中世ヨーロッパの疫病はどれほど恐ろしかったのか?―出社したら誰もいない世界、想像できますか?―

佐藤直哉(Naoya sato-)
<景品表示法に基づく表記>当サイトのコンテンツ内には商品プロモーションを含みます。

はじめに

「中世の疫病って、医療が未発達だったから広まったんですよね」

ええ、その感覚はとても自然です。(軽く同意するように頷く)
昔の話ですし、衛生環境も整っていなかっただろう、と考えたくなります。

ただですね、少し調べていくと、だんだん様子がおかしくなってきます。(資料をめくる手が止まる)

理由はシンプルです。

規模が、普通ではありません。

人口の3分の1が消えます。
場所によっては半分です。

ここで一度、現代に置き換えてみましょう。

朝、出社します。(何気なくドアを開ける)
誰もいません。(静まり返ったフロアを見渡す)
上司もいません。(きれいに整った空席の椅子に目が止まる)
取引先とも連絡がつきません。(スマートフォンの画面を何度も確認する)

「……これ、どうやって仕事するんですかね」(少し戸惑うように)

はい、答えはシンプルです。
仕事どころではありません。

黒死病は、それが一つの会社ではなく、
ヨーロッパ全体で起きた出来事でした。

もはや単なる病気ではなく、
社会そのものが一時的に機能を失う出来事だったのです。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

あわせて読みたい
優雅な城の裏側:中世ヨーロッパのトイレ事情が想像以上に過酷だった話
優雅な城の裏側:中世ヨーロッパのトイレ事情が想像以上に過酷だった話

症状が怖い? → その前に“選択肢”が消えています

病気の話になると、まず気になるのは症状ですよね。
どんな風に苦しいのか、どれくらい危険なのか?

ジョヴァンニ・ボッカッチョ氏の記録によると、

・脇や股に大きな腫れ(見た瞬間に「これはただ事ではない」と分かる)
・体に黒い斑点(じわじわ広がっていく不気味さ)
・数日で急変(昨日まで歩いていた人が、あっという間に倒れる)

ここまで読むと、「かなり怖い病気だな」という印象になります。
ただ、まだこの段階では“想像できる怖さ”です。

本当に深刻なのは、その次です。

少し考えてみてください。
体調が悪くなったとき、まず何をしますか?

病院に行く、薬を飲む、安静にする。
現代では当たり前の行動です。

では当時はどうだったのか。

そのどれもが、ほとんど機能していませんでした。

医者に行く
→はっきりした治療法がない

祈る
→気持ちは落ち着くが、病気は進む

隔離する
→そもそも感染の仕組みが分からないため、十分に防げない

この流れ、改めて見るとかなり厳しい状況です。

どの選択肢を選んでも、決定的な解決につながらない。
つまり、「何かをすれば助かるかもしれない」という希望が持ちにくい状態です。

例えるなら、

スマホが突然動かなくなった
→再起動してみる(変わらない)
→設定をいじる(分からない)
→軽く叩いてみる(気休め)
→結局、直らない

そんな感覚に近いかもしれません。

ただし違うのは、
これは“機械”ではなく“自分の身体”で起きているという点です。

代わりもなく、やり直しもきかない。
この「手の打ちようがない感じ」こそが、黒死病の恐ろしさの一つでした。

家族愛、発動! → 触れたら危険です

「家族が病気になったら看病する」

これはもう、説明するまでもなく当たり前のことですよね。
熱が出れば様子を見るし、水を持っていくし、「大丈夫?」と声をかける。
むしろ何もしないほうが落ち着かないはずです。

では、ここで少しだけ条件を足します。

その看病という行動が、
高い確率で自分も同じ病気にかかる行為だと分かっていたら?

……少し手が止まりますよね。

黒死病の時代では、これが現実でした。

当時の記録には、はっきりとこう書かれています。
「父は息子を避け、妻は夫を避けた」

言葉だけを見ると、とても冷たい印象を受けます。
ですが実際には、その逆です。

冷たかったのではなく、怖すぎて近づけなかったのです。

ここで人間の感情がぶつかります。

助けたい(それが普通)
でも怖い(それも自然)
結果、近づけない(そして自分を責める)

この流れ、想像以上に重たいものがあります。

例えるなら、
「助けに行きたいけれど、触れた瞬間に自分も倒れるかもしれない」
そんな状況です。

ボタン一つで大切な人を助けられるけれど、
同時に自分の安全も失う
――そんな選択に近いかもしれません。

優しさと生存本能が正面からぶつかる世界。
それが黒死病の時代でした。

そしてこの状況が広がると、何が起きるか。

看病が成立しない
助け合いが機能しない
結果として、社会のつながりそのものが弱くなる

つまり黒死病は、身体だけでなく
人と人の距離の“前提”そのものを変えてしまったのです。

こうした変化は派手ではありません。
ですが、じわじわと確実に効いてきます。

静かに、そして深く怖いタイプの出来事です。

祈るだけ? → いえ、対策してます(方向が惜しい)

