名前も知らない。でも、いなくなると気づく――不思議な他人「Familiar Stranger」
はじめに

朝のホーム。
いつもの場所に、いつもの男性が立っている。
「今日もいるな」
名前は知らない。話したこともない。それでも顔を見ると、なぜか少し安心する。
ところが翌朝、その姿がない。
「あれ、今日は見かけないな」
知り合いでもないのに、いないことには気づいてしまう。
昨日まで赤の他人だったはずなのに、いつから僕はこの人の存在を確認するようになったのだろう。
実は、こういう妙な他人には名前があったりします。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
名前も知らない「いつもの人」

こうした相手は、Familiar Strangerと呼ばれます。
日本語にすれば、「見知らぬ顔なじみ」でしょうか。
心理学者スタンレー・ミルグラム氏は、都市で何度も顔を合わせながら交流しない人々に注目しました。
たとえば毎朝見る男性について聞かれたとします。
「知り合いですか?」
「いいえ」
「顔は?」
「よく知っています」
なんとも変な答えです。
友人ではない。
知人でもない。
でも完全な他人とも言い切れない。
大都市には、名前のない人間関係が意外とたくさんあります。
また会ったのは「運命」なのか?

月曜日。
「またあの人だ」
火曜日。
「今日もいる」
金曜日になるころには、
「ここまで会うって、何かあるのでは?」
少しだけ運命を疑いたくなります。
ところが、人間の移動を調べた研究を見ると、話はかなり現実的です。
僕たちは毎日、似た時間に家を出て、似た道を通り、同じ駅や店を使います。
相手も同じなら、当然ルートは何度も交差する。
本人には奇跡でも、地図から見れば、
「二人とも昨日と同じ生活をしていますね」
で終わる話だったりします。
なぜ「あの人」だけ覚えてしまう?

それでも不思議です。
ホームには何百人もいるのに、
「あ、いた」
と見つけるのは、なぜかいつも同じ人。
ここには、繰り返し見るものに親しみを感じやすくなる単純接触効果が関係します。
最初は、
「知らない人」
だった顔が、何度も見るうちに、
「いつもの人」
へ変わっていく。
そしてある日、その人を見かけないと、
「今日はどうしたんだろう?」
と思ってしまう。
相手は何もしていません。
ただ毎日そこにいただけなのに、いつの間にかこちらの頭の中で常連になっています。
駅では話さないのに、旅先では話せる

毎朝同じホームで会う二人。
目が合っても、
「……」
会話はない。
ところが旅行先で、偶然その男性を見つけたらどうでしょう。
「あれ? いつも○○駅にいますよね?」
昨日まで一言も話さなかった相手に、突然声をかけられる。
Familiar Strangerには、こんな面白い特徴が指摘されています。
いつもの場所では「風景の一部」だった相手が、場違いな場所へ現れた瞬間、
「知っている人」
へ変わる。
駅で100回会うより、旅先で1回会うほうが、距離は一気に縮まることがあるのです。
偶然を見ると、物語をつけたくなる

旅先でまで会ったら、さすがに考えます。
「これ、本当にただの偶然?」
スイスの精神科医・心理学者カール・グスタフ・ユング氏は、こうした「偶然なのに、本人には意味があるように感じられる出来事」をシンクロニシティと呼びました。
もちろん、
「何度も会う=運命の相手」
と証明されたわけではありません。
生活圏が重なり、行動する時間も似ていて、さらに顔を覚えている。
それだけでも再会は十分起こります。
それでも人間は、
「たまたまですね」
だけでは終わらせたくない。
偶然が何度も続くと、
「これは何か意味があるのでは?」
と、出来事の向こう側に物語を探したくなるようです。
最後に

翌朝。
いつものホームへ行くと、あの男性が戻っていました。
「あ、今日はいる」
少し安心した自分に気づいて、今度はこちらが戸惑います。
名前も知らない。
仕事も知らない。
たぶんこの先も話さない。
それなのに、姿があるだけで、
「いつもの朝だ」
と思えてしまう。
もしこれを縁と呼ぶなら、ずいぶん静かな縁です。
会話もなければ、約束もない。
ただ同じ場所で、ときどき互いの存在を確認している。
そしてたぶん向こうも、
「あの人、今日もいるな」
と思っている。
……そうだったら、少しだけ面白いのですが。

