【戦ってない時間のほうが長い】中世歩兵たちのリアルな人間関係
はじめに

剣を抜かない日のほうが、圧倒的に多かった
夜明け前です。
霧がかった草原に、くすぶる焚き火があります。
鍋の中では、具材不明のスープがぐつぐつ音を立てています。
肉なのか、野菜なのか、それとも昨日の残り物なのかは分かりません。
たぶん全員、あまり深く考えないようにしています。
歩兵は、今日も座っています。
昨日も座っていました。
おそらく明日も座っています。
立ち上がって何か劇的なことが起きる気配は、今のところありません。
戦争中です。にもかかわらず、敵はいません。
あるのは寒さと退屈と、隣で容赦なく響き渡る仲間のいびきだけです。
いびきはなぜか毎晩、敵より確実に襲来します。
――これが、中世ヨーロッパの戦争の日常でした。
私たちはつい「中世の兵士=剣と血と叫び声」という分かりやすいイメージを抱きがちです。
しかし実際には、戦闘の時間はごく一部で、ほとんどは待機し、移動し、野営する日々でした。
では、その長い「戦っていない時間」に、歩兵たちは何をしていたのでしょうか。
訓練でしょうか?
作戦会議でしょうか?
己を鍛える沈黙の時間でしょうか?
……いいえ。
答えは、もっと現実的です。
彼らは、人間関係に悩んでいました。
誰と同じ鍋を使うのか。
誰のいびきが限界なのか。
誰が給料袋をごまかしていないか。
そうした問題のほうが、敵より身近で切実だったのです。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
歩兵の人間関係は、だいたい三層で回っていました

ここで結論を先に言ってしまいます。
中世の歩兵たちの人間関係は、ノリや友情だけで成り立っていたわけではありません。
意外なほど、きっちり構造化されていました。
では、その構造とは何か。
答えはシンプルです。
縦・横・周辺。
この三層で、毎日の人間関係がぐるぐる回っていたのです。
難しそうに聞こえますが、要するに
「誰に逆らえないか」
「誰と一緒に飯を食うか」
「誰がいないと生活が詰むか」という話です。
急に分かりやすくなってきましたね。
- 縦(指揮系統)
隊長、古参兵、取りまとめ役。給料、処罰、戦利品の分配を握る人たちです。
機嫌を損ねると、翌日の自分がどうなるか、だいたい分かります。 - 横(同輩)
同郷、同じ雇い主、同じ鍋を囲む仲間。
良くも悪くも一番顔を合わせる存在で、いびき問題もここで発生します。 - 周辺(非戦闘員)
従者、商人、鍛冶屋、洗濯女、家族など。
普段は目立ちませんが、いなくなると即座に生活が破綻します。
この構造、どこかで見覚えはないでしょうか。
そうです。
現代の会社組織と、かなり似ています。
上司がいて、同僚がいて、経理や総務や外注先がいる。
誰か一人欠けただけで現場が回らなくなる。
中世でも、基本は同じでした。
戦っていない日はだいたい「揉めていました」

では、敵がいない日、歩兵たちは何をしていたのでしょうか。
剣の手入れでしょうか?
訓練でしょうか?
仲間と将来について語り合う静かな時間でしょうか?
……残念ながら、違います。
中世の軍隊には、驚くほど細かい軍規が残されています。
「仲間の荷物を盗んではならない」
「民家に勝手に入ってはならない」
「女性や非戦闘員に危害を加えてはならない」
どれももっともらしく、立派な道徳教材のように見えます。
しかし、ここで一つ冷静になって考えてみましょう。
なぜ、そこまで具体的に禁止されているのでしょうか。
答えは簡単です。
それが日常的に起きていたからです。
この軍規、実態としては人間関係の事故報告集でした。
「起きたことを全部書いたら、こうなりました」という感じです。
人は暇になると、問題を起こします。
中世でも、現代でも、これは驚くほど変わりません。
野営地では、鍋の取り分をめぐって空気が悪くなり、サイコロ賭博で声が荒くなり、戦利品の分配で険悪になります。
最初は言い合いです。
しかし、そのうち誰かが立ち上がります。
なぜ立ち上がるのか。
だいたい分かります。
そして殴り合いになります。
最悪の場合、翌朝の点呼で人数が合わなくなります。
だから軍規は厳しくなりました。
理想を語るためではなく、現実に対応するためです。
ルールがやたらと細かい組織ほど、現場が荒れている。
この少し身もふたもない真実は、どうやら昔から変わらないようです。
「仲良くなる」前に、まず一緒に祈ります

中世の軍隊で、人間関係の潤滑油として意外なほど重要だったのが宗教です。
遠征前のミサ、行軍前の祈り、聖職者による説教。
ここまで聞くと、「はいはい、精神論ですね」と思われるかもしれません。
ですが、少し待ってください。
これは気合や根性の話ではありませんでした。
生活リズムと秩序を作るための、かなり実務的な仕組みだったのです。
毎日同じ時間に集まり、同じ言葉を聞き、同じ動作をする。
たったそれだけのことですが、これが意外と効きます。
「あの人とは話したことがないけど、毎朝同じ祈りはしている」
それだけで、「完全な他人」ではなくなります。
現代で言えば、朝礼や定例ミーティングに近い感覚でしょう。
正直眠いですし、話の内容は毎回だいたい同じです。
しかし、やらないと一日が始まった気がしません。
祈りとは、心を清める時間であると同時に、「今から同じ集団として動きますよ」という合図でもありました。
つまり信仰は、信じるかどうか以前に、共同体を回すための現実的な装置だったのです。
友情よりも強かったもの「契約と給料」

