スマホ時代に“インクで生き返る”——万年筆の世界をのぞくと意外に奥が深い話
はじめに

カフェのテーブルに、スマホが裏返しで置かれています。
画面は沈黙しているのに、指だけがそわそわして、何かをスクロールしたがっている。
そこであなたは、ペンを一本取り出します。
キャップを外します。
紙に先端を当てた瞬間
——「ぬるっ」とした抵抗が走り、インクがスッと伸びる。
……え、なにこの感触。
キーボードにないやつです。
万年筆って、正直「昔の人の道具」だと思っていませんでしたか?
大人の机に飾られてる“高そうな置物”、あるいは式典で署名するときにだけ出てくる儀式用アイテム。
ところが……。
万年筆は、いまでも“現役”どころか、むしろスマホ時代にこそ効きます。
便利さに慣れた指先を、いい感じに裏切ってくれるからです。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
まず、漏れます(昔は)

万年筆の歴史って、実はけっこう泥臭いです。
いきなり完成形がドーン、なんてことはありません。
よく引き合いに出される最初期の特許が、1827年。
ルーマニアの発明家ペトラケ・ポエナル氏が、フランスで取得したものです。
白鳥の羽を胴軸にしてインクを入れるという発想。
……ロマンは満点ですが、道具としてはだいぶワイルド。
というわけで、最初から「優雅にスラスラ」なんて世界線ではありませんでした。
現実はというと、
・漏れる
・止まる
・服が大惨事
三拍子そろったインク事故現場。
白シャツに青い星座が浮かぶ未来が、簡単に想像できます。
“携帯できるインク”という夢は確かに美しい。
でも当時の万年筆は、インクの自己主張がとにかく激しめ。
持ち主より先に、インクが前に出てくるタイプだったわけです。
道具は未完成。
でも、人間のロマンだけは完成していた。
ここから万年筆の長い修行の旅が始まります。
救世主は、保険外交員(1884)

万年筆を実用レベルに引き上げたヒーローとして語られるのが、ルイス・ウォーターマン氏。
肩書きは発明家……ではなく、まさかの保険外交員。
人生、どこに伏線が転がっているかわかりません。
1884年、彼は毛細管現象を利用したフィード(インクの通り道)を発明します。
これによってインクは「出すぎず、止まりすぎず」という、わがままボディをようやく卒業。
毛細管現象って、理科の授業で聞いたあれです。
ストローにジュースを入れると、勝手に上がってくるやつ。
万年筆は、その理科の実験をポケットサイズに凝縮した存在。
つまり“液体を操る小さな機械”。
ここで万年筆は、ようやく「インク漏れ職人」から「持ち歩ける筆記具」へと進化しました。
人類はこの瞬間、白シャツの未来を少しだけ守ったのです。
吸うって大事(1908→1929)

「書ける」ようになっただけで満足していたら、万年筆の進化はここで止まっていました。
でも人類は欲張りです。
次に欲しくなるのは、そう——“補給がラクなこと”。
1908年、ウォルター・A・シェーファー氏がレバー式吸入機構で特許を取得します。
ペンのお腹にちょこんと付いたレバーをパタン。
インク瓶に突っ込んで、ぎゅっと吸う。
スポイト不要。
机も汚れない。
指も青くならない。
……革命です。
日用品としての第一歩がここで踏み出されました。
そして1929年。
ここで登場するのがペリカン社。
ドイツの老舗万年筆メーカーです。
鳥じゃありません。
軸の後ろをくるくる回すと、内部のピストンが動いてインクをぐいーっと吸い上げる。
この差動ピストン機構が採用され、万年筆は「補給が楽しい道具」へと進化します。
インクを吸うだけなのに、なぜかちょっと気持ちいい。
気づくと無駄に回している。
インクはもう満タンなのに、まだ回している。
……その行為に意味はありません。が、満足感はあります。
ここまで来ると、万年筆は「漏れる道具」から「ちゃんと使える道具」へ。
進化の方向が、めちゃくちゃ人間的です。
最初は情熱で突っ走り、あとから生活に馴染む。
人もだいたい同じ道をたどります。
高級の象徴が生まれた(1924→2024)

万年筆が“文化”になった瞬間として語りやすいのが、モンブラン(ドイツの高級筆記具メーカー)。
マイスターシュテュック(モンブランを代表する万年筆シリーズ)は1924年に導入されたと公式に説明されています。
そして2024年、100周年。
「100年続く筆記具」って、冷静に考えるとちょっと不思議です。
スマホは2年で買い替えるのに。
なのに万年筆は、100年単位で「まだ好き」って言われる。
え、なにそれ、長寿すぎませんか。
しかも“現役”。
博物館に静かに眠るタイプじゃない。
今日もどこかの机で、カリカリ働いている。
この時点で、もうただの道具じゃありません。
だいぶ物語のある相棒です。
中身は、だいたい“理科”

