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ピラミッドは、途中で曲がってしまった――約4600年前の大工事で、何が起きたのか?

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

途中から、角度が違う

約4600年前。

古代エジプトの砂漠に、巨大なピラミッドが建てられました。

高さは約105メートル。

ところが、このピラミッドには奇妙なところがあります。

下半分は、急な坂。

しかし、途中から突然、傾斜が緩やかになっています。

まるで、建設途中で誰かが設計図を書き換えたような形です。

その名も、「屈折ピラミッド」

実は、この奇妙な形には理由があると考えられています。

建設途中で、設計を変更したのです。

一体、何が起きたのでしょうか?

※本記事は考古学的研究を参考にしていますが、建設当時の状況には推測を含むため正確ではない情報の可能性があります。
また、本文中の人物名については、文章を読みやすくするため敬称を省略しています。

王様は、きれいなピラミッドを造りたかった

紀元前2600年ごろ。

エジプトを治めていたのは、スネフェル王。

後に巨大なギザのピラミッドを建てる、クフ王の父親です。

当時、ピラミッドは進化の途中でした。

それまで主流だったのは、階段状のピラミッド。

しかし、スネフェル王の時代には、表面が滑らかな四角錐の建設が進められます。

王の命を受け、巨大な建設工事が始まりました。

場所は、現在のカイロ南方にあるダハシュール。

目指すのは、天に向かって美しく伸びる巨大なピラミッドでした。

石を積むほど、問題が大きくなる

建設が進み、ピラミッドはどんどん高くなっていきます。

ところが、ここで問題が発生したと考えられています。

石が重すぎるのです。

ピラミッドは、石を積めば積むほど、下の部分に大きな重さがかかります。

しかも、内部には通路や部屋があります。

すべてが石で埋まっているわけではありません。

実際、屈折ピラミッドの内部には、石材の沈下や亀裂の痕跡が残っています。

2016年の建築研究では、これらの痕跡と設計変更の関係が詳しく検討されています。

設計図を書き直すしかない

当初の傾斜は、約55度。

この角度のまま上まで建設すれば、かなり高いピラミッドになるはずでした。

しかし、石を積み続ければ、それだけ重量も増えます。

そこで、設計が変更されたと考えられています。

「もっと、角度を緩くしよう」

もちろん、これは想像上のセリフです。

実際に誰が決断したのかは分かっていません。

ただし、エジプト観光考古省は、石材の過大な荷重によって構造が不安定になり、傾斜を変更したと説明しています。

工事は、そのまま進められたわけではなかったのです。

55度から43度へ

屈折ピラミッドの傾斜は、下半分が約55度、上半分が約43度になっています。

55度 → 43度

数字だけでは、あまり違いがないように思えるかもしれません。

しかし、ピラミッドでは大きな差になります。

急な角度のまま石を積むと、頂上は高い位置になります。

当然、そのぶん大量の石材が必要です。

ところが、途中から角度を緩くするとどうなるでしょうか?

斜面が横に広がるような形になるため、急な角度を維持する場合よりも、低い位置で頂上を完成させることができます。

つまり、上に積むはずだった大量の石材を減らせるのです。

石材が減れば、下の部分にかかる重さも軽くなります。

そのため、研究者たちは、建物の安定性を高める目的で傾斜が変更された可能性を考えています。

ただし、当時の設計者が実際にどのような理由で角度を変えたのかは、はっきり分かっていません。

現在残っている奇妙な形は、古代エジプト人が建設中に直面した問題と、その解決策を考える手がかりになっているのです。

中身も、何度か変更されていた

さらに奇妙なのは、内部の構造です。

屈折ピラミッドには、入口が二つあります。

一つは北側。

もう一つは西側です。

それぞれ別の通路を通って、異なる部屋へつながっています。

しかも、内部には床の高さを変更した痕跡もあります。

2016年の研究では、こうした特徴を分析し、建設計画が何度も修正された可能性が示されました。

ただし、設計変更の詳しい順序や原因には、まだ議論が残っています。

少なくとも、外側の角度だけが変更されたわけではなかったようです。

それでも、完成させた

工事の途中で、設計を変更する。

すでに積み上げた石は、簡単には動かせません。

しかも、現代のような大型クレーンもありません。

それでも建設は続けられました。

そして、ピラミッドは完成します。

下は急な坂。

上は緩やかな坂。

普通のピラミッドとは違う、奇妙な姿になりました。

しかし、その姿は約4600年後の現在まで残っています。

設計変更が、少なくとも建物を完成させるための一つの解決策になったことは確かでしょう。

王様は、もう一つ造った

話は、これで終わりません。

スネフェル王の時代には、近くにもう一つ巨大なピラミッドが建設されました。

その名も、「赤いピラミッド」

屈折ピラミッドから、およそ1キロメートル北にあります。

こちらは、途中で角度が変わっていません。

最初から最後まで、緩やかな傾斜が続いています。

その角度は約43度。

屈折ピラミッドの上半分と近い角度です。

以前の建設経験を、新しいピラミッドに活かした可能性があります。

ちなみに、赤いピラミッドはクフ王とカフラー王のピラミッドに次いで、エジプトで3番目に大きいピラミッドです。

では、曲がったピラミッドは失敗作なのか?

屈折ピラミッドは、よく建築上の失敗例として紹介されます。

確かに、設計は変更されました。

内部には、石材の沈下や亀裂も残っています。

しかし、失敗作と決めつけるのは少し早いかもしれません。

なぜなら、このピラミッドは今も立っているからです。

しかも、表面には当時の白い外装石が比較的よく残っています。

建築研究では、当初の計画と完成した建物の違いを調べることで、古代エジプト人がどのような問題に直面したのかを推測できます。

屈折ピラミッドは、単なる失敗の記録ではありません。

古代の建築技術が発展していく過程を、今に伝える建造物でもあるのです。

最後に

曲がったままで、4600年

約4600年前。

屈折ピラミッドを建てていた人々は、途中で設計を変更したと考えられています。

当初の計画どおりには進まなかったのかもしれません。

それでも、工事は続けられました。

そして完成したのが、あの途中で曲がったピラミッドです。

もし、最初の設計どおりに完成していたら、ほかのピラミッドと同じような形になっていたでしょう。

しかし、それでは建設中に何が起きたのか、今ほど多くの手がかりは残らなかったかもしれません。

計画どおりにいかなかった可能性があるからこそ、当時の人々の試行錯誤が見えてくるのです。

今では世界中の研究者が、あの曲がった部分を調べています。

なぜ角度を変えたのか?

どこに問題があったのか?

当時の設計者たちも、まさか4600年後まで自分たちの仕事が検証されるとは思わなかったでしょう。

しかも、注目されているのは、うまく造れた部分ではありません。

計画を変更したと考えられる部分です。

現代なら、工事が終われば設計変更の理由など忘れられてしまうこともあります。

ところが、このピラミッドは違いました。

4600年たっても、まだ設計変更の理由を説明させられているのです。

もっとも、責任者はとっくに退職していますが……。

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佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、無駄雑学などの小噺を発信しています。
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