修道士=静かでヒマ?→実は“夜中2時起床・私物ゼロ・常時呼び出し”の超管理生活だった

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

中世ヨーロッパの修道士。

石の廊下。

ロウソク。

写本。

サラサラ…。

静か。

とにかく静か。

——ここで一回、想像してみてください。

この人たち、ヒマそうじゃない?

ね?

……ですが、違います。

めちゃくちゃ忙しい。

え、なんで?

原因はこれ。

聖ベネディクトゥスの『戒律』

修道士専用の「生活ルールブック」です。

どれくらい細かいか。

朝はこの時間に起きる。

この時間に祈る。

この時間に働く。

この時間に読む。

この時間に食べる。

この時間はしゃべるな。

——もう気づいた?

一日が、全部スケジュールで埋まってる。

しかも毎日。

つまりこれ、

「自由な静かな生活」じゃなくて

「ずっと時間割どおりに動く生活」

学校の時間割ってあるじゃないですか。

1時間ごとに授業が決まってるやつ。

あれを想像してみてください。

で、それを——

夜中までやる。

しかも途中で寝て、また夜中に起きて続きやる。

——しんどくない?

しんどい。

さらに。

遅刻?

アウト。

呼ばれたら即行く。

作業中でも中断。

読書中でも中断。

畑でも中断。

——いや止まりすぎでしょ。

止まる。

なぜか。

祈りが最優先だから。

ここでやっと分かる。

静か=ヒマ

じゃない。

静か=全部管理されてる。

「静かな暮らし」ではなく

「静かに詰め込まれた生活」だったのです。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

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朝?いいえ、深夜スタートです

修道士の一日。

イメージはこうじゃないでしょうか?

朝起きる→活動する→夜寝る。

ですよね。

修道院。

でも違います。

まず、夜中に起きます。

だいたい2時とか。

——いやなんでその時間?

祈るためです。

これが最初の仕事です。

しかもこれ、特別イベントじゃありません。

毎日です。

で、祈りが終わるとどうなるか?

また寝るか、そのまま活動。

そして、朝になったら普通に一日スタート。

——もうこの時点で生活リズムおかしくない?

おかしい。

さらに。

日中も何回も祈りの時間が来ます。

そのたびに——

作業中?止める。

読書中?止める。

畑仕事?止める。

全部中断。

鐘が鳴ったら即移動。

——いや効率悪くない?

効率より優先順位。

祈りが一番上。

つまり一日の流れはこう。

「作業してたら祈りで中断→戻る→また中断」

これを何回も繰り返す。

会社で例えると

30分ごとに強制ミーティングが入る感じ。

しかもサボれない。

さらに深夜スタート。

逃げ道ゼロ。

祈る人たち。ただし、普通に肉体労働

修道士=祈り。

うん、合ってる。

でもそれは、半分だけ。

残りの半分は何しているのでしょうか?

残りは普通に働いてます。

畑を耕す。

野菜を育てる。

庭の管理する。

酒も作る(修道院、地味に酒うまい)。

子どもに勉強を教えることもあります。

そして、空いた時間に写本。

さらに読書。

そしてまた祈り。

——ちょっと待って。

これ一日でやってる?

やっています。

だから忙しいのです。

しかもここでルールが入ります。

『怠惰は魂の敵』

つまりどういうことか。

ボーっとしてる時間=アウト。

「ちょっと休憩しよ」

それ、精神的に負けてる判定。

——ブラックじゃない?

かなりブラック寄り。

しかも給料は出ない。

信仰というやりがいで動いてます。

写本してるだけ?

それ、よくある誤解です。

確かに写本はやります。

でもまずここ。

なんで写本してるの?

答え。

コピー機が無いからです。

——いや当たり前だけど大事。

本は全部、手で書くしかない。

聖書も。

祈りの本も。

昔の学問の本も。

全部。

つまり

誰かが書かないと、この世から消える。

——責任重くない?

重い。

だから修道士がやるのです。

祈りながら、正確に写す。

間違えたら削って作り直す。

また書く。

地味。

でも超重要。

で、その仕事。

優雅に見えませんか?

実態。

長時間。

前かがみ。

同じ姿勢。

目がやられる。

腰がやられる。

腱鞘炎になる。

——つまり?