ここで一度、少し夢を壊す話をします。
中世後期の歩兵たちは、意外なほど現実的でした。
というか、かなり現実主義です。
ロマンよりもまず生活、というタイプです。
彼らは契約によって雇われ、同じ雇い主、同じ給料、同じ罰則のもとで行動していました。ここまでは普通の話ですが、問題はその先です。
友情は、もちろん生まれます。
一緒に寒さに耐え、同じ鍋をつつけば、情も移ります。
しかし、それ以上に強く、確実で、裏切らないものがありました。
それが、給料が出るかどうかです。
正確に言えば、「同じ日に、同じ袋から、同じ基準で支払われる」という事実でした。
これが何より強い結束を生みます。
友情はケンカで壊れますが、給料日はなかなか壊れません。
これは現代の職場と驚くほどそっくりです。
多少気の合わない同僚がいても、「まあ、今月分までは…」と人は耐えられます。
中世の歩兵も、だいたい同じことを考えていました。……たぶん。
「戦友」という言葉は美しく、響きもいいですが、実態はもっと地に足がついています。
彼らは、理想でつながった仲間というより、生活を回すために一緒に働く同僚集団だったのです。
周辺にいる人たちが、実は軍を支えていました

ここで少し視線をずらしてみましょう。
軍と聞くと、どうしても兵士ばかりに注目してしまいます。
しかし実際の軍営には、兵士以外の人間が大量にいました。
洗濯女、料理人、商人、鍛冶屋、従者、そして家族。
この人たちがいなければ、軍は戦うどころか、生活すら成立しません。
剣は振れても、洗濯は勝手に終わりませんし、鍋も自動では増えないのです。
つまり、軍は最初から「大家族つきの職場」でした。
しかも出張先は野原です。
難易度が高すぎます。
だからこそ、女性や民間人に関する規定は、驚くほど細かく定められました。
性、嫉妬、暴力、妊娠
――人が集まって生活すれば、問題は必ず発生します。
中世も例外ではありません。
ここで誤解しやすい点を一つ整理しておきましょう。
規定が細かく、厳しかったからといって、そこが特別に立派だったわけではありません。
むしろ、「あらかじめ細かく決めておかないと毎日が破綻する場所だった」と考えたほうが、実態に近いでしょう。
軍紀とは理想論ではなく、「昨日起きたトラブルへの対応マニュアル」でした。
現場はいつの時代も、想像以上に生々しいものです。
遠征記が教えてくれる「温度」

規則が
「これをやるな」
「あれは禁止」
と冷静に線を引くものだとしたら、回想録はその横で
「まあ実際はこうだったんですけどね」と肩をすくめている存在です。
ジャン・ド・ジョワンヴィルの遠征記を読むと、そこに出てくるのは完璧な英雄ではありません。
仲間をからかい、上司に感心し、ときどき
「ああ、この人ちょっと面倒だな」と思っている、ごく普通の兵士たちです。
誰が勇敢だったかより、誰が話を長引かせたか。
誰が立派だったかより、誰が場の空気を微妙にしたか。
そういう細部のほうが、やたらと生々しく書かれています。
英雄譚というより、戦争という名の長期出張で交わされる雑談メモに近いと言ったほうが正確でしょう。
「あの時は大変だった」
「あいつ、相変わらずだった」
といった、後から振り返って笑うための記録です。
こうした記述を読むと分かります。
戦っていない日の軍営は、緊張と退屈と小さな感情が入り混じった、驚くほど人間らしい空間だったのです。
当時特有でありながら、どこか懐かしい関係

ここまで読んで、「中世って大変そうだなあ」と思った方もいるかもしれません。
ですが同時に、こんな感想も浮かんでいないでしょうか。
――あれ? これ、わりと見覚えがあるぞ。
中世の歩兵たちの人間関係には、たしかに時代特有の要素があります。
しかし不思議なことに、どれも完全な過去の話には聞こえません。
- 名誉と恥がすべてを左右する
評価が落ちたら居場所がなくなる。
形は違えど、プレッシャーの質は今も似ています。 - 戦利品が友情を壊す
成果や分配をめぐって空気が悪くなる。
人が集まれば、だいたい起きます。 - 最大の敵は退屈
忙しすぎるのも問題ですが、何も起きない時間は人を確実にこじらせます。
千年も前の話なのに、「まあ、分かる気がする」と思ってしまう。
それこそが、この話が他人事では終わらない理由なのかもしれません。
最後に

中世歩兵の共同体は「規律・金・退屈対策」でできていた
ここまで読んで、「中世の歩兵って大変だなあ」と思ったかもしれません。
でも、少しだけ考えてみてください。
彼らは剣を振り回す英雄というより、
退屈と寒さと人間関係に、毎日ちゃんと対応し続けた専門家集団でした。
焚き火のそばで笑い、賭け事で揉め、祈りで一息つき、
「今月分の給料はちゃんと出るのか」と考えながら明日を待つ。
こうして並べてみると、そこまで異世界の話にも聞こえません。
千年経っても、人間の悩みの種類は案外変わらないのかもしれません。
変わったのは、剣がスマートフォンになったくらいでしょう。
そう思うと、彼らの隣にそっと腰を下ろし、
「それ、何のスープですか?」と聞きながら、正体不明の中身を一口すすってみたくなりませんか。
たぶん味も、少しだけ想像がつく気がします。
おまけの4コマ