「昔の人って、祈ることしかできなかったんでしょ?」

――そう思いたくなりますよね。
なんとなく“無力な中世人”のイメージ、あります。

ですが実際は違います。

かなり本気で対策しています。

都市では細かいルールが作られました。

・死体は適切に処理する(放置しない)
・物資の移動を制限する(広がりを抑える)
・衛生環境を整える(とにかく清潔にする)

つまり、

中世版・きっちり管理社会です。

「とりあえずやれること全部やる」状態です。
役所も市民も、かなり真面目に動いています。

ここまではいいんです。

問題はこのあとです。

原因の理解が違っていました。

当時の人々は、病気の原因を
「悪い空気(瘴気)」だと考えていました。

つまり、

換気する
においを避ける
汚れを遠ざける

方向としては「それっぽい」のですが、
核心には届いていません。

ここで整理すると、

努力:全力
熱意:本気
方向:ほんの少しズレている

この状態です。

これ、ちょっと身近に感じませんか?

とりあえず対策した
一生懸命やった
でも後から「そこじゃなかった」と分かる

あの感じです。

人類、実は昔からずっと同じことをしています。
ただ違うのは、その結果のスケールだけです。

人手不足バブル発生! → ただし国家が止めに来ます

ここで一つ、シンプルな質問です。

人口が減ると、どうなるでしょう?

はい、その通りです。
働く人が足りなくなります。

では次の段階です。

人が足りないとどうなるか?

仕事は減りません。
むしろそのまま残ります。

つまり――

一人あたりの仕事量、増えます。

ここまでは自然な流れです。

ではさらにもう一歩。

人手が足りない
→働ける人が貴重になる
→給料が上がる

これも、現代の感覚ではごく普通です。

ところがここで登場するのが
Statute of Labourers(労働者制定法)です。

内容はとても分かりやすいです。

・給料は勝手に上げないでください
・働ける人はきちんと働いてください

要するに、

「人手不足で給料が上がるのは困るので、
 ルールで抑えます」

ということです。

ここで少し立ち止まって考えてみてください。

人が足りないから給料を上げる。
これは自然な市場の動きです。

それに対して、

「それは困るので、法律で止めます」

――なかなか強い対応です。

まとめるとこうなります。

人手不足
→労働者の価値が上がる
→しかし自由には反映されない

黒死病は人命を奪っただけでなく、
働き方やお金のルールまで書き換えてしまったのです。

歴史を見ていると、ときどき思います。

「ずいぶん大胆なことをするな」と。

ただ同時に、

「意外と今と変わらないな」とも感じます。

このあたりが、少し苦くて、妙にリアルなところです。

都市の処理能力、限界突破

ロンドンでは、人口の半分近くが亡くなりました。

ここで何が起きるか。
とても現実的な問題です。

埋葬が追いつかない。

人数が多すぎて、対応が間に合わない。
これだけでも十分に深刻です。

ここで多くの人が想像するのは、
「もう完全に混乱している状態」だと思います。

秩序も何もなく、ただ処理するしかない。
そんな光景を思い浮かべるかもしれません。

ですが、実際は少し違います。

発掘調査によると、遺体は
きちんと並べられ、整然と埋葬されていたことが分かっています。

この事実、少し不思議に感じませんか。

状況は限界です。
人手も足りません。
時間もありません。
(息を切らしながら作業する様子)

それでも、

並べる(そっと位置を整える)
順番を守る(手順を確認するようにうなずく)
埋葬の形を整える(丁寧に土をかける)

という行動が続けられていました。

例えるなら、

大混乱のオフィスで
誰もいない中、
一人だけ黙々と書類を整理している人(静かな机に向かい、手だけが動き続ける)

そんな光景に近いかもしれません。

仕事は回っていない。
状況も改善しない。(ため息をつきながらも手は止めない)
それでも「やるべきことはやる」。

人間は極限状態に置かれても、
完全に無秩序にはなりません。

むしろ最後まで、
「ちゃんとしよう」とするのです。

そしてその姿は、どこか強さでもあり、
同時に少しだけ切なさも感じさせます。

壊れかけた社会の中で、
それでも形を保とうとする。

黒死病の時代には、そんな静かな抵抗があったのです。

どうすればいい? → とりあえず自分を叩きます

医療が効かない。
対策も手探りで、決定打がない。

ではどうするのか。

――ここで人は、思い切った行動に出ます。

自分の体を鞭で打つ。

「急にどうしたのか」と感じますよね。
ですが当時の人々にとっては、これにも理由がありました。

とても単純です。

「何もしないままでいるのが怖い」

この感覚、少し分かる気がしませんか?

