日常のふしぎ
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豚はなぜイノシシに似ているのか? 人間が一万年かけて変えたもの

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

森のイノシシ、農場の豚

ある日のこと。
動物園の檻の前で、子どもが立ち止まります。

「イノシシだ!」

柵の向こうでは、黒い毛に覆われた動物が地面を掘っています。

鼻先で土を押しのけ、

「フンッ、フンッ」

と木の根元を探っています。

その少し先にある牧場では、ピンク色の豚が餌箱へ顔を突っ込んでいます。

「ブーブー」

丸い体。
短い鼻。
くるりと巻いた尾。

二頭を並べれば、ずいぶん違って見えます。

イノシシは森を走る危険な野生動物。
豚は人間に飼われる、おとなしい家畜。

ところが、よく見ると似ています。

鼻の形。
立った耳。
二つに割れた蹄。
地面を掘る動き。
鳴き声まで、どこか同じです。

「親戚なの?」

親戚どころではありません。

豚は、野生のイノシシを人間が飼い続けることで生まれた動物です。
ただし、昔の人が一頭のイノシシを捕まえ、その日から豚になったわけではありません。

最初の変化は、柵の中ではなく、人間が捨てた食べ物のそばで始まった可能性があるのです。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

残飯を食べに来たイノシシ

夜の集落に現れた客

約一万年前。

人間は狩りだけで暮らす生活から、穀物を育てる生活へ移り始めていました。

集落には食べ物が集まります。

穀物。
木の実。
芋。
調理した肉。

食べきれなかったものは、集落の端へ捨てられました。

夜になると、茂みの中から鼻が現れます。

「フン、フン……」

野生のイノシシです。

人間の匂いがします。
火の匂いもします。

普通なら近づきたくない場所です。
けれど、その先には食べ残しがあります。

警戒心の強いイノシシは森へ戻りました。
少し大胆なイノシシだけが、一歩近づきます。

「食べても追いかけてこないぞ」

そう学んだかどうかは分かりません。
ただ、人間のそばでも平気な個体は、何度も集落へやって来たのではないでしょうか?