静かな重労働。

高級デスクワークの見た目で、身体に来るやつ。

しかもミスできない。

——プレッシャーも強い。

ある意味、一番神経使う仕事だったりします。

食事、思ったより普通

食事は黒パン一枚と水だけだったりする?

違います。

もう少しちゃんとしています。

基本は一日二食(季節で変わる)。

昼と夕方。

メニューはこんな感じ。

パン。

温かい料理が二皿(スープや煮物みたいなやつ)。

野菜や豆。

果物が付くこともあります。

そして、飲み物。

ワイン、少量。

——あれ、普通の定食っぽくない?

近い。

ただしルールが入る。

四足の肉は基本NG。

牛・豚・羊は避ける。

——じゃあタンパク質どうするの?

魚や卵、豆でカバー。

ここ、地味にバランス取っています。

さらに。

量も決まっています。

パンはこのくらい。

ワインもこのくらい。

——おかわりは?

基本なし。

食べ過ぎ禁止。

酔うのも禁止。

ただし例外。

病人や高齢者。

ここは緩くなる。

——急に優しい。

つまり全体像はこう。

「質素だけど、ちゃんと食べる」

ガチの断食生活ではない。

でも好き放題でもない。

——どっちつかず?

いや、ちょうどいいところ。

禁欲はする。

でも倒れないように設計されてる。

修道院の食事、

気合いじゃなくて、ルールで管理されてる。

私物、ゼロ

修道士は

自分の持ち物を基本的に持てません。

本も。

ペンも。

服も。

全部、修道院から支給されています。

——え、なんでそんなことするの?

理由はシンプル。

全員同じ状態にするため。

お金持ちの出身でも、

貧しい出身でも、

持ち物で差が出ないようにするためです。

そしてもう一つ。

「自分のもの」に執着しないため。

——でも不便じゃない?

不便です。

だからこそルール。

必要なものは

院長(リーダー)が配る。

つまりこういう感じ。

会社で

パソコンも文房具も全部会社支給。

勝手に持ち込み禁止。

しかも私物ロッカーなし。

——だいぶ厳しい。

「これ自分のです」

は通らない。

勝手にあげるのもダメ。

もらうのもダメ。

——じゃあお気に入りのペンとか?

ありません。

完全共有。

ミニマリストが震えるレベル。

でもルールを破ると普通に問題。

つまりここ、

節約じゃない。

統制です。

沈黙。でも無音じゃない

修道院、基本ルール。

「無駄話をするな」

です。

ここ大事。

“しゃべるな”じゃない。

“無駄にしゃべるな”です。

——そうすると、どうなるのか?

必要なことだけ話すようになります。

祈りは声に出す。

仕事の指示も声を出す。

でも雑談はしない。

「昨日さ〜」とかありません。

完全カット。

——それ、どんな空気?

こんな感じ。

人はいる。

動いてる。

でも静か。

聞こえるのは

祈りの声。

足音。

紙をめくる音。

食器の音。

つまり

生活音だけが残る。

会話のノイズだけ消える。

——ちょっと待って、それ職場でやったら?

想像してみてください。

同僚いるのに誰も雑談しない。

必要なことだけボソッと話す。

あとは無音。

——気まずくない?
無駄が少ないのは良いのかもしれません。

でもやっぱりちょっと気まずい。

しかし修道院ではそれが普通。

沈黙は我慢じゃありません。

ルールなのです。

閉じてるのに、人が来る

修道院。

山奥。

静か。

外界と距離を取る場所。

——ここまで聞くと、ゆっくり休めそうですよね。

ところが。

人が来ます。

なんで?

ルールで「来た人は迎えろ」と決まっているから。

(客はキリストのように扱え、という発想)

——急にホスピタリティ強い。

来る人の種類。

旅人(泊まる場所がない人)。

巡礼者(聖地めぐり中)。

病人(治療や休養が必要)。

貧しい人(食べ物や助けが必要)。

そして

「来たら断らない」

——それって忙しくならない?