人は不安に直面すると、

不安になる(胸の奥がざわつく)

何か行動したくなる(落ち着かず手を動かす)

とにかく何かする(理由はあとからついてくる)

という流れをたどります。

これは決して特別なことではありません。
むしろ、かなり人間らしい反応です。

現代でも似た場面があります。

締切が迫っているのに、なぜか部屋の掃除を始める。
普段は気にならない棚のホコリが、急に気になりだす。(無言で雑巾を手に取る)

あの行動です。

「何かしている」という状態が、不安を少しだけ軽くするからです。

ただし中世の場合、その“何か”のスケールが違います。

祈るだけでは足りない。
もっと強い行動が必要だと考えた結果、

自分の体を傷つけることで、神に赦しを求める。

そうした行為に至りました。

これは合理的とは言えません。
ですが、「何もできない状況に耐えられない」という人間の性質が、極端な形で表れたものでもあります。

不安の大きさに比例して、行動も大きくなる。

黒死病の時代には、そんな“人間の反応”がはっきりと現れていました。

あのマスク? → ちょっと先の話です

ペストと聞いて、多くの人が思い浮かべるものがあります。

あの仮面です。
鳥のくちばしのように長く突き出た、不思議な形のマスク。

「ああ、あれが黒死病の象徴ですよね」

――そう思った方、かなり多いと思います。

ですが、

それ、時代が少し違います。

あの装備が広く知られるようになるのは、黒死病の流行よりも後の時代です。

つまり、

「黒死病=あのマスク」

というイメージは、
あとから作られた“分かりやすい象徴”に近いものです。

ここで見えてくるのが、

僕たちの頭の中の中世、けっこう演出が入っている説です。

歴史って不思議で、
事実そのものよりも、印象的なビジュアルのほうが強く残ります。(映画のワンシーンを思い出す)

映画やイラストで何度も見たものが、
いつの間にか「それっぽい正解」になってしまうんですよね。

いわば、

記憶:映像
現実:資料

このズレです。

もちろん、あのマスク自体は実在します。
ただし「黒死病そのものの象徴」として扱うと、少しだけ時代が前後してしまう。

このあたりもまた、歴史の面白いところです。

真実は地味で、
イメージは強い。

そしてだいたい、
イメージのほうが勝ちます。(少し苦笑)

「検疫」って、実は中世から来てます

「quarantine(検疫)」という言葉、聞いたことがありますよね。
空港や港でのあの手続きです。

実はこの言葉、起源をたどると中世に行き着きます。

意味はとてもシンプルで、

「40日間、隔離する」

というルールから来ています。

当時、港町では「この船、大丈夫だろうか」と疑わしい場合、
すぐに人や物を出入りさせるのではなく、

とりあえず40日待つ(慎重に距離を置く)

という対応が取られていました。

理由は明快です。

病気が広がるかどうかは、時間がたてば分かる。
ならば、その間は動かさない。

とても素朴ですが、かなり合理的な考え方です。

ここで少し振り返ってみると、

黒死病は確かに
多くの命を奪った「最悪の出来事」でした。

ですがその一方で、

・隔離の考え方
・感染を広げない仕組み

といった

現代にも続くルールの原型を生み出した出来事でもあります。

歴史というのは不思議なもので、

大きな失敗や悲劇の中から、
次の時代に残る仕組みが生まれることがあります。

まるで物語のように、
後になって「あれがここにつながるのか」と分かる。

いわば、

長い時間をかけた伏線回収です。

黒死病もまた、
ただの過去の出来事ではなく、
今の社会の一部に静かに組み込まれているのかもしれません。

最後に

黒死病は多くの命を奪いました。

ただ、それだけで語れる出来事ではありません。

家族の距離が変わり(近くにいることが危険になる)
働き方が変わり(人が足りず、役割が崩れる)
社会のルールが変わる(それまでの常識が通じなくなる)

つまりこれは、単なる病気ではなく、
世界の前提そのものが書き換わる出来事でした。

そして少しだけ怖いのは、
この「変化の流れ」が特別なものではないことです。

人は不安になると
距離を取り(自分を守ろうとする)
理由を探し(納得したくなる)
何か行動を起こします(落ち着こうとする)

この順番は、今も昔もほとんど変わりません。

中世の人たちが特別だったのではなく、
ただ、自分たちより先にその状況を経験しただけかもしれません。

そう考えると、この話は「昔の出来事」で終わらず、
自分たちにも起こりうる話として、少し現実味を帯びてきます。

あわせて読みたい
城攻め=突撃はウソ?中世ヨーロッパの戦争が“ひたすら待つゲーム”だった件
城攻め=突撃はウソ?中世ヨーロッパの戦争が“ひたすら待つゲーム”だった件
ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、小噺を発信しています。
このブログでは、
●明日誰かに話したくなる小ネタ
●創作に使える背景設定やアイデアの「ヒント」
●普段の視点が少し変わる“発見”
などを気軽に受け取っていただけます。
どうぞ、ふらりと覗いてみてください。
記事URLをコピーしました