歯に残っていた食事

古代の動物は、日記を残しません。

「今日は人間の残飯を食べた」

などと書いてくれれば簡単ですが、そうはいきません。

代わりに残ったのが、歯石です。

歯に固まった汚れの中には、食べた物の小さな痕跡が残ります。

中国南部の約八千年前の遺跡から見つかった豚類の歯石からは、米やヤムイモ、ドングリなどに由来するデンプンが確認されました。

中には、加熱された食物を食べたと考えられる痕跡もありました。

森の中に、鍋はありません。

火で調理した食べ物が口に入ったなら、人間の集落へ近づいていた可能性があります。

「人間がイノシシを捕まえた」

そう考えるより、

「イノシシが人間の食卓のそばへ通い始めた」

と考えた方が、最初の風景に近いのかもしれません。

人間を恐れない個体が残った

すべてのイノシシが豚になれたわけではありません。

人間を見るなり逃げる個体。
柵へ入れると暴れ続ける個体。
近づいた人間へ突進する個体。

そうしたイノシシは、飼い続けるのが難しかったでしょう。

反対に、人間のそばでも餌を食べる個体は残されます。

「こいつは逃げないな」

「餌もよく食べる」

「子どもも産んだぞ」

その子どもの中から、さらに扱いやすい個体が選ばれます。

人間が選んだのは、最初から丸い体のイノシシではありません。

まず選ばれたのは、人間の隣で暮らせる性格を持った個体でした。

人間の隣で体が変わった

最初の豚は細かった

現在の豚を見ると、丸々と太った姿を思い浮かべます。

けれど、家畜化が始まったばかりの豚は、今の豚ほど丸くありませんでした。

体つきは野生のイノシシに近く、鼻も長く、脚も細かったと考えられています。

農家が一頭を眺めます。

「この豚はよく太るな」

隣の豚を見ます。

「こっちは子どもをたくさん産む」

よく育つ個体。
肉が多い個体。
飼いやすい個体。

そうした豚を繁殖に使えば、その特徴は次の世代へ残りやすくなります。

一年では、ほとんど変わりません。
十年でも、大きな差は見えないでしょう。

しかし、それが何百世代も続きます。
人間は毎年、少しずつ豚の形を選び直してきたのです。

鼻が短くなった理由

イノシシの鼻は長く、頑丈です。

硬い地面へ鼻を押し当て、

「グイッ」

と土を持ち上げます。

土の中の根。
昆虫。
ミミズ。
落ちた木の実。

野生では、自分で食べ物を探さなければなりません。

長く丈夫な鼻は、大切な道具です。

ところが、人間のそばでは餌が与えられます。

「ほら、今日の餌だ」

餌箱の中には、すでに食べ物があります。

鼻で森の地面を掘り続ける必要はありません。

短い鼻の個体でも、生きていけます。

さらに人間が肉付きや成長の速さを優先して選ぶうちに、多くの家畜豚は頭が丸く、鼻が短い姿になっていきました。

鼻が短くなったのは、使わなかったから急に縮んだわけではありません。

短い鼻でも困らない環境で、その特徴を持つ個体が残されたのです。

胴が長くなった理由

野生のイノシシは、森を走ります。

急な坂を登ります。

敵から逃げます。

時には相手へ突進します。

体は、移動するために作られています。

一方、人間が豚へ求めたのは速さではありません。

「よく走る豚だ」

それだけでは、飼う側にはあまり得がありません。

人間が欲しかったのは、食べられる部分が多い体です。

背中。
腹。
腿。

胴が長く、肉がつきやすい豚は残されました。

その結果、家畜豚はイノシシより胴が長く、丸みのある体へ変わっていきました。

森を動き回ることに向いた体から、少ない餌でも大きく育つ体へ。

同じ祖先から出発しても、人間が求めた特徴によって、体つきは少しずつ変わっていきました。

なぜピンク色になったのか?

森の中で白い体は目立ちます。

茶色や黒の毛なら、土や木の陰に紛れます。

白いイノシシが草むらへ隠れても、

「ここにいます」

と言っているようなものです。

野生では、不利になる毛色です。

しかし、家畜には柵があります。

人間も守ってくれます。

外敵から隠れる必要が少なくなれば、白い個体も生き残れます。

さらに人間にとっては、野生のイノシシと見分けやすいという利点もあります。

「うちの豚は白い」

「隣の豚は黒い」

毛色は、所有している動物を見分ける目印にもなりました。

なお、よく見るピンク色は、皮膚そのものが鮮やかな桃色なのではありません。

白い毛が少ないため、下の薄い皮膚が透けて見えています。

豚がピンク色になったというより、暗い毛を失った結果、皮膚が見えるようになったのです。

豚とイノシシの境界は消えなかった

今でも子どもを作れる

豚は一万年ほど人間に飼われてきました。

それほど長い時間がたてば、イノシシとは完全に別の動物になっていそうです。

ところが、豚とイノシシは今でも交配できます。

生まれた子どもも、繁殖できる場合があります。

日本では、豚とイノシシを交配した動物を「イノブタ」と呼びます。

見た目は、両方の特徴を持っています。

イノシシより丸い体。
豚より長い鼻。
黒っぽい毛。

「どっちなんだ?」

そう聞かれても、答えは両方です。

人間が長い時間をかけて豚を変えても、イノシシとの遺伝的な距離は、完全には離れませんでした。

ヨーロッパで起きた入れ替わり

豚の歴史には、不思議な出来事があります。

西アジアで家畜化された豚は、農耕民とともにヨーロッパへ渡りました。

人間が歩き、その後ろを豚がついていきます。

「この豚を新しい村へ連れていこう」

ところが、ヨーロッパには現地の野生イノシシがいました。

飼われていた豚と、森のイノシシが交配します。

その子どもも、また別のイノシシと交配します。

この繰り返しによって、ヨーロッパの家畜豚は、次第に現地のイノシシの遺伝子を多く持つようになりました。

古代DNAの研究では、最初に西アジアから来た豚の遺伝的特徴が、数千年の間に大きく置き換わったことが示されています。

簡単に言えば、豚の中身が現地産へ入れ替わっていったのです。

中身が変わっても豚だった

ここで奇妙なことが起きます。

遺伝的にはヨーロッパの野生イノシシへ近づいたのに、飼われている動物は豚のままだったのです。

森へ戻らず、人間の集落で暮らします。
体つきも、家畜らしい特徴を保ちます。

なぜでしょうか?

人間が毎世代、豚らしい個体を選び続けたからです。

「この個体は扱いやすい」

「よく太る」

「逃げにくい」

野生イノシシの遺伝子が入っても、人間が必要とする特徴を持つ個体だけが繁殖に使われます。

そのため、祖先の構成が変わっても、家畜としての姿は残りました。

血筋だけで豚になったのではありません。

人間のそばで選ばれ続けたことが、豚を豚にしていたのです。

山へ逃げた豚はイノシシになるのか?

数か月で牙が伸びる?

豚を山へ放すと、すぐイノシシへ戻る。

そんな話を聞くことがあります。

「毛が黒くなる」

「牙が伸びる」

「数か月で野生の姿になる」

本当に、そこまで早く変わるのでしょうか?

