槍を置いたら何してた?――中世ヨーロッパ歩兵の「戦ってない日」のリアルな暮らし
はじめに

中世ヨーロッパの歩兵、と聞いて頭に浮かぶのは、たぶんこんな光景です。
泥だらけ、歯を食いしばり、槍を握って「うおおお!」と突撃。
……うん、分かります。
分かるんですが。
それ、人生の中でも特にしんどい一日だけを切り抜いた場面なんですよね。
実際の中世歩兵はというと、戦場にいる時間より、
畑。
工房。
夜警。
この三択をローテーションしている時間のほうが、圧倒的に長い。
要するに彼らは、
昼は働き、たまに命がけで呼び出される人たち
でした。
しかも「たまに」の中身が戦争なので、ブラック企業どころの話ではありません。
それでも彼らは、畑を耕し、道具を直し、町を見回り、夜になれば酒場で一息つく。
この“戦っていない時間”にこそ、
中世の歩兵がどんな人たちだったのか、その正体がはっきり見えてきます。
槍を置いた瞬間、彼らは何者に戻るのか。
そのあたりを、気楽に想像しながら読み進めてみてください。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
ちょっと待って

■中世の歩兵は「同じ制服の集団」でも「戦争専業」でもない
ここで一度、深呼吸しましょう。
「中世の歩兵」と聞くと、
全員が同じ格好で、同じ暮らしをして、
同じテンションで戦場に向かっていた――
そんなイメージを抱きがちです。
が、それをやると話が盛大にズレます。
ズレたまま進むと、後半で全部ひっくり返ります。
普通に危険。
実際の歩兵たちはというと、
同じバスに乗っているだけで、
降りる駅も、行き先も、日常もバラバラ
そんな集団でした。
そして重要なのがここ。
彼らは「兵士になる前に」すでに生活者です。
戦争より先に、
畑があり、
工房があり、
町の仕事があります。
農民兵:畑が本業、戦争は不定期イベント

人数はダントツ。
普段は農民で、戦争のときだけ名前を呼ばれる人たちです。
朝は畑。
耕す、種をまく、収穫する、家畜の世話、柵の修理、薪集め。
書き出すだけで分かります。
休む隙、ゼロ
この生活のど真ん中に、
「今から出兵な」
が差し込まれます。
……いやいやいや。
畑が先に全滅しますが?
というのが正直な本音。
だから中世の戦争は、
農作業の“完全オフ日”を探すゲームのように、
畑仕事のスキマを縫って行われがちでした。
収穫がないと、領主も困るので。
都市民兵:職人がそのまま武装する世界

一方こちらは町の住人。
昼はパンを焼き、布を織り、鉄を打ち、石を積む。
で、鐘が鳴ると――
はい、本日城壁当番です
槍や弓を持って、そのまま現場へ直行。
ここで大事なのは、
武器は本業ではなく、
業務内容に追加されたオプション
という点です。
現代で言えば、
平日は会社員、
何か起きたら消防団
この感覚がいちばん近い。
「兵士」というより、
町そのものが武装している状態。
かなり現実的です。
屋敷付きの兵・傭兵:兵っぽいが、やっぱり平時は地味

城や屋敷で暮らす家臣団の兵は、
警備、雑務、使い走りがメイン。
いちばん“兵らしい”立場ですが、
実態は、
警備+雑用+たまに戦争
という地味な日常です。

傭兵はプロ寄りですが、
平時は契約待ちや警備、別の仕事。
戦争がないと困る
でも、戦争があると命が危ない
なかなか板挟み。
こうして見ると、
中世ヨーロッパの歩兵は
戦争のために生きていた人たち
ではありません。
生活を続けていたら、
その途中で戦争に呼ばれていただけ
そのくらいの距離感で捉えると、
彼らは急に“特別な存在”ではなく、
ちゃんと生活していた人間として見えてきます。
中世の訓練模様

■訓練はガチ勢とゆる勢が、同じ広場に集まる
ここで少し、
「中世の訓練」という言葉に対する期待を下げておきましょう。
毎日ストイックに素振り千本、汗だくで筋トレ――
そんな光景を思い浮かべた人、
それはたぶん別の時代か、別の世界です。
中世の訓練はもっと生活密着型。
ガチ勢もいれば、
「まあ、やらないよりは…」
という空気の人も混ざっていました。
弓の練習:イングランド名物(という扱いをされがち)

中世の訓練話で、どうしても登場してしまうのが弓。
特にイングランドでは、
弓術が奨励や義務とセットで語られることが多く、
結果として“弓の国”みたいな顔をすることになります。
イメージはこんな感じです。
礼拝が終わる → なんとなく人が残る → 気づいたら弓を持っている
「日曜は完全オフ」?
その概念、まだインストールされていません。
ただしここが重要で、
本人たちの感覚では
「訓練」というより
「いつもの流れ」
だった可能性が高い。
真面目に的を射る人もいれば、
当たらなくて笑われる人もいる。
ガチ勢とエンジョイ勢が、
同じ広場で共存していたわけです。
装備点検という名の、いちばん現実的な訓練

