『キングダムカム・デリバランス II』が突きつける、“便利すぎる現代”への違和感

はじめに

「魔法もドラゴンもいない中世を、100時間以上も彷徨い続ける?」
そんな無茶なと思うかもしれません。
でも、その“無茶さ”にこそ、人は惹かれるのです。
『キングダムカム・デリバランス II』は、便利で、派手で、すべてが予定調和の現代的なゲーム設計とは一線を画します。
不親切、不自由、不格好──
普通ならマイナスとされる要素が、逆にプレイヤーの感覚を根本から揺さぶってくる。
それはまるで、目を覚ますような体験。
自分がいま、何を“自動化”してきたかに気づかされる瞬間です。
この記事では、この作品がなぜ「不便さ」を通して、こんなにも人を惹きつけるのかを、じっくり紐解いていきます。
※本記事はエンターテインメント目的で制作されています。
🕹 いま、あえて“遠回り”を選ぶ理由

“便利”に疲れたあなたへ
- 発売日:2025年2月5日(水)
- 対応機種:PS5/Xbox Series X|S/Windows(Steam・Epic)
- 価格帯:7,590円~8,090円(税込)
現代ゲームの多くが目指しているのは、効率・テンポ・親切設計。
しかし本作は、そこに真っ向から逆らいます。
- チュートリアルは最小限。迷うことが前提。
- マップにはヒントなし。目的地も自力で探す。
- 何度も試して失敗して、ようやく“自分のやり方”が見えてくる。
プレイヤーの“迷い”こそが、物語の一部。
現実の人生と同じように、すぐに答えは出ない。
だからこそ、ひとつの発見が深く刺さるのです。
この“遠回りを楽しむ”という設計が、なぜこれほどまでに魅力的なのか。
それは、「すべてが便利」になった現代人にとって、むしろ“戸惑うこと”が新鮮だからです。
🏹 無名の存在に宿るリアリティ

鍛冶屋の息子ヘンリーの物語
前作に続き今作も、主人公は鍛冶屋の息子ヘンリーです。
剣も魔法も使えず、血筋も才能も特別ではない。
そんな彼が、歴史の奔流に翻弄されながらも、ひとつひとつ選択を積み重ね、自分の物語を歩んでいきます。(前作の成長はヘンリーが死の淵をさまようほどの怪我を負ってなくなっています)
- 舞台の中心には実在の都市クッテンバークをはじめ、農村、修道院、山中の砦など、多様で変化に富んだロケーションが広がっています。
- NPC一人ひとりに生活リズムがあり、昼夜の行動が変化するため、街そのものが“呼吸している”かのように感じられます。
- 主人公は冒頭から無敵でも英雄でもなく、むしろNPCよりも弱く、貧しく、未熟な存在として物語が始まります。
世界が自分を中心に回っていない。
そんな“当たり前”が、ここでは強烈な違和感として機能します。
「なぜ誰も自分に注目しないのか」
──その孤独感すらも、このゲームでは大切な体験のひとつ。
その中で、時折起こるほんの小さな変化
──誰かが自分の名前を覚えてくれた。
村人が頼みごとをしてくれた
──そうした“些細な出来事”が、圧倒的な意味を持ちはじめるのです。
世界は主人公のためにあるのではなく、主人公が世界の一部になる。
この「他者中心」の設計が逆説的に、プレイヤーに“確かに生きている実感”をもたらします。
⚔ “慣れ”が通用しない世界

あなたの実力だけが武器になる
このゲームの戦闘では、「知っている」「慣れている」だけでは通用しません。
求められるのは、読み合い、体得、そして身体感覚。
- 攻撃と防御は上下左右+突きの5方向から繰り出される。
- 弓は照準なし。自分の“感覚”だけが頼り。
- 馬上からの射撃や、扱いの難しい火器まで多彩な武器が登場。
勝利とは、“覚えた操作”の先にある、“手応えある行為”の達成感。
敵を倒すたびに、「やっとできた」「これは自分の実力だ」と実感できます。
そして最も重要なのは、失敗の経験です。
一撃で倒され、弓を外し、馬から落ちる──
そんな無様な経験のひとつひとつが、次の成功への糧になる。
まさに、プレイヤー自身が“戦い方を覚える”というより“戦士になっていく”プロセスを体感できるのです。
🍞 戦うだけがRPGじゃない

“生活”が主役になる異色の没入感
このゲームの真骨頂は、戦闘よりも“暮らし”にあります。
- お腹が空けば弱るし、疲労すればパフォーマンスが落ちる。
- 汚れた服では交渉がうまくいかないし、体臭でNPCに嫌がられることも。
- 食べすぎれば逆に調子を崩すし、風呂に入らないと村人に避けられます。
つまり「リアルに面倒なこと」が、そのまま世界のリアリティを形作っているのです。
「快適に遊べるゲーム」ではなく、「手間を楽しむゲーム」
だからこそ、炊き出しの鍋をつつく。
ベッドでしっかり眠る。
泥まみれの服を洗う。
そんな“なんでもない生活”に、驚くほどの意味が宿る。
面倒を受け入れ、丁寧に暮らすことが、やがてこの世界での“信頼”や“敬意”につながっていく──。
この不思議な没入感こそが、『キングダムカム・デリバランス II』を唯一無二にしているのです。
📚 スキルは「学ぶ」のではなく「染み込ませる」

