警察のない時代、人々はどう犯罪者を捕まえたのか?中世ヨーロッパの治安と刑罰の現実

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

夜道で頼れるのは、警察ではなく近所の声だった

「中世ヨーロッパの治安」と聞くと、城門の前に兵士が立ち、街角には衛兵が巡回し、悪人を見つけたらすぐ捕まえる──そんな光景を想像するかもしれません。

でも、現実はもう少し泥くさいものでした。

なにせ、今のような警察はありません。
スマホもありません。
防犯カメラもありません。
夜道で何か起きたら、頼れるのは近所の人の耳と足です。

つまり──
中世ヨーロッパの治安を支えていたのは、国家の強い腕ではなく、「誰か叫べ、みんな走れ」という共同体の力だったのです。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

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中世に“警察”はあったのか?

■いたようで、いない中世の警察組織

中世にも役人や見張り、夜警のような人々はいました。
門番もいれば、都市の番人もいます。

でも、現代の警察のように、
常に街を管理し、通報を受けてすぐ駆けつける存在ではありません。

犯罪が起きたらどうするのか。

答えは簡単です。
「周りの人がなんとかする」

強盗が出た。
家に押し入られた。
誰かが倒れている。

そんなとき、最初に動くのは制服の警官ではなく、隣人でした。
中世の治安は、かなり近所頼みだったのです。

犯罪を見つけたら叫べ

■通報ボタンは、自分の喉

中世イングランドには「hue and cry」という仕組みがありました。
日本語にすると「叫喚追跡」

名前からして、もう騒がしいです。

犯罪を見つけた人は、大声で叫ばなければなりません。
そして、その声を聞いた周囲の人々は、犯人を追いかける義務がありました。

つまり、防犯システムはこうです。

誰かが叫ぶ。
みんなが出てくる。
犯人を追う。

シンプル。
でも命がけ。

現代なら110番ですが、中世では自分の喉が通報装置でした。
声が小さいと、治安は守られません。

村ぐるみで責任を負う

■犯人を逃がしたら、村もただでは済まない

1285年のイングランド「ウィンチェスター法令」では、
犯罪者を村から村へ追跡することが定められました。

これがなかなか厳しい。

犯人が逃げた。
村人が追わなかった。
誰かが隠した。

そうなると、地域そのものが責任を問われる可能性がありました。

現代なら「犯人が悪い」で済む話も、
中世では「で、あなたたちの村は何をしていたんですか?」となるわけです。

怖いのは犯人だけではありません。
犯人を逃がしたあとの村の空気も、相当怖かったはずです。

よそ者はだいたい怪しい

■共同体社会の防犯センサー

中世の村や町では、顔見知りであることが信用の土台でした。

誰の息子か。
どこの家の者か。
何の仕事をしているのか。

これが分かっている人は、まだ安心できます。
逆に、ふらっと現れた知らない人は、それだけで警戒されました。

もちろん、旅人や商人が全員怪しいわけではありません。
でも、事件が起きたときにまず疑われやすいのは、共同体の外にいる人でした。

いわば中世の防犯カメラは「ご近所の目」
性能は高いですが、偏見もかなり混ざっています。

裁判は神頼みだった時代もある

■熱い鉄を持てるなら無罪、という発想

中世前期には、神明裁判という方法もありました。

熱く焼けた鉄を持つ。
水に沈められる。
傷の治り具合を見る。

そして、その結果を「神の判断」と考えました。

現代人から見ると、かなり無茶です。
熱い鉄を持たされて「さあ、神が見ています」と言われても、困るしかありません。

でも当時は、神が正しい者を守り、罪ある者を示すと信じられていました。

法と信仰が、今よりずっと近かった時代です。
裁判所というより、半分は神への問い合わせ窓口でした。

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神判から証言へ

■裁判も少しずつ現実的になった

1215年の第4ラテラノ公会議で、聖職者が神判に関わることが禁じられると、神明裁判はしだいに衰えていきました。

では、次に何が重視されたのか。

人の証言です。
地域の評判です。
誰が何を見たのか、誰が怪しいと知っているのか。

神に聞く裁判から、人間が調べる裁判へ。
ここで少しずつ、司法は現実の世界に足を下ろしていきます。

とはいえ、完全に近代的になったわけではありません。
迷信と制度、信仰と証言が入り混じる。
そこが中世らしいところです。

クラレンドン勅令と“告発する村人たち”

