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神々を呼んだマヤ文明は、なぜ衰退した?──石に残された儀式と湖底から見つかった真相

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

博物館に、古代マヤの奇妙な石彫があります。

そこに刻まれているのは、ひざまずく王妃。

王妃は自分の舌を傷つけ、トゲの付いた縄を引き通して血を流しています。

別の石彫では、その王妃の前に巨大な蛇のような存在が現れています。

しかも、

蛇の口の中から人の姿が現れている。

まるで何かを呼び出したような光景です。

これだけを見ると、

「マヤの人々は、儀式で神や何か特別な存在を呼び出そうとしていたのでは?」

と考えたくなります。

さらにそこから、

「そんな儀式が文明の崩壊に関係したのではないか?」

という話まで生まれました。

ところが、マヤの遺跡や土地に残された証拠を調べていくと、

文明を追い詰めたものとして現れてくるのは、

神々とはまったく別のものでした。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

石に刻まれていた奇妙な儀式

この石彫が見つかったのは、

現在のメキシコ南部にある古代都市ヤシュチランです。

王妃が自ら血を流している場面は、想像で作られたものではありません。

マヤの王族には、

自分の血を神々や祖先に捧げる儀式

がありました。

王や王妃は国を治めるだけでなく、

神々や祖先と人々をつなぐ存在でもあったと考えられています。

そのため、自らの血を捧げることにも大切な意味がありました。

そして、もう一枚の石彫に描かれているのが、

ヴィジョン・サーペント。

巨大な蛇のような存在です。

しかも、巨大な蛇の大きな口からは人のような姿が現れています。

これは祖先や超自然的な存在との接触を表したものと考えられています。

つまり、

現代の映画に出てくるような「召喚魔法」とは違いますが、

血を捧げ、異界の存在とのつながりを求める儀式そのものは本当にあったようです。

ここまでは、石に残されています。

では、

その儀式がマヤ文明を滅ぼしたのでしょうか?

その証拠は見つかっていません。

代わりに研究者が見つけたのは、

もっと身近で、

もっと逃げることの難しい問題でした。

湖の底に残っていた「雨が来なかった証拠」

1000年以上前に、どれくらい雨が降っていたのか?

普通なら分かりそうにありません。

ところが、

湖の底には、その記録が残っています。

雨が降る。
↓
土や成分が湖へ流れ込む。
↓
それが少しずつ湖底に積もっていく。

研究者は、その古い堆積物を調べました。

さらに洞窟の石筍(セキジュン)も分析します。

石筍とは、

洞窟の床から長い年月をかけて伸びる石の柱

のことです。

そこに残された成分から、昔の雨の量を推定できます。

すると、

古典期マヤの多くの都市が衰えていった時代に、

深刻な干ばつが何度も起きていた

ということが分かってきました。

研究によって推定には幅がありますが、

特に厳しい時期には、

雨の量が大幅に減っていた可能性があります。

巨大な都市には、大勢の人が暮らしています。

その全員が、

水を飲む。
食べ物を食べる。
畑では作物を育てる。

雨が来なければ、当然貯めていた水も減っていきます。

畑から取れる食料も減ります。

しかも一年だけではなく、

干ばつは何度も繰り返しました。

神秘的な石彫とは違い、

こちらは湖底や洞窟に残された、

実際の気候の記録です。

そして同じ時代、

別の場所にはさらに生々しいものが残されていました。

石碑には「焼かれた」と書いてあった

現在のグアテマラに、

ウィツナというマヤの都市がありました。

西暦697年。

この都市に大きな事件が起こります。

古代マヤの記録には、

ウィツナが敵によって

「焼かれた」

ことを示す文字が残されていました。

これだけなら、

戦いに勝った側が大げさに書いた可能性も考えられます。

しかし研究者たちは、

文字だけを見て終わりませんでした。

ウィツナの近くにある湖の底を調べたのです。

古い泥を取り出し、

時代ごとに調べていく。

すると、

西暦697年ごろの地層から、

大規模な火災が起きたことを示す大量の炭

が見つかりました。

石碑には、

「焼かれた」

という文字。

湖底には、

そのころ本当に何かが大規模に燃えた痕跡。

1000年以上たって、別々の場所に残された証拠が重なりました。

さらに火災のあと、周辺では人間の活動を示す痕跡も大きく減っています。

当時のマヤ世界では、

都市同士の争いが、

街そのものを大きく破壊することさえあった

と分かってきたのです。

神々より先に、人間の暮らしが限界を迎える

ここまで見つかったものを並べてみます。

湖底には、

干ばつの証拠。

石碑には、

都市が焼かれた記録。

その近くの湖底には、

大火災の痕跡。

マヤ文明の衰退は、一つの出来事だけで説明できるものではありません。

地域によって状況も違いました。

それでも、

雨が減る。
↓
水や食料を確保しにくくなる。
↓
都市国家同士の戦争も起きる。
↓
住み続けることが難しくなり、人が都市を離れていく。

そうした問題が重なり、古典期マヤの多くの都市が衰えていったと考えられています。

つまり、

文明を一夜で消した謎の事件が見つかったわけではありません。

生活を支えていたものが、一つずつ崩れていったのです。

そしてその跡が、今も地面や湖の底に残っているのです。

最後に

もう一度、

あの石彫を見てみます。

自ら血を流す王妃。

その前に現れる巨大な蛇。

1000年以上たった今でも、

強烈な光景です。

だから、

「マヤは何か恐ろしいものを呼び出したのではないか?」

という話が生まれるのも分からなくはありません。

けれど研究者たちが湖の底や地面を調べて見つけたのは、

怪物の痕跡ではありませんでした。

残っていたのは、

雨が来なかった跡。

そして、

人間が街を焼いた跡。

巨大な蛇は、今も石の中にいます。

一方で、かつて人々を苦しめた干ばつや戦争も、湖底や地層に痕跡を残していました。

そう考えると、

今後マヤ文明の終わりを想像するとき、

神殿から現れる怪物を探す必要はなさそうです。

本当に都市を追い詰めていたものは、もっと身近なところにあったようなので。

ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、無駄雑学などの小噺を発信しています。
どうぞ、ふらりと覗いてみてください。
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