逃げた豚の見た目や行動が変わることはあります。

餌箱がないため、自分で食べ物を探します。

地面を掘ります。
長い距離を歩きます。
運動量が増えれば、体は引き締まります。

人間から逃げなければ捕まるため、警戒心も強くなります。

雄の牙は飼育されていても伸びますが、野生では削られず目立ちやすくなることがあります。

ただし、これは豚の遺伝子が数か月でイノシシの遺伝子へ戻ったという意味ではありません。

暮らしが体を変える

農場にいる豚は、決まった時間に餌をもらいます。

「ごはんだぞ」

豚は餌箱へ集まります。

山へ逃げれば、誰も呼んでくれません。

昨日食べ物があった場所に、今日もあるとは限りません。

柔らかい地面。
木の実が落ちる場所。
水を飲める場所。

一つずつ覚えなければ生きていけません。

暮らしが変われば、同じ一頭でも筋肉のつき方や毛の状態、行動は変わります。

都会で暮らしていた人が山仕事を始め、日に焼けて体つきが変わるのと少し似ています。

別の生物になったわけではありません。

生活に合った姿が目立つようになっただけなのです。

世代を重ねると野生向きになる

一頭の豚が生きている間に変わるのは、筋肉のつき方や行動など、ある程度までです。

しかし、その子どもや孫も山で暮らし続ければ、集団全体に変化が起こります。

白く目立つ個体は、外敵や人間に見つかりやすい。
脚の弱い個体は、遠くまで食べ物を探しに行けない。
警戒心の弱い個体は、捕まりやすい。

反対に、暗い毛を持ち、よく歩き、人の気配に敏感な個体は生き残りやすくなります。

そして、生き残った個体が子どもを残します。

これが何世代も続けば、山で暮らす豚の集団には、野生生活に向いた特徴が少しずつ増えていきます。

ただし、昔のイノシシへ戻ったわけではありません。

もともとは家畜として改良された豚です。

その豚が、今度は山で生き残れる姿へ変わり始めたのです。

家畜化を巻き戻しているのではなく、野生の環境に合わせて、新たな変化が進んでいると考えた方が近いでしょう。

森にいるのは、本当にイノシシなのか?

福島で逃げた豚

2011年、福島第一原子力発電所の事故により、周辺地域から多くの人が避難しました。

人のいなくなった農場では、飼育されていた豚の一部が外へ逃げたと考えられています。

柵を出た豚は、山や森へ入ります。

そこには野生のイノシシがいます。

逃げた豚。
森のイノシシ。

両者は同じ地域で暮らし、交配しました。

数年後、捕獲された動物の姿を見れば、多くは普通のイノシシに見えます。

黒い毛。
長い鼻。
引き締まった体。

「これはイノシシだ」

外見だけなら、そう判断してしまいます。

DNAが示した母方の祖先

研究者が調べたのは、ミトコンドリアDNAでした。

これは主に母親から子どもへ受け継がれる遺伝情報です。

東北地方で捕獲されたイノシシを調べたところ、一部の個体から家畜豚に由来する型が確認されました。

見た目はイノシシ。
暮らしている場所も森。

それでも、母方の祖先をたどると、飼育されていた豚へつながる個体がいたのです。

「豚なのか?」

「それともイノシシなのか?」

外見だけでは、簡単に答えられません。

ただし、家畜豚由来のミトコンドリアDNAが見つかったからといって、体のすべてが豚の特徴を持つわけではありません。

交配を繰り返せば、見た目や遺伝子の多くは野生イノシシへ近づきながら、母系の痕跡だけが残ることもあります。

柵の外でも境界は曖昧だった

人間は、動物に名前をつけます。

柵の中にいれば豚。
森にいればイノシシ。

売り場に並べば豚肉。
山で捕獲されればジビエ。

名前を分けると、別の動物のように見えます。

しかし動物の側には、そこまで明確な境界はありません。

逃げた豚は森へ入ります。
野生イノシシは農場の近くへ来ます。

出会えば、子どもを残すこともあります。

人間が引いた線を、豚とイノシシは簡単に越えてしまいます。

最後に

一頭のイノシシが、人間の捨てた食べ物へ鼻を近づけます。

「また来たぞ」

人間は追い払わず、少し離れた場所から見ています。

翌日も、その次の日も、イノシシはやって来ます。

やがて人間は餌を与え、柵の中で飼い始めました。

「こいつはおとなしいな」

「こっちは、よく育つ」

そうして人の近くで暮らしやすい個体が、何世代も残されていきます。

鼻は短くなりました。
体は丸くなりました。
毛の色も変わりました。

森を歩いていたイノシシは、長い時間をかけて、僕たちが知る豚の姿になったのです。

けれど、豚の前に土を置くと、すぐに鼻先を押しつけます。

「何かないかな?」

餌を十分にもらっていても、夢中になって地面を掘ります。

人間は豚の姿を変えました。
性格も、育ち方も変えました。

それでも、祖先が森で身につけた動きまで、すべて消すことはできなかったのでしょう。

農場にいる丸い豚の中には、今も地面を探るイノシシが残っています。

ひょっとしたら家畜とは、野生を失った動物ではなく、野生を残したまま人間との暮らしを覚えた動物なのかもしれません。

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