なぜ大人は万年筆にハマるのか?ボールペンしか知らなかった僕の世界がちょっと変わった話
はじめに

レジ横の文房具売り場で
コンビニのレジ横。
ガムと一緒に並ぶボールペンたち。
赤、青、黒。
3本で298円。
人生のメモは、だいたいここで書かれてきました。
一方、デパートの文具売り場。
ガラスケースの中で鎮座する万年筆。
値札は五桁。
店員さんは白手袋。
なんだか美術館みたいです。
「書く」という行為は同じなのに、どうしてここまで世界観が違うのでしょう。
ボールペンは日常。
万年筆は趣味人の道具。
そんなイメージを、僕たちはどこかで刷り込まれてきました。
でももし、その“面倒くさそうな高級ペン”が、実は一番ラクに書ける道具だったとしたらどうでしょう。
価値は、あっさりひっくり返ります。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
万年筆は「インクが歩いてくるペン」です

万年筆の正体は、ちょっと不思議な物理現象のかたまりです。
ペンの中にはインクのタンクが入っています。
そこからインクがペン先まで移動する仕組みは、モーゼが海を割ったわけでも、魔法使いが呪文を唱えたわけでもありません。
ただの「毛細管現象」です。
細い溝を液体が勝手に進んでいく現象。
植物が水を吸い上げるのと同じ理屈で、インクはペン芯の溝を伝って、先端へと歩いてきます。
さらに、インクが減った分だけ空気が入れ替わる「気液交換」という仕組みも働きます。
つまり万年筆は、
「インクが自分で歩いてくるペン」
という、ちょっと不思議で、なかなか賢い道具なのです。
だから筆圧はいりません。
紙にそっと触れただけで、インクは勝手に流れ出してくれます。
力を入れて書く人ほど、最初は驚きます。
「え、こんなに軽くていいんですか?」と。
ボールペンは「転がして塗るペン」です

一方のボールペン。
こちらはもっと直感的です。
先端に小さなボールが入っていて、それがクルクル回転しながらインクを紙に塗っていきます。
いわば、超極小ローラーです。
ペン先で紙をなぞるたび、ボールが回り、インクが転写されます。
だからボールペンは、ある程度の筆圧が必要になります。
押さないとボールが回らない。
回らないとインクが出ない。
油性、水性、ゲルとインクの種類は進化していますが、基本構造はこの「転がし方式」のままです。
頑丈で、どこでも書けて、メンテナンス不要。
まさに実務の戦士といったところでしょう。
書き味は、恋愛とだいたい同じです

万年筆とボールペンの違いは、スペックだけでは語れません。
書き味は、恋愛とよく似ています。
ボールペンは合理的な相手です。
いつでも安定していて、機嫌を損ねない。
突然インクが出なくなることも少ない。
約束の時間も守ります。
万年筆は気分屋です。
湿度、紙質、インクの相性で表情を変えます。
たまにすねてインクが出ません。
でもハマると、とんでもなく気持ちいいのです。
線に濃淡が出ます。
同じ「こんにちは」でも、書くたびに違う顔になります。
それを「味」と呼ぶか「ムラ」と呼ぶかで、
万年筆への評価は真っ二つに分かれます。
ある午後、カフェの片隅で

※この話はフィクションです。
万年筆をテーマにした短い小説です。
読み飛ばしても問題ありません。
午後三時。
窓際の席。
コーヒーの湯気。
キーボードの軽い音。
僕は万年筆のキャップを外しました。
カチリ。
紙に触れた瞬間、インクは素直に歩き出します。
サラ、と小さな音。気分は上々。
ところが一行目を書き終えたところで、隣の客が言いました。
「そのペン、展示品ですよ」
慌てて見ると、値札は五桁。
店員さんは白手袋。
僕は静かにボールペンを取り出しました。
世界は速さを取り戻し、請求書も現実に戻りました。
面倒くさいは、だいたい正解です

万年筆にはメンテナンスが必要です。
そう「面倒」の二文字です。
インクを替えるときは洗う。
違うメーカーのインクは混ぜない。
しばらく使わないと乾く。
……ええ、正直に言いましょう。
面倒くさいです。
完全に。
ボールペンなら替芯を入れて終わり。
何も考えなくていい。
脳みそはコーヒーのことだけ考えていればいい。
それでも、この「面倒くささ」が、万年筆を特別な道具にしてしまうのだから不思議です。
手入れをする。
道具と対話する。
たまに機嫌をうかがう(※擬人化が始まったら重症です)。
書く前に、キャップを外すというワンクッションが入ります。
この一手間だけで、文字を書く行為が少しだけ丁寧になります。
たったそれだけのことなのに、なぜか背筋が伸びる。
ペン一本で人は少しだけ“ちゃんとした大人”のフリができるらしいのです。(そういう意味では便利?)
用途で選べばいいだけの話です

正解は、どちらか一方を選ぶことではありません。
ボールペンは即戦力です。
会議のメモ、宅配のサイン、電話口の走り書き。
スピードと確実性が求められる場面では、ボールペンが最強です。
万年筆は相棒です。
日記、手帳、手紙、アイデアノート。
自分の時間に寄り添う道具として、これ以上の存在はなかなかいません。
スニーカーと革靴みたいなものです。
どちらが上かではなく、どこへ行くかの問題です。
初心者はだいたい同じ失敗をします

最初にやりがちなのが、
「インクを混ぜる」こと。
メーカーごとに成分が違うので、混ぜると詰まりの原因になります。
次に、
「放置する」こと。
しばらく使わないと、ペン先でインクが乾きます。
そして、
「力を入れすぎる」こと。
万年筆は押しつけるものではありません。
添えるだけです。
最初は戸惑いますが、慣れると戻れなくなります。
最後に

文字は、あなたの歩幅で進みます
ボールペンは速いです。
せっかち代表。
万年筆はゆっくりです。
のんびり代表。
でも、どちらも文字を運ぶ道具であることに変わりはありません。
ただ、万年筆はときどき耳元でこう囁いてきます。
「急がなくていいですよ」と。――誰だ、急かしてたのは。
インクが溝を伝って歩いてくるように、思考もまた、少し遅れて紙の上に現れます。
先に出てくるのはだいたい言い訳です。
書くことは、前に進むこと。
その歩幅を決めるのは、あなた自身です。
今日ポケットに入れるのがボールペンでも、明日引き出しから万年筆を取り出してもいい。
文字は逃げません。たぶん。
だから今夜も、ペン先だけは机の上で待機中です。

