日常のふしぎ
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なぜ13は不吉なのか?──エレベーターから消えた数字の正体

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

ニュースや映画で、「アメリカでは13階を欠番にするビルが多い」と聞いたことはないでしょうか。

日本のエレベーターではあまり見かけませんが、海外のホテルでは12階の次が14階になっていることが珍しくありません。

それを聞いたとき、「さすがに気にしすぎでは?」と思いつつ、どこかで納得してしまう自分もいる。

この感覚こそが、13という数字が単なる数以上の意味を背負わされてきた証拠なのかもしれません。

しかし冷静に考えると、13はただの自然数です。
13個の餃子も、13日の給料日も、本来は何の罪もありません。
それなのに、なぜ世界中でここまで嫌われてしまったのでしょうか?

この違和感そのものが、13という数字にまとわりついてきた長年の扱われ方を、よく表しているようにも感じられます。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

「13人目の客」はなぜ嫌われたのか

■物語が生んだ不吉

13が不吉だと言われる理由として、まず必ず登場するのが「13人で食卓を囲むと不吉」という話です。

このイメージの源流は、実は一つではありません

ひとつは北欧神話です。
12人の神々が宴を開いていたところへ、招かれざる13人目として悪戯の神ロキが乱入します。
結果、光の神バルドルは命を落とし、世界は破滅へと向かっていく。
まさに「空気を読まない13人目が全部壊す」展開です。

もうひとつが、有名なキリスト教の「最後の晩餐」です。
イエスと12人の弟子、合計13人で囲まれた食卓。
その中に裏切り者ユダがいた
──という物語は、13という数字に裏切りと死のイメージを結びつけました。

ただし重要なのは、これらが厳密な史実というより「象徴として語り継がれてきた物語」だという点です。

事実かどうかより、「そういう話が広く信じられた」こと自体が、13を不吉にしていったのです。

12はきれい、13ははみ出す

■数字にも見た目の好みがある

13が嫌われるもう一つの理由は、意外と単純です。

12が“ちょうどいい数字”すぎる、という問題です。

1年は12か月、星座は12、時計は12時間区切り、キリストの弟子も12人。
人類は長い時間をかけて「12で世界を区切る」ことに慣れてきました。

その完成された秩序の、ひとつ外側にあるのが13です。

整理整頓された棚から、1冊だけはみ出している本のような存在。
実害はないのに、なんとなく気持ちが悪い。
この「キリが悪い」という感覚こそが、13に対する原始的な拒否反応を生んだと考えられています。

人は合理的な生き物のようでいて、意外と見た目やリズムに左右されるものなのです。

「13日の金曜日」はいつ生まれたのか

■恐怖はパッケージ化される

13の不吉さを世界規模に押し広げた最大の功労者、それが「13日の金曜日」です。

キリスト教文化圏では、金曜日はイエスが処刑された日とされ、不吉な曜日と考えられてきました。
そこに13が合体すれば、もう不吉界のドリームチームです。

ただし興味深いのは、「13日の金曜日」が強く意識されるようになったのは、意外にも近代以降だという点です。
古代から人々がこの日を恐れていた、という確実な記録は多くありません。

映画や小説、メディアによって“最も不吉な日”として物語化され、繰り返し消費される中で、恐怖は定着していきました。

迷信もブランディング次第、というわけです。

テンプル騎士団の逮捕は本当に起源なのか?

■いかにも理由になりそうな歴史事件

1307年10月13日、金曜日。フランス王の命により、テンプル騎士団は一斉に逮捕されました。この日付だけを見ると、確かに不吉さの条件は揃っています。

そのため、この事件が「13日の金曜日」の起源だと紹介されることがあります。
ただ、話としては出来すぎている印象も否めません。

というのも、この出来事が起きた当時、13日の金曜日そのものが特別に恐れられていたという確かな記録が見当たらないからです。
後になってから、「いかにもそれらしい事件」として話の軸に据えられた可能性が高いのです。

人は点で起きた出来事を、そのままでは落ち着かず、一本の線にしたくなります。
意味のありそうな日付があれば、そこに理由を置きたくなる。
そうして歴史は、ときどき後ろから整理されていきます。

不吉は現実を動かす

■消えた13階と13列

13にまつわる話が興味深いのは、単なる縁起担ぎで終わらないところです。
噂話であれば笑って済みますが、この数字は現実の設計にまで口を出してきます。

海外のホテルやオフィスビルでは、13階が存在しない、あるいは12階の次が14階として表記されている例が珍しくありません。
飛行機でも、13列目をあえて飛ばす会社があります。
物理的には確かにそこにあるのに、番号だけが消えるという、少し不思議な扱いです。

もちろん、数字を省いたところで建物の高さも座席の数も変わりません。
それでも「表示しない」ことで安心できる人がいる。
すると事業者は、その安心を優先します。
結果として、迷信がコスト計算に勝つ場面が生まれるわけです。

不吉という感情は、気分の問題にとどまりません。
気づけば、図面の上でしっかり居場所を確保しているのです。

それでも13は不吉とは限らない

■文化が変われば意味も変わる

ところが話は、ここで一気に単純ではなくなります。

13を「できれば避けたい数字」と考える文化がある一方で、真逆の扱いを受けてきた地域も少なくありません。

たとえばイタリアでは、13は幸運の象徴として知られています。
賭け事やくじではむしろ歓迎される数字で、「不吉どころか縁起がいい」という評価です。

アメリカも同様で、建国の背景をたどると独立十三州というルーツがあります。
国章や1ドル紙幣をよく見ると、13に由来するモチーフがこれでもかと配置されています。
国家のアイデンティティとしては、かなり好待遇です。

さらにマヤ文明では、13は宇宙の秩序を表す神聖な数でした。
天界の階層や暦の周期にも組み込まれ、むしろ世界を動かす側の数字だったわけです。

こうして並べてみると、13そのものが不吉なのではなく、「13をどう扱ってきたか」が文化ごとに違うだけだと分かります。

数字は同じでも、意味づけは驚くほど自由なのです。

最後に

不吉は意味づけで増幅する

13という数字は、誰かを傷つけたわけでも、事故を起こしたわけでもありません。
数学的にはきわめて無害で、良いも悪いも持たない、ただの数です。

それでも長い時間をかけて、神話が語られ、物語が盛られ、心理が刺激され、社会がそれを採用していくうちに、「不吉」という役割を与えられてしまいました。
数字に罪はなく、意味づけだけが積み上がっていったわけです。

考えてみれば、13は少し不遇です。
12の完成度が高すぎたせいで、その隣に立たされた瞬間から、どうしても目立ってしまう。悪目立ちですが、本人は何もしていません。

次にエレベーターの表示盤や座席番号で13を見かけたとき、避ける前に一瞬だけ立ち止まってみてください。

そこにあるのは不吉さそのものではなく、人間が意味を背負わせる力の強さ
――その痕跡なのかもしれません。

ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、小噺を発信しています。
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