中世ヨーロッパは本当に不潔だったのか?黒死病・教会・梅毒が変えた“入浴の真実”
はじめに

石造りの路地。
馬の蹄の音。
遠くで鳴る鐘。
映画なら、この時点で画面の向こうから“なんとなく臭そう”という先入観が漂ってきます。
「中世ヨーロッパ=不潔=風呂に入らない」
この図式、どこかで見たことがあるはずです。
三段論法としては整っています。
でも、かなり雑です。
そのとき、角の向こうから声が飛んできます。
「熱いぞー!浴場が熱いぞー!」
浴場?
中世なのに?
ここで前提が崩れます。
中世の人は風呂に入らなかったのではありません。
僕たちが想像している“現代型の風呂”に入っていなかっただけなのです。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
その伝説、湯船が前提になっています

「中世は1000年風呂がなかった」という話は、強い言葉なので広がります。
検索にも強い。
印象にも残る。
でも少し立ち止まって考えてみます。
「風呂=毎日バスタブに浸かる」という前提になっていないでしょうか?
中世の清潔習慣は、もっと現実的です。
・朝に手と顔を洗う
・洗面器と水差しで部分的に洗う
・髪は数週間ごとに洗う
・家に桶があれば湯を運んで入浴する
毎日温泉旅館のようにはいきません。
しかし「洗っていない」わけでもありません。
問題は、僕たちが“湯船中心”で物事を判断していることです。
中世の人が聞いたらこう言うでしょう。
「清潔の定義、狭くないか?」
ローマと比べると、だいたい皆が負けます

古代ローマには巨大な公衆浴場がありました。
水道、燃料、管理体制。都市のインフラとして完成しています。
これを基準にすると、中世はどうしても地味に見えます。
しかしローマ級の施設を維持するには、莫大なコストと安定した都市機能が必要です。
中世ヨーロッパでは、地域ごとに事情が違いました。
水を引く。
湯を沸かす。
施設を維持する。
どれも簡単ではありません。
「昔はすごかった」という比較はわかりやすいですが、それだけで“不潔”と決めるのは短絡的ではないでしょうか?
インフラの規模が違うだけで、生活が止まっていたわけではないのですから。
全身ドボンしなくても、人は清潔に暮らせます

湯を大量に使うのは、思った以上に贅沢です。
薪が必要です。
火は危険です。
水を運ぶのも重労働です。
だからこそ、部分洗いが合理的になります。
手、顔、首まわり。
汗をかきやすい場所を重点的に洗う。
限られた資源で最大限きれいにする。
「毎日湯船に浸かる」が絶対条件ではない。
そう考えると、中世の方法はむしろ実用的です。
公衆浴場は“社交場”でもありました

中世の都市には公衆浴場が存在していました。
パリやロンドン近郊には複数の浴場があったという記録もあります。
しかも浴場は、ただ身体を洗う場所ではありません。
食事をする。
ワインを飲む。
理髪やマッサージを受ける。
いわば社交空間です。
人は湯気の中でよく話します。
緊張がゆるむのでしょう。
清潔とは、衛生だけでなく“つながり”でもありました。
ここでイメージが変わります。
「中世の人、思ったより普通だな」
黒死病が空気を変えました

14世紀、黒死病(ペスト)が大流行します。
原因がわからない時代、人々は説明を求めます。
当時広まったのが、「有害なものが空気中にあり、毛穴から体内に入る」という考え方でした。
この理屈でいくと、入浴は危険です。
湯で温まる → 毛穴が開く → 病気が入る。
「風呂はやめたほうがいい」
今だと大胆な理論ですが、当時としては切実な防衛策でした。
恐怖は、生活習慣を簡単に変えます。
それは現代も同じではないでしょうか?
風紀と規制はセットでやってきます