行動がすべてを決める世界
本作のスキル成長は、“知識”ではなく“経験”が育てる仕組み。
- 剣を何度も振っていれば、体が勝手に反応するようになり、剣術が自然と伸びていく。
- 会話の中で説得を繰り返せば、話し方や間の取り方が洗練され、話術が磨かれていく。
- スリや鍵開けも、失敗と成功を積み重ねることで、手の動きが冴えてくる。
「スキルとは、経験が体に残した“跡”である」
──このゲームは、それを思い出させてくれるのです。
数値の増減ではなく、「自分が何をしてきたか」がそのまま成長に反映される。
だからこそ、上達が嬉しい。
うまくいかなかった昨日の自分との違いが、確かに感じられる。
「レベルアップの通知」は出ないかもしれませんが、あなたの身体が、確実に変化していく。
それはまさに、“成長を生きる”という感覚です。
🧠 “正義の味方”では通用しない⁉

世界を動かすのは“行動の波紋”
このゲームには、誰もが納得する“正しい選択”など存在しません。
- 評判ひとつで、街の人々の態度がガラリと変わる。
- 服装や口調ひとつで、交渉の成否が分かれる。
- 「良かれと思った行動」が、誰かにとっては裏切りになることもある。
あなたの“つもり”と、世界の“受け取り方”がズレた瞬間、物語は大きく揺らぎます。
本作が問うのは、正義や悪ではありません。
問われているのは、「他者と共にある自分」のあり方。
どんなに崇高な動機でも、伝え方を誤れば信頼を失う。
逆に、不器用でも誠実な行動が、誰かの心を動かすこともある。
このゲームでは、世界があなたを映す“鏡”になるのです。
🎨 空気を“吸い込む”没入感

風景の中に存在している感覚
- 昼と夜、晴れと雨──天候ひとつで街の音も人の動きも変わる。
- NPCたちの一挙手一投足に“人間らしさ”が宿る。
無言のうなずき、すれ違いざまの視線──それすら演出になる。 - BGMは中世の民族楽器が中心。
旋律ではなく“空気そのもの”として世界に溶け込んでいる。
ただ“見る”のではない。あなたは、この空気の中で“呼吸”している。
このゲームのグラフィックや音響は、単なる美麗さではありません。
肌感覚や感情を揺さぶる「環境」そのものとして設計されているのです。
だからこそ、ひとつの丘に立ち、遠くの鐘の音を聴くだけで、なぜか目頭が熱くなる──
そんな瞬間があるのです。
これは“臨場感”ではなく、“その世界の一部になる”という、まったく別種の体験です。
🧭 プレイヤーの意志が道になる

自由とは、誰にも決められないこと
このゲームでは、メインストーリーとして明確な目標や目的は設定されているものの、その進め方や解釈にはプレイヤーの自由が大きく委ねられています。
- ある選択が、予期せぬ敵意を生むこともあれば、思わぬ信頼を得ることもある。
- 誰かを助けた結果、別の人物に恨まれることもある。
- 時には、何もせず立ち去ることが最善になる場合も。
「自分で選んだ」ではなく、「選ばずにはいられなかった」瞬間の積み重ねが、あなたの物語になる。
『キングダムカム・デリバランス II』は、RPGにありがちな“英雄の旅”ではありません。
どこに向かい、誰と関わり、何を信じて行動するか──
すべてを自分の意志で決めなければならないのです。
だからこそ、プレイヤーの意志がこの世界の“地図”になります。
そして、それはスクリーンの向こうではなく、あなた自身の中に刻まれるものなのです。
🪞 最後に

このゲームが突きつける“生き方”の輪郭
『キングダムカム・デリバランス II』が映し出しているのは、中世ヨーロッパの風景だけではありません。
それは、私たちが今の時代にどれほど“自動化”され、“選択の重み”を手放してきたかという鏡でもあります。
- 「便利すぎる社会」によって失われた、試行錯誤の自由
- 「最短ルートを選ばされる」ことへの違和感
- 「選んだ責任」と「行動が残す影響」に向き合う感覚
誰かに評価されることではなく、 自分が納得できる選択だったかどうか──
それこそが“生き方”の核心だと、気づかされる。
このゲームが本当に描いているのは、“騎士の物語”ではありません。
それは「あなたがどう生きたか」という、あなただけの中世記録。
だからこそ、最後に投げかけられる問いはこうです。
「この世界で、自分はどうありたかったか?」