昼は畑、夜は戦場──“兼業兵士”という生き方

はじめに
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「戦争ばかりしていた中世ヨーロッパ」というイメージ、ありますよね。
甲冑を着た騎士が四六時中戦っているような映画やゲームの印象。
でも実際には、常勤の兵士なんてほとんど存在しませんでした。
多くの兵士は“兼業”
──昼間は農夫や職人、必要があれば兵士として召集される人々。
いわば「週末ミリタリー」ならぬ「季節限定ミリタリー」だったのです。
ここでは、そんな“兼業兵士”たちの二重生活を、ユーモアを交えつつ、しかし史実に基づいてのぞいてみましょう。
※本記事はエンターテインメント目的で制作されています。

なぜ歩兵は“専業”ではなかったのか

封建社会の基本は「軍役=義務」といっても、365日戦場に出ろという話ではありません。
原則40日程度の軍役が一般的で、これを超える場合は賃金を支払って「延長勤務」してもらう仕組みでした。
つまり農繁期は畑を耕し、戦時には槍を持つ。
本職は農夫、副業は兵士、そんな感覚に近いでしょう。
現代でいえば「農協職員だけど、呼ばれたら自衛隊に出動」というイメージに近いかもしれません。
いや、アルバイトを掛け持ちしている大学生の方が、むしろ実感しやすいかもしれませんね。
召集の仕組み──王令・法令・都市のミリシア

「さあ戦だ! 全員集合!」
と言われても、人はそんなに簡単に集まりません。
そこで登場するのが法令や召集システムです。
- イングランド
1181年の「武装令」で財産に応じて武器を備える義務が課され、1285年の「ウィンチェスター法」で15〜60歳の自由民に装備検査と夜警義務が科されました。
要するに「年に2回は健康診断ならぬ“武器診断”を受けなさい」という制度です。 - フランス
ここでは「アリエール・バン(arrière-ban)」と呼ばれる広域召集がありました。
王が「家臣だけでなく家臣の家臣も呼んでこい」と命じられる仕組み。
ただし実際には「お金を払って免除」という選択肢もあり、財布の方が剣よりも強力だったこともしばしば。 - 低地諸国やイタリア都市
市民ギルドがミリシア(市民軍)を組織。
弓ギルドやクロスボウギルドは、仕事と祭りと軍事がごちゃまぜ。
これらのギルドはもともと職人や商人の互助組織でしたが、14世紀以降は治安維持や都市防衛にも動員されるようになり、射撃大会や宗教行事と軍事訓練が同じカレンダーに並ぶこともありました。
市庁舎の前で「ビール祭りの後は国防」なんて光景も珍しくなかったのです。
日常の軍事──日曜は弓、夜は見回り

「農夫=完全素人兵士」だったわけではありません。
日常の中に軍事訓練が組み込まれていました。
- 日曜アーチェリー
1363年、イングランド王エドワード3世は「日曜と祝日は弓の練習をしなさい」と布告。
現代なら「休日はジムで筋トレ義務」みたいなもの。サッカーより弓を引け、という法律です。 - 夜警(Watch & Ward)
春から秋にかけて、町や村では交代で夜警を行いました。
復活祭からミカエル祭まで、夜通し見張りに立つ制度です。
いわば「地域の防犯パトロール」と「自衛隊予備役」を足して2で割ったようなもの。
つまり、平日は畑仕事、休日は弓練習、夜は見張り。読者の皆さんも「休日出勤ばかり」と嘆くかもしれませんが、彼らも似たような生活をしていたわけです。
いくら貰えた?──“出稼ぎ”としての従軍

気になるのはやっぱり「お金」
14世紀イングランドの記録によると、
- 歩兵:日給2ペンス
- 弓兵(徒歩):3ペンス
- 弓騎兵:6ペンス
一方で、大工の日給は3ペンス、石工なら4ペンスほど。
つまり弓兵なら、腕のいい大工と同じくらいの稼ぎでした。
槍を握るかノコギリを握るか
──報酬面では大差なかったのです。
では、そのお金で何が買えたのでしょう。
地域や時期で差はありますが、ロンドン周辺では小麦パン1個がおよそ1ペニー。(この“ペニー”は単数形で、複数になると“ペンス”)
呼び方は違えど中身は同じです。
歩兵の日給2ペンスはパン2個、弓兵はパン3個分。
肉やエールを加えれば一晩の宴会で消える程度でした。
いわば「給料日はすぐ居酒屋に直行」の中世版です。
つまり生活にゆとりが出るほどではなかったものの、現金収入を得られる機会としては魅力的。
農作業より「遠征バイト」の方が手っ取り早い
──そんな発想が広がるのも無理はありません。
ただし「危険手当」は命そのもの。
ブラック企業のサービス残業どころか、請求書を出す前に戦場で倒れる可能性すらあったのです。
事例で見る“兼業兵士”

- フランドルの都市ミリシア
職人や商人が弓・クロスボウギルドに所属し、治安や防衛を担いました。
お祭りのパレードでは華やかな衣装、戦時には重騎兵を打ち破ることも(1302年・金拍車の戦い)
「ハンドメイド職人がタンクを撃退」という漫画みたいな展開です。 - イングランドの契約軍
百年戦争期には「インデンチャー」という契約書で遠征軍が編成されました。
何人連れていくか、給料はいくらか、期間は何カ月か
──細かく取り決められていたのです。
現代のクラウドソーシング契約に近いイメージでしょうか。
季節とキャンペーン──農繁期と戦争の折り合い

戦争は「季節限定イベント」でもありました。
兵糧や馬の飼い葉の関係で、夏から秋が遠征のピーク。
収穫前後は人手が足りなくなるため、長期戦には賃金で引き留めるしかありません。
農繁期と戦期のバッティングは、サッカーW杯と受験シーズンが重なるようなもの。
どちらも大事、でも両立は難しいのです。
よくある誤解Q&A

Q. 農民兵って、やっぱり素人同然?
A. 実はノー。
日曜の弓練習や夜警当番で、生活の中に小さな“軍事リズム”を持っていました。
いわば「毎週ジム通いで体を維持してる」くらいの基礎体力はあったのです。
Q. 一年中、戦場で戦っていた?
A. これもノー。
原則40日+延長契約が基本で、普段は畑や工房に戻っていました。
四六時中戦っていたら、ヨーロッパは耕作放棄地だらけになっていたでしょう。
Q. 市民ミリシアってお祭りサークル?
A. まさか。
もちろん祭りや儀礼で華やかな顔もありましたが、いざ戦となれば都市を守る頼れる部隊。パレードの衣装を脱げば、普通に“ガチ戦力”だったのです。
最後に

便利な戦争はない
“兼業兵士”たちは、命のリスクと生活の現実の間で揺れ動いていました。
昼は鍬を持ち、夜は槍を持つ。
彼らにとって戦争は「職業」ではなく「義務」や「出稼ぎ」であり、農繁期の合間に差し込まれる非日常イベントだったのです。
私たちの生活もどこか似ています。
昼は仕事、夜はSNS戦場
──そんな二重生活を送っている人も多いはず。
千年前の農夫兵士と、スマホ片手に深夜残業する現代人。
意外と近いのかもしれません。
便利な戦争はない。
だから人々は“兼業”で戦った。
そして便利すぎる現代の私たちも、もしかすると「戦ってばかり」なのかもしれません。
4コマ漫画「畑と戦場」