派手な剣さばきより、
実はずっと大事だったのがこちら。
- 武具は揃っているか
- それ、ちゃんと使えるか
という、非常に地味な確認作業。
現代で言えば、
試験前に勉強内容より先に
「ペンある?」「受験票ある?」と確認する
あの感じです。
これを怠るとどうなるか。
試験なら再受験で済みますが、
中世の場合は、
再チャレンジが存在しません。
点検は退屈。
でも、
退屈=生存率アップ
という、非常に分かりやすい法則が
ここにはありました。
さて問題です

■彼らはどうやって息抜きしていたのか
ここまで読むと、
いや、これ休む暇なくない?
と思った方もいるでしょう。
正解です。
とはいえ、人間は完全に張り詰めたままでは生きられません。
中世の人も例外ではなく、ちゃんと息抜きはしていました。
ただし条件があります。
- 金がかからない
- 持ち運べる
- その場にいる全員が巻き込まれる
この三拍子が揃ったとき、娯楽は最強になります。
酒場とサイコロ:人類がだいたい同じ過ちを繰り返す場所

圧倒的エース、それがサイコロ。
小さい。
軽い。
ポケットに入る。
そして――
負けると人生が傾く(重要)
盛り上がらない理由が見当たりません。
酒場で振る。
隣の人も振る。
見ている人も口を出す。
気づくと、
さっきまで知らなかった人と
人生を賭けた勝負をしている
不思議ですね。
当然、教会や当局は止めにかかります。
でも、
禁止される=流行る
この公式、
中世でもしっかり機能していました。
ボードゲーム:盤面は“用意するもの”ではなく“作るもの”

チェスや簡単な盤ゲームも人気です。
ただし中世では、
「ゲーム盤を持ってくる」
よりも、
「そこに彫る」
が正解。
石のベンチ、木の板、時には床。
現代なら確実に注意されます。
「備品を傷つけないでください」
中世?
「じゃあ、そこ彫ろうか」
この温度差。
遊びたい気持ちが先で、
場所は後からついてくる――
そんな大らかさがありました。
祭りと踊り:娯楽は“自分で探すもの”じゃない

中世の娯楽は、
「今日は何して遊ぼう?」と考えるものではありません。
今日は祭りです
以上。
祝祭日、宗教行事、市。
日付が来たら、勝手に始まります。
音楽が鳴り、踊りが始まり、
気づけば全員参加。
社交であり、連帯であり、
そして――
寒い時期に体を温めるという
きわめて実用的な意味
も、しっかり兼ねていました。
楽しむことと生き延びることが、
きれいに同じ場所にあったのです。
結論

■歩兵の平時は「戦争の待合室」だった
中世ヨーロッパの歩兵は、
- 農民であり
- 職人であり
- 町の住人であり
- そのついでに、兵
という、なかなか切り替えの激しい人生を送っていました。
戦争は、日常と完全に切り離された別世界――
ではありません。
実態はむしろ、
いつもの生活の合間に、
突然「命が重めの用事」が差し込まれる
そんな存在でした。
現代で言えば、
忙しい毎日の中で、
ある日いきなり
「明日から超重要案件、失敗したら即終了です」
と告げられるようなもの。
……いや、やっぱり比べるのはやめましょう。
中世のほうが、だいぶ重いです。
いずれにせよ、
彼らにとって戦争は“生き方”ではなく、
生活の延長線上にある、
できれば来てほしくない予定
だった――
そのくらいの距離感で捉えると、
中世ヨーロッパの歩兵は、
ぐっと人間らしく見えてきます。
最後に

サイコロを振る理由は、今も昔も同じ
彼らは畑の具合を気にし、道具の調子を確かめ、仲間と冗談を言い合い、
そして夜になると――はい、酒場。
今日も元気にサイコロが転がります。
なぜか。
明日がどうなるか分からないから
これに尽きます。
明日の保証が薄い世界では、
今日の楽しみは、ちょっとだけ大事になる。
いや、ちょっとじゃない。かなり大事。
それはきっと、
- スマホでガチャを回してしまう
- 帰り道に「今日はいいか」とコンビニで一品増やす
そんな私たちの行動と、
拍子抜けするほど似ています。
歴史は遠い。
時代背景も、服装も、衛生環境も、だいぶ違う。
……違うんですが。
人の考えていることは、
そこまで進化していない
という事実だけは、
どうやら中世から引き継がれているようです。
槍を置いた歩兵の姿を思い浮かべてみると、
中世は急に、教科書の向こう側ではなくなります。
さて、あなたは今日、何を楽しみにしますか?
サイコロで人生を傾けなくていい時代に生まれた幸運を、
ここでそっと噛みしめておきましょう。
おまけの4コマ