■王様も、地域の噂を使った

1166年の「クラレンドン勅令」は、イングランドの刑事司法にとって大きな転機でした。

地域の有力者や自由民が宣誓し、怪しい人物を告発する仕組みが整えられたのです。

つまり王は、こう考えました。

「犯罪者を見つけたい。
でも全国を細かく見張るのは無理。
なら、地元の人に言わせよう」

非常に現実的です。

村人は誰が乱暴者か、誰が盗みをしそうか、だいたい知っています。
王権はその“地元情報網”を司法に組み込んだのです。

中世の裁判は、噂と制度が手を組んだ世界でもありました。

牢屋は長く入る場所ではなかった

■刑務所というより、裁判待ちの控室

中世の牢獄と聞くと、暗い地下牢に何年も閉じ込められる姿を想像しがちです。

でも、長期懲役は近代以降の発想に近いものです。

中世の牢屋は、多くの場合「裁判まで逃げないように入れておく場所」でした。

では、罰は何だったのか。

罰金。
追放。
鞭打ち。
さらし台。
身体刑。
そして絞首刑。

閉じ込めて反省させるというより、
見せる。
痛める。
追い出す。

中世の刑罰は、とにかく分かりやすいかったのです。

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さらし台は中世の公開処罰

■恥をかかせるのも立派な罰だった

さらし台は、中世の刑罰を象徴する存在です。

市場や広場に罪人を置き、人々の目にさらす。
通行人は見る。
笑う。
罵る。
場合によっては物を投げる。

かなりつらいです。

しかし、中世社会では「評判」が生活に直結していました。
信用を失えば、商売も人付き合いも難しくなります。

つまり、さらし台はただの公開イベントではありません。
社会的に再起不能になりかねない罰でした。

体も痛い。
心も痛い。
そして近所の目が一番痛い。

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絞首刑は見せしめだった

■悪いことをするとこうなる、を全員に見せる

重い犯罪には、絞首刑のような死刑が科されることもありました。

しかも、それは人目につく場所で行われることが多かったのです。

なぜか。

見せしめです。

権力者は、罪人を罰するだけでなく、周囲の人々にメッセージを送っていました。

「秩序を乱すと、こうなる」

現代の感覚では残酷ですが、当時の社会では恐怖もまた治安維持の道具でした。

法律の本を読ませるより、広場で見せる。
中世の権力は、かなり視覚に訴えてきます。

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都市の治安問題は悪臭から始まる

■殺人だけが事件ではない

中世都市の問題は、強盗や殺人だけではありません。

隣の家の壁がはみ出す。
排水が悪い。
便所の位置がひどい。
道路をふさいでいる。
悪臭がする。

これも立派なトラブルです。

ロンドンの迷惑行為裁判記録には、建物や通路、排水をめぐる争いが残っています。

つまり中世都市では、命の危険だけでなく、鼻の危険もありました。

人が密集して暮らせば、当然もめます。
中世の都市生活は、ロマンチックな石畳だけではありません。
排水溝と便所の位置でも、かなり真剣に争っていたのです。

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身分で法の重さが変わる

■生まれた場所で、扱われ方も違った

中世の法は、現代のように全員が同じ前提で扱われるものではありませんでした。

貴族。
自由民。
農民。
聖職者。

身分によって、義務も権利も違います。

ドイツ圏の法書『ザクセンシュピーゲル』にも、身分ごとの違いがはっきり表れています。

つまり、法は社会を平らにするものではなく、むしろ身分秩序を支えるものでもありました。

