日常のふしぎ
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なぜ人は選択に疲れるとコーヒーを頼むのか?──無難の正体は脳と街に仕組まれていた

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

朝のコンビニ。
ガラスの自動扉を開けた瞬間、コーヒー豆の香りがふわっと鼻をくすぐってきます。

眠たい脳が「とりあえずこれでいい」とつぶやくより早く、あなたの手は紙カップをつかんでいます。

よく考えると不思議です。
世の中には緑茶も紅茶も、炭酸もスムージーも、名前が長すぎて注文するだけで一仕事なドリンクが山ほどあります。
それなのに、なぜ僕たちは迷うとコーヒーを選ぶのか?

コーヒーは本当に「無難」なのだろうか。
もしかするとそれは、味の問題ではなく、僕たちの生活そのものに組み込まれた“装置”なのかもしれません。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

国民的デフォルト飲料という名の巨人

統計によると、日本で「習慣的にコーヒーを飲む人」は7割を超えるそうです。
つまり10人集まれば7人は、だいたいコーヒー仲間という計算。

これを野球で例えるなら、コーヒーは国民的四番バッター。
出塁率も打率も高く、「困ったらコーヒー」という采配が自然に成立する。

しかも日本のコーヒー消費量は年間40万トン以上。
これはもはや嗜好品を超えて生活必需品的インフラのようです。
電気・ガス・水道・コーヒー。新しいライフラインに加えても誰も怒らないんじゃないでしょうか?(さすがに言い過ぎ?)

ここで重要なのは、「好きだから飲む」というより、「飲んでいないと違和感がある」状態にまで進化している点です。

人間は違和感を嫌う生き物です。
迷ったとき、脳は“多数派の道”を選びたがる性質があります。

コーヒーはその安心ゾーンにどっしり座っているのです。

コンビニは黒い液体の自動販売機

セブンカフェは2013年の発売開始から2025年までの累計で約90億杯、ファミマのコーヒーもサービス開始以降の累計で約31億杯に達しているそうです。

これは東京ドーム何杯分なのか、もはや計算する気力すら奪われる数字です。

日本には5万店以上のコンビニがあり、ほぼすべての角に「とりあえずコーヒー」が待ち構えています。
もはや街全体が巨大なコーヒーマシンと化しています。

しかも値段は100円前後。
高すぎず、安すぎず、「買ったことを後悔しないライン」を正確に突いてきます。

この価格を見ると、僕たちの頭は計算を始める前に体が動く。
「このくらいなら、まあいいか」と。
迷う時間も、後悔する余地も与えない設計です。

レジ横で一瞬のうちに決断が終わる
――それは数字の勝負というより、人の心の動きを読み切った仕掛け。

コーヒーの値段には、そんな“心理のスイッチ”が忍ばされています。

あなたはこう思ったことがないでしょうか?

「喉は乾いてないけど、なんかコーヒー飲むか」

このとき、あなたは欲望で動いているのではありません。
導線で動かされている。
レジ横にある黒い機械は、あなたの意思決定を短絡させる装置となっているのです。

脳は考えるのをやめたがっている

心理学には「意思決定疲れ」という概念があります。

人は一日に何百回も選択をし、そのたびに脳はすり減ります。
昼休み、会議前、仕事終わり。
判断力が落ちている時間帯ほど、「考えなくていい選択」が勝利しがち。

カフェのメニューをじっくりと見てください。
ラテ、モカ、キャラメルマキアート、ソイミルク変更、氷少なめ…もはや呪文。

そこで人は言います。

「コーヒーで」

選択を放棄したようで、実は最も賢い行動かもしれません。
なぜならコーヒーは説明しやすく、失敗しにくく、誰からもツッコまれないからです。

「え、なんでコーヒーなの?」と詰められることはあまりありません。
「水にしとけば?」と言われると、なぜか不安になってしまいます。

コーヒーには社会的免罪符がついている?…と思ってしまいます。

シャキッとした気がする魔法

ここで、ある朝のワンシーンを思い浮かべてください。

朝8時。
紙カップのフタを外す。
湯気がゆらりと立ち上り、苦味のある香りが鼻の奥を刺激する。

唇に触れる熱。
舌に残るわずかな酸味。
喉を通るときの温度。

その瞬間、頭の奥で「仕事スイッチ」がカチリと鳴る。

科学的に見ても、カフェインは覚醒作用を持ちます。
でも実はそれ以上に、「飲めば目が覚める」という期待そのものが脳を動かしているのです。

これは条件反射。
パブロフの犬がベルでよだれを垂らしたように、僕たちは紙カップで集中力を分泌しています。

コーヒーはもはや飲み物ではなく、儀式であり、呪文であり、お守りとなっています。

社会がコーヒーを要求してくる

「とりあえずコーヒーでも」

このフレーズは、仕事の潤滑油となっているんじゃないでしょうか?
会議前、打ち合わせ、雑談の入り口。
コーヒーは会話の緩衝材として機能しています。

水だと殺風景です。
お茶だと実家感が出ます。
ジュースだと子どもっぽい。
コーヒーはその中間にある、奇跡のポジション取り職人……と言えるのではないでしょうか?

しかも手に持っているだけで「何かしている感」も出ます。
何もしていない人より、コーヒーを持っている人のほうが、なぜか忙しそうに見えたり。

これは完全に錯覚ですが、社会はその錯覚を信じていたりします。

無難という名の高度な戦略

「とりあえずコーヒー」は、怠惰ではありません。
むしろ高度な適応戦略です。

人は失敗を避けたい。
極端な味、奇抜な色、未知の飲み物は、リスクが高い。

コーヒーはその逆です。
誰も怒らない、誰も驚かない、誰も止めない。
つまりコーヒーは、社会に最適化された飲み物だったりします。

それは、個性を消すことで生き延びたカメレオンのようでもあります。
目立たないからこそ、どこにでも入り込めてしまいます。

最後に

黒い液体は問いかける

僕たちはコーヒーを選んでいるつもりで、実はうまく選ばされているのかもしれません。

香り、値段、置き場所、習慣、そして「みんな飲んでるから」という空気。
そうした要素が静かに連携して、今日も紙カップは僕たちの手にすっと収まります。

あまりに自然すぎて、疑う余地すらありません。
疑う前にフタを開けてます。
僕もです。

でも、たまには立ち止まって、その黒い液体を眺めてみるのも悪くありません。

これは本当に「飲みたい」からなのか。
それとも「考えるのが面倒だった」からなのか。
どちらでもいいようで、どちらでもない気もします。

コーヒーは何も語りません。
ただ湯気を立てながら、こちらを見ています。
まるで「今日も無難を選びましたね」とでも言いたげに。
いや、被害妄想かもしれませんが。

沈黙の色をした一杯が、今日も僕たちの代わりに決断してくれる。

その温度を感じながら、少しだけ自分の選択に耳を澄ませてみる
――それくらいの余白があっても、コーヒーはきっと冷めません。

ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、小噺を発信しています。
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