するとは、誰も予想していなかったからだ。
「ヤマダ? 本当にお前が何か案を?」
周囲からの視線がヤマダに集中するが、彼は少しの緊張を見せながらも、淡々と話し始めた。
「問題は、意外とシンプルなんです。僕たちは、顧客の声を無視してきました。それが、すべての原因です。」
その瞬間、会議室は再び沈黙に包まれた。
重苦しい空気が漂う中、何かを言いたげな表情がいくつも浮かんでいた。
しかし、誰一人として反論を口にする者はいなかった。
「……僕は……」
ヤマダは続けようとしたが、その言葉を飲み込み、口を閉ざした。
何か重大なことを言いかけたように見えたが、彼はそれ以上を語らず、黙り込んだ。
その静寂の中で、彼の一言が放った謎が残されたまま、会議は進行し、結局、ヤマダの提案が採用されることになった。
数週間後、驚くべきことに、ヤマダの提案によって会社は倒産の危機を免れ、業績が回復し始めた。
だが、社内では皆が心のどこかで疑問を抱いていた。
ヤマダがあの時言いかけた「僕は……」という言葉。その続きを誰もが気にしていたのだ。
ある日、社長はついにヤマダを呼び出し、その謎を解き明かすために尋ねた。
「ヤマダ、あの時の『僕は……』という言葉、あれは一体何だったんだ?」
ヤマダは少しだけ視線を落とし、静かに微笑んだ。
「……実は、僕はこの会社の最初の顧客だったんです。」
その言葉に、社長は驚きを隠せなかった。
「最初の顧客だと? どういうことだ?」
ヤマダは、かつてのことを思い出すように語り始めた。
数年前、彼はこの会社の製品を心待ちにして購入した最初の顧客だった。
だが、その製品には大きな欠陥があり、彼は何度も苦情を送ったにもかかわらず、会社は彼の声を無視し続けた。
その経験が彼に強い失望を抱かせ、いつしか『この会社を変えなくてはならない』という決意に至ったのだ。
「僕はずっと見てきました。顧客の声を無視し続ける会社がどうなるのか……そして、その結果が今のこの状況です」
その言葉に、社長は深く考え込んだ。
自分たちが無視していたものが、実は最も大切なことだったことを今さら思い知らされ、後悔の念が広がっていく。
「君は、最初からずっと……そうだったのか。なぜもっと早く言ってくれなかった?」
ヤマダは再び微笑みながら、言葉を選ぶように静かに答えた。
「僕の声は、無視されていたんです。だから、言っても仕方がないと思っていました。でも、無視され続けると、いつか声を上げたくなるものですよ」
そう言うと、ヤマダは立ち上がり、ドアに向かって歩き始めた。
社長はその背中を見送りながら、ふと何かを感じ取った。
彼は再び声をかけるべきか迷ったが、結局言葉が出なかった。
ドアノブに手をかけたヤマダが最後に振り返り、こう言った。
「社長、次に僕の声が無視されたら……その時は、もう一度顧客として戻ってきますよ。そして、その時は……ただ黙ってはいません」
その一言に、社長は思わず息を呑んだ。
ヤマダの背中が静かに部屋を去るのを見ながら、彼の言葉の重みが社長の胸に深く突き刺さった。
ヤマダの言葉が響く中、社長は机に積み重なった顧客アンケートに目を向けた。
その中に、再び無視される声があるかもしれない――いや、すでにそれが溜まっているのかもしれない。
ヤマダが再び「顧客」として戻る日は、そう遠くないかもしれない。
社長の胸中に冷や汗が流れるのを感じながら、彼はその日が来ることを、密かに恐れ始めていた。