浴場がにぎわい始めると、別の視線も集まります。
人が集まる。
裸になる。
食事もする。
酒も出る。
そうなると、こう言う人が出てきます。
「それ、本当に健全か?」
浴場はしだいに、快楽や性的放縦と結びつけて語られるようになります。
とくに禁欲を重んじる立場からは、警戒の対象になりました。
「楽しそうすぎる場所は、だいたい怪しい」
ただし重要なのは、これが社会全体の総意だったわけではないという点です。
聖人が入浴を避けたという逸話は強烈なので目立ちます。
しかし、それはあくまで理想像や個人の信仰の話です。
現実の社会では、医師が入浴の健康効果を語る例もありました。
つまり当時の人々は、「道徳的にどうか」と「体にいいかどうか」の間で揺れていたのです。
入浴をめぐる議論は、善悪の二択ではなく、価値観どうしの綱引きでした。
梅毒の流行が決定打になります

15世紀末から16世紀初頭、梅毒がヨーロッパに広がります。
人が集まり、裸になる場所は一気に警戒されます。
公衆浴場は「危険な場所」と見なされ、閉鎖が進みました。
ここで入浴は文化ではなく、リスクの問題になります。
「近づかないほうがいい」
その判断が、何世代もの習慣を変えていきます。
“清潔”の意味そのものが変わりました

16〜17世紀になると、清潔の基準が変わります。
水で洗うより、白いリネンの下着を頻繁に替えるほうが清潔だと考えられました。
汗や皮脂は布が吸い取る。
つまり、肌を洗うより衣服を替えることが重要だという発想です。
価値観は、状況に応じて静かに入れ替わります。
清潔は固定された概念ではありません。
日本では事情が違いました

同じ「中世」という言葉でも、日本の入浴事情はかなり様子が違います。
日本では、奈良・平安期から寺院での「施浴(せよく)」が行われていました。
僧や貧しい人々に入浴の機会を与えるもので、入浴は単なる清潔行為ではなく、功徳を積む善行と考えられていたのです。
つまり、湯に入ること自体が“よいこと”だった。
その後、蒸し風呂の形式が広まり、やがて湯船に浸かる形へと変化していきます。
室町時代には町中に風呂屋が現れ、江戸時代には銭湯文化が都市生活の一部として定着しました。
もちろん常に現代のような快適さがあったわけではありません。
しかし、入浴の習慣そのものが大きく途切れることはなかったのです。
ここから見えてくるのは単純な事実です。
「中世=世界共通で不潔」という図式は成り立たない。
文化は気候や宗教観、都市構造によって変わります。
同じ“湯”でも、ある場所では危険とされ、ある場所では徳を積む行為になる。
時代よりも、土地のほうがずっと雄弁だったのです。
最後に

湯気の向こうにいるのは、いつも人間です
「中世の人は風呂に入らなかった」という言い方は、印象に残りやすい表現です。
短くてわかりやすいぶん、強いイメージが先に立ちます。
実際には、入浴も洗う習慣もありました。
ただ、それが僕たちの思い描く形ではなかっただけです。
その違いが、いつの間にか「不潔な時代」という印象に変わってしまったのです。
疫病が広がれば、人は慎重になります。
宗教観が強まれば、行動の基準も変わります。
新しい理屈が広まれば、それが正しいかどうかにかかわらず、生活はそちらに寄っていきます。
「風呂は危ない」
「いや、体にはいい」
当時の人々は、その間で揺れていました。
それは決して特別なことではありません。
僕たちだって、安心できる説明を選びながら日々の習慣を決めています。
そう考えると、風呂という行為そのものも、ただ体を洗う以上の意味を持っているのかもしれません。
湯船に沈むと、外の音が遠のきます。
ニュースも、通知も、議論もいったん止まる。
残るのは、自分の呼吸と、静かな温度だけです。
考えてみれば、風呂は「清潔装置」でもありますが、「安心装置」でもあります。
時代が変わっても、その役割はあまり変わらない。
湯気の向こうにいるのは、いつだって、理屈に迷いながら生きている人間なのです。
おまけの4コマ


