日常のふしぎ
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なぜカップラーメンは無性に食べたくなるのか?脳と欲望の不思議な関係

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

夜のキッチン。
冷蔵庫の明かりだけが、なぜか舞台照明みたいに床を照らしています。

そこへ、棚の奥からぬっと登場する丸い影。
そう、カップラーメンです。
主役感がすごい。

お腹が空いているわけでも、夕飯が足りなかったわけでもありません。
ちゃんと食べて、ちゃんと満たされています。
それなのに、なぜでしょう。
サラダや味噌汁よりも、なぜか「3分待つあの子」が、今夜の正解に見えてくる夜があるのです。

ここで小さな違和感が生まれます。

僕たちは知っています。
塩分が多いとか、栄養が偏るとか、夜食は太るとか。
健康情報なら、もう何周も聞きました。テストに出ても満点です。

それなのに、脳は平然とカップラーメンを推薦してくる。
まるで社内プレゼンのように堂々と。

これは堕落でしょうか。
それとも自制心が有給休暇を取っただけでしょうか。

もしかするとこれは、サボりではなく、
とても合理的な「脳の判断」なのかもしれません。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

世界は今日も麺をすすっている

実はカップラーメンは、個人の夜食ではありません。
れっきとした世界規模の文化です。

年間の消費量は、数百億食。
日本だけでも年間約60億食近くが食べられています。
数字だけ見ると、もう主食の顔をしています。

これでは「たまに無性に食べたくなる」どころではなく、 人類全体が定期的に麺を欲していると言ってもよさそうです。

ここまで広まるには、理由がないはずがありません。
偶然ヒットしたわけでも、みんなが気まぐれで選んでいるわけでもない。

カップラーメンは、
ちゃんと“欲しくなるように”作られているのです。
なんとも正直で、少しこわい話です。

しょっぱさは快楽への近道

カップラーメンの主役は、麺ではありません。
スープです。ここ、テストに出ます。

塩分、油、香り、そして旨味。
この四人組がそろうと、脳は急に饒舌になります。

脳内メモはだいたいこんな感じです。
「塩=生きるために必要」
「脂=エネルギーのかたまり」
「香り=安全そう」

三つ同時に届くと、結論は一行。

「これは重要。今すぐ食べるべき」

……早い。判断が早い。
上司より決裁スピードが速いです。

つまりカップラーメンは、平和なキッチンに届く非常食みたいなもの。
災害も起きていないのに、脳内ではなぜか緊急会議が開かれています。
議題はいつも同じです。

『今すぐフタを開けるべきか否か』

そして結論も、だいたい同じになります。

旨味は“おいしさブースター”

塩分・油・香りという三つの要素に、さらに加わるのが旨味成分です。
いわゆる「うま味」です。

これが入ると、スープは
「おいしい」から
「なんか知らないけど満足」に進化します。

不思議なもので、
旨味は味覚というより感情に近い存在です。

「うまい!」というより、
「これでいい…」という安心感。

哲学的に言えば、
カップラーメンは存在肯定スープです。

今日の失敗も、上司の小言も、洗濯物の山も、
すべてスープに溶かしてくれます。

五感が乗っ取られる瞬間

お湯を注ぎます。
ふたの上でフォークが静かに待機します。

三分後。
ふたを開けると、白い湯気がふわっと立ち上り、
眼鏡が一瞬で曇ります。

鼻に届くのは、塩と油と粉末スープが混ざった匂い。

箸を入れると、麺が持ち上がり、
スープがぽたりと落ちます。

一口すする。

熱い。
しょっぱい。
うまい。

この瞬間、脳内では小さな拍手が起きています。

「よくやった」
「正しい選択だ」

評価しているのは舌ではなく、神経です。

疲れた脳は濃い味を選ぶ

徹夜明け。
残業続き。
人間関係で消耗した夜。

そんなとき、人はサラダではなくラーメンを選びます。

これは意志が弱いからではありません。
脳の仕様です。

睡眠不足やストレスがたまると、
脳の「理性担当」は早めに帰宅します。

代わりに「報酬担当」が前に出てきます。

その結果、
「すぐ満足できそうなもの」
「カロリーが高そうなもの」

が勝ちます。

脳内会議はいつも多数決。
理性はだいたい少数派です。

脳はしょっぱさを記憶する

人間の脳は、とても学習熱心です。

「しょっぱい=うまい」
「疲れた夜=カップ麺」

これを何度も繰り返すと、脳は覚えます。

やがて、
お腹が空いていなくても、
その記憶だけで欲しくなります。

条件反射の完成です。

パブロフの犬がベルでよだれを垂らすなら、 僕たちはパッケージを見てお湯を沸かします。

SNSは新しい屋台

昔は夜の屋台でした。
今はSNSです。

チーズをのせる。
卵を落とす。
背徳アレンジ動画を見る。

すると脳が言います。

「今すぐやれ」

空腹ではありません。
物語が欲しいのです。

カップラーメンは、
食べ物であると同時に、イベントになりました。

最後に

それでも人は麺をすする

カップラーメンを欲する理由は、
科学でも心理でも説明できます。

塩。
脂。
旨味。
疲労。
記憶。
文化。

並べてみると、まるでチーム結成です。
そりゃ強いわけです。

こうして条件がそろった結果、
夜のキッチンで僕たちは迷いなくフタを開けます。
理性は一応止めに入りますが、だいたい声が小さい。

とはいえ、理由がわかったからといって、
欲しくならなくなるわけでもありません。
人間は説明書どおりに動く家電ではないのです。

たぶんカップラーメンは、
単なる食事というより「ひと休み」の形をしています。

お湯を注いで、三分待つ。
この三分が、わりと大事です。

そのあいだ、
世界は少し静かになります。
通知も仕事も、いったん保留。

湯気の向こうで、
今日の疲れがゆっくりほどけていきます。

そして翌日には、
何事もなかった顔で、また普通の食事に戻る。

カップラーメンは、
夜にだけ現れる小さな休憩所のような存在なのかもしれません。

スープを飲み干したあとに残るのは、
満腹というより、
「まあ、今日もなんとかやったな」という感覚です。

人はときどき、
栄養ではなく、
安心できる湯気をすすっているのだと思います。

ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、小噺を発信しています。
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