「法の下の平等」という考え方は、まだ遠い未来の話です。

中世では、どの家に生まれたかが、裁かれ方にまで影響したのです。

中世オックスフォードは学生が危険だった

■知の都、わりと血の気が多い

オックスフォードと聞くと、静かな大学都市を思い浮かべるかもしれません。

古い図書館。
石造りの建物。
知的な学生たち。

でも中世のオックスフォードは、なかなか物騒でした。

研究によれば、当時のオックスフォードの殺人率は、中世ロンドンやヨークの4〜5倍とも推定されています。

しかも、その中心にいたのが学生たち。

酒を飲む。
口論する。
仲間を呼ぶ。
刃物が出る。

勉強しに来たはずなのに、なぜか事件記録に名前が残る。
知の都というより、血の気の多い若者だらけの町だったのです。

学生同士のケンカは洒落にならない

■本より先にナイフが出る

中世の学生は、今の大学生とはかなり違います。

年齢は若く、故郷を離れ、仲間同士で固まり、酒場にも行きます。
しかも、都市の住民とはしばしば対立しました。

ちょっとした口論が、集団の衝突に発展することもあります。

現代なら「学生トラブル」で済むかもしれません。
しかし中世では、そこに短剣や棒が加わります。

本を抱えた若者たちが、実は町の治安リスクでもあった。
このギャップが、なんとも中世らしいところです。

教会に逃げ込めば助かることがあった

■最後の避難先は神の家

中世には「聖域避難」という考え方がありました。

罪を犯した者が教会に逃げ込むと、一定の保護を受けられる場合があったのです。

もちろん、「教会に入ったので無罪です」とはなりません。
そんな便利な制度ではありません。

罪を告白する。
財産を失う。
国外追放を選ぶ。

そうした厳しい道が待っていることもありました。

それでも、その場で殺されるよりはましです。
教会は祈りの場であり、同時に人生最後の避難所でもありました。

犯罪者も共同体から逃げにくい

■顔を知られている社会の怖さ

中世社会では、顔と名前が大きな意味を持ちました。

誰の家の者か。
どこから来たのか。
普段どんな人物か。

こうした情報が、共同体の中で共有されています。

だからこそ、犯罪者は逃げにくい。
しかし同時に、一度疑われた人も逃げにくい。

評判が悪くなると、その後の生活に影響します。
「あの人は怪しい」と見られたら、村で生きるのは相当つらい。

中世の治安は、助け合いであると同時に、村人同士で監視し合う社会でもありました。

中世の治安は温かくて怖い

■近所の力は、味方にも圧力にもなる

共同体が治安を守る社会には、良い面もあります。

誰かが困れば、周囲が気づく。
不審者がいれば、すぐ目立つ。
事件が起きれば、村全体が動く。

でも、その反対側には怖さもあります。

よそ者は疑われやすい。
評判の悪い人は不利になる。
共同体から外れた人は守られにくい。

つまり、中世の治安は「みんなで守る安心」「みんなに見られる息苦しさ」セットでした。

温かいけれど、逃げ場がない。
これが中世のリアルです。

最後に

■中世の治安は、叫び声から始まった

中世ヨーロッパの治安は、警察がすぐ駆けつける世界ではありませんでした。

犯罪を見たら叫ぶ。
隣人が走る。
村が責任を負う。
裁判では地域の声が重みを持つ。

そこにあったのは、国家よりも共同体が前に出る社会です。

便利ではありません。
安全でもありません。

でも人々は、その仕組みの中で暮らし、争い、追いかけ、裁かれていました。

中世の夜道で頼れるもの。
それは剣を持った衛兵ではなく、近所の誰かの耳でした。

そして、何か起きたら最後に必要なのは、勇気でも法律知識でもなく──
まず大声で叫ぶことだったのです。

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