もちろん忙しい。

だから施設もそれ用にできているのです。

教会(祈る場所)。

回廊(移動の通路)。

食堂(みんなで食べる)。

寝所(修道士の部屋)。

客用の宿(外の人を泊める場所)。

薬草園(薬の材料を育てる)。

病舎(簡単な治療をする場所)。

——普通の家じゃない。

そう。

役割ごとに建物が分かれています。

中に入ると

「静かな村」みたいな構造。

修道士は中で祈りと仕事。

外から来た人は“別ルート”。

イメージしてみてください。

あなたは旅人。

門から入る。

そのまま——

客用の建物へ直行。

泊まる。

食べる。

具合が悪ければ病舎へ。

ここまでで完結。

——あれ、修道士どこ?

内側にいます。

回廊(修道士の通路)には入れません。

寝所にも入れない。

礼拝(祈り)の場所や時間帯にも入れない。

つまり

同じ敷地でもお互いが“会わないように作ってあるのです”。

駅でいうと

改札の外と内が混ざらない感じ。

——なるほど、ぶつからない。

そう。

外から来た人は外側を回る。

修道士は内側を回る。

交差しない。

——ではなぜそんな設計なのか?

祈りのリズムを壊さない。

でも来た人は助けなければいけない。

両立させると、こうなるということです。

——分業してるんだ。

してる。

だから成立する。

まとめると

修道院は

閉じた場所でありながら

外の人も受け入れる仕組みを持った施設。

——結局なんなの?

静かな顔をした、地域の拠点です。

寝方までルール

修道士の「寝る」も、ルールの中。

どんな感じか。

大部屋で並んで寝る。

——1人部屋じゃないの?

そんなものはない。

年長者が見ている中で、みんな一緒。

場所もだいたい決まっています。

灯りはつけっぱなし。

完全な暗闇にしない。

——なぜ?

夜中にまた起きるからです。

つまずかないため。

すぐ動けるようにするため。

そして、服。

着たまま寝ます。

——パジャマは?

ありません。

そのまま。

理由はシンプル。

夜の祈りで“すぐ集合”できるようにするため。

着替える時間、カット。

つまり

「寝る=完全オフ」じゃないのです。

「次の集合に備えて待機」

——それ休めてる?

休めてるけど、気は抜けない状態。

夜中に起きる→祈る→戻る→また寝る。

このサイクル。

合理的ではあります。

でも落ち着かない。

修道院の睡眠、

リラックスタイムというより

“次の祈りまでのインターバル”。

清貧なのに、でかい

まず前提として。

修道士“個人”は何も持ちません。

財布なし。

私物ほぼゼロ。

——じゃあ全体も貧しい?

ここが少し違うのです。

修道院“全体”は別。

土地、持ってる。

畑、持ってる。

建物、いっぱいある。

食料庫もある。

病舎もある。

——なんでそんなにあるの?

答えは寄付です。

貴族や富裕層が土地やお金を寄進する。

理由?

祈ってもらうため。

善行のため。

あと、家族の供養とかです。

だから増える。

土地が増え。

施設が増え。

結果、でかくなります。

——でも中の人は何も持たない?

そう、持たないのです。

ここがポイント。

“個人の所有”と“共同体の所有”が分かれています。

会社で例えると

社員は私物少ない。

でも会社はビル持ってる。

あの感じ。

まとめると

個人:ミニマム

組織:マキシマム

——矛盾してない?

してるようで、していません。

この仕組みで回っていました。

最後に

ここまで見てきた修道士の生活。

静か。

規則だらけ。

夜中に起きる。

私物なし。

雑談なし。

——正直どう?

ちょっとキツくない?

キツそう?

普通に生活したら、3日でギブアップしてもおかしくありません。

でも。

この生活をみんなやめませんでした。

むしろ増えていました。

何百年も続きました。

千年以上。

——なぜ?

楽だからじゃありません。

自由だからでもありません。

むしろ逆。

ガチガチに縛られています。

それでも人はここに来ました。

静かな場所で、

決められた通りに生きて、

同じ時間に祈って、

同じルールで暮らす。

それを選びました。

——不思議じゃありませんか?

かなり不思議。

でもそれが、中世の修道院。

ひょっとしたらその方が良いという人も意外に多かったのかもしれません。

さて。

あなたは夜中に起こされる生活。

自由なし。

サボり禁止。

スマホもなし。

そんな生活を続ける自信。

ありますか?

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