なぜRPGはだいたい「村」から始まるのか問題 〜そのやさしさには理由がある〜
はじめに

ゲームを起動して、最初に立っている場所が「静かな村」だった経験、きっと一度や二度ではないはずです。
朝の光が差し込む家の前。
石畳の道。
のんびり歩くNPC。
遠くで聞こえるニワトリの鳴き声。
……そして思うわけです。
「いやいや、世界を救う話なのに、スタート地点が平和すぎない?」
魔王はどこ行った。
ドラゴンは。
世界の危機は。

しかし不思議なことに、私たちはその村を歩き回り、宿に泊まり、武器屋で最初の剣を買い、気づけばすっかりその世界に馴染んでいます。
実はこの「最初は村から始まる」というお約束、単なる伝統芸ではありません。
むしろ、めちゃくちゃ理にかなった“空間設計”なのです。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
村はだいたい「優しい顔」をしている

考えてみてください。
もしゲームを始めた瞬間、いきなり戦場のど真ん中に放り込まれたらどうなるでしょう。
・操作方法はよく分からない
・敵は強そう
・回復アイテムもない
・そもそも何をすればいいか分からない
これではいずれリタイアコースです。
人間は新しいことを学ぶとき、同時に覚えられる量に限界があります。
「敵の倒し方」と「地図の見方」と「アイテムの使い方」と「ストーリー設定」を一気に詰め込まれたら、脳みそはフリーズします。
その点、村は優しい。
敵はいない。
死なない。
財布も奪われない。
代わりにあるのは、
・歩き回れる道
・話しかけられる人
・泊まれる宿
・買い物できる店
つまり村は、ゲームの文法を翻訳してくれる「安全な辞書」みたいな場所なのです。
ここでプレイヤーは、戦わずして「世界の読み方」を学びます。
チュートリアルは説明書ではなく「体験教室」

多くの人は、チュートリアルの長文説明を読みません。
……読まないというか、飛ばします。
「はいはい、あとで読むやつね」と言いながら、そのまま一生読まれないやつです。
人は文章よりも、体験で理解します。
村の中で自然とやらされること――
・道を歩く
・人に話しかける
・お金をもらう
・物を買う
・宿で回復する
これらは全部「操作の練習問題」です。
しかもテストではなく、実習です。
但し、間違えても怒られないし、失敗してもやり直せる。
まるで自動車教習所の構内コースみたいなものです。
いきなり高速道路に出されたら誰でも事故ります。
まずはウインカーの出し方から、なのです。
村は「読める空間」でできている

村が優れているのは、説明文がなくても何となく分かるところです。
・看板があれば読むものだと分かる
・扉があれば入れると分かる
・店っぽい建物があれば売買できそうだと分かる
・宿っぽい建物があれば休めそうだと分かる
これはすべて「空間そのものがUI」になっているからです。
現実世界でも同じですよね。
赤信号は止まるもの。
自動ドアは近づくと開くもの。
レジに並べば会計できるもの。
村は、そんな“現実の感覚”をそのまま使える設計になっています。
だからプレイヤーは迷わない。
「何をすればいいか」を考えなくても、身体が先に動いてしまう。
これが優れたチュートリアル空間です。
JRPGの町は「学習の分割払い」

日本のRPGは、とにかく覚えることが多いジャンルです。
武器、防具、魔法、属性、ステータス、スキル、コマンド、アイテム、装備スロット……。
冷静に考えると、初見プレイヤーに優しくない情報量です。
そこで登場するのが「最初の町」です。
町は、これらの要素を一気に教えません。
まずは武器屋だけ。
次に防具屋。
その次に道具屋。
ダンジョンに行く前に、少しずつ世界の仕組みを体に染み込ませる。
いわば、学習の分割払いです。
いきなり全額請求されないから、心が折れない。
優しさは分割されているのです。
最初の村の朝

※ここからは、最初の村を歩いている気分を味わってもらうための短い情景描写です。
石畳を歩く。
カツ、コツ。
朝の光が家の壁に反射して、道はやけにまぶしい。
パン屋の前を通ると、いい匂いが……しそうな気がする(※実際は無臭)。
村人はにこにこしている。敵はいない。
「ここは安全だ」と脳が判断する。
――ところが、いざメニューを開くと、クエスト欄は空白。
マップは灰色。
持ち物は「たいしたことない剣」と「たいしたことない盾」と「申し訳程度のお金」
武器屋は言う。
「その先は危ないよ」
宿は言う。
「まずは準備してからね」
村人は言う。
「近道ならあっちだよ」
全員が親切そうで、全員が違うことを言う。
なるほど。
この村は“安全な場所”ではなく、“選択肢を三つだけ並べて『自由に選べ』と言い、どれを選んでも同じ道に合流させる場所”だったのだ。
上手な導入は、気分まで教えてくれる

良いチュートリアルは、操作だけを教えません。
ボタン配置を覚えさせつつ、同時に「この世界でどう振る舞えばいいか」まで仕込んできます。
この世界は明るいのか。
シリアスなのか。
笑っていいのか。
泣く話なのか。
その答えは、説明文ではなく音楽と色とセリフに全部書いてあります。
最初の村のBGMがのどかなら、肩の力を抜けという合図。
色がくすんでいたら、覚悟を決めろという予告編。
住人の第一声が軽口なら、ツッコんでいい世界。
重たい独白なら、静かに聞けという圧。
つまり、導入は操作説明の顔をした“空気読み講座”。
だから僕たちは、まだ何も始めていないのに、
もうその世界の住人として振る舞ってしまう。
気づいたら、ゲームに教えられているのは指の動かし方ではなく、気分の持ち方だった――と、後から分かるやつです。
最後に

それでも人類は村を出る
ずっと村にいたら安全です。
死なないし、迷わないし、敵も出ません。
税金も安そうです。
でも、それだと物語が一行で終わります。
「村で平和に暮らしました。完」
それはそれで幸せですが、エンディングロールが三秒で流れます。
だからプレイヤーは、剣を握り、門をくぐり、森へ向かう。
もちろん内心はこうです。
「え、もう行くの? さっき装備屋に入ったばかりなんだけど?」
それでも一歩を踏み出せるのは、村で
「分かった」
「できた」
「大丈夫だった」
という小さな成功体験を積み上げてきたから。
要するに、村は勇気を買いに行く場所。
同時に、ゲームの世界に入るための玄関口でもあります。
靴を脱ぎ、コートを掛け、深呼吸をしてから外へ出る
――そのための前室みたいな場所です。
その一瞬の安心があるからこそ、僕たちは「よし、行くか」と言いながら、内心ビビりつつも門をくぐれる。
背中を押すわけでもなく、引き止めるわけでもなく、ただ「準備はできた?」という顔で待っている。
静かで、親切で、そして少しだけ意地悪なスタート地点。
冒険は、だいたいここから始まるのです。