万年筆の中身をのぞくと、だいたい理科です。
見た目は優雅、中身は実験室。
ギャップがすごい。
主役は3人……じゃなくて3パーツ。
- ペン先:紙に触れる先端。インクの出口担当。
- フィード:インクの流れを仕切る司令塔。
- インクタンク:インクをため込む貯水池。
インクは「勢いでドバッ」なんて出ません。
毛細管現象や表面張力のバランスで、じわじわ慎重派。
つまり万年筆の書き味は、気分ではなく物理の勝利。
……と理屈では分かっているのに、書いてる本人はなぜか感情で沼ります。
科学で説明できるのに、気持ちは説明できない。
この矛盾がまた楽しいんですよね。
書き味は、恋愛みたいに相性

万年筆の面白いところは、「同じ字幅でも違う」こと。
これ、最初はちょっとした事件です。
え、同じM(中字)なのに性格違いすぎない?と首をかしげるところから始まります。
金のペン先と、ステンレスのペン先。
現代では“滑らかさそのもの”より、しなり(弾力)や耐久性の違いが語られやすいです。
たとえるなら、ふわっと包んでくる人と、シャキッと支えてくる人。
どっちが良いかは、使う側の好み次第。
さらに言うと、ペン先だけで決まりません。
フィード × インク × 紙。
この三角関係で、その日の最高が決まります。
「このインク、最高!」とテンションが上がった翌日、別の紙で裏抜けして絶望する。
そう、万年筆はたまに裏切ります。
でも、その裏切りが「じゃあ次は別の組み合わせでいこう」と前向きな出費を正当化してしまう。
……いや、それはただの言い訳です。
でも楽しいから仕方ないですね。
五感が目を覚ます(小説)

※この話は万年筆をテーマにしたフィクションです。
夜。
男は部屋の明かりを少し落とし、ノートを開いた。
万年筆のキャップを外すと「キュッ」と小さな音がする。
なかなか良い演出だ、と男は思う。
紙に先端を当てる。
インクが伸びる。
静かだ。
世界が止まったような気がして、男は満足した。
スマホも鳴らない。
通知も来ない。
完璧だ。
——その瞬間、万年筆がポトリと机に転がった。
インクがにじみ、ノートに大きな黒い染みが広がる。
男はしばらくそれを眺めてから、つぶやいた。
「静けさって、だいたい後片付けが必要なんだな」
そして新しいページをめくり、またキャップを外した。
世界のメーカーは、性格が違う

万年筆を語るとき、メーカーの話はどうしても外せません。
だって、露骨に性格が出るからです。
人間だって国が違えば気質が違う。
だったら万年筆だって違って当然。
……むしろ似てたら怖いです。
- LAMY(ドイツ)
機能美と合理性のかたまり。机の上に置くだけで「仕事できそうな人」に見せてくれます。
中身は普通でも大丈夫です。 - Montblanc(ドイツ)
象徴性のかたまり。
持った瞬間に背筋が伸びます。
伸びない場合は気のせいです。 - Aurora(イタリア)
工芸と色気の担当。
字を書いているだけなのに、なぜか映画のワンシーンみたいになります。 - 日本のビッグ3(Pilot/Platinum/Sailor)
細字が得意で実用性抜群。
毎日使っても文句を言わない優等生タイプ。
“国で性格が違う”って、道具にしてはずいぶん人間くさい。
そして人は、気づくと性格の違う子たちを並べて眺めるようになります。
……ええ、コレクションの始まりです。
インク沼は、合法で危険

万年筆を始めると、だいたいこうなります。
1本買う
↓
「黒で十分」と言う
↓
青が気になる
↓
ブルーブラックが気になる
↓
気づいたらボトルが増える
この流れ、もはや様式美です。
止めようと思えば止められるはずなのに、なぜか止まらない。
冷蔵庫のプリンと同じ原理でしょうか。
明日でいいのに、今日いく。
インクは色だけじゃありません。
乾き、濃淡、にじみ、耐水性……ちゃんと性格があります。
「この子はサラサラ系」
「こっちはしっとり派」
などと、勝手にキャラ付けが始まります。
……ええ、まだ一本目なのに。
鉄胆(アイアンガル)インクもよく話題になります。
これは昔ながらのレシピで作られた、少しクセのあるインクです。
昔のものはペンを傷めやすいことで有名でしたが、いま売られている万年筆用は安全に改良されています。
ただし放ったらかしはNG。
長く入れっぱなしにせず、ときどき水で洗ってあげる必要があります。
要するに、鉄胆インクは「雰囲気は最高だけど、少しだけ手がかかるタイプ」
面倒を見られる人に向いています。
調整という名の“自分専用化”

ここから先は、沼の中でも少し深いところです。
万年筆は、買って終わりじゃありません。
ペン先をちょいと調整するだけで、別人ならぬ“別ペン”になります。
工業製品なのに、最後は人間が合わせる。
靴のフィッティングみたいな話ですが、サイズだけでなく“歩き方”まで見られます。
「このペン、合わないかも」と思っていたのが、調整後に書いた一行目で態度が一変。
あれ、急に分かり合えた?
昨日までのすれ違いは何だったの?
そして人は言います。
「これはもう、手放せない」
……その台詞、だいたい三本目でも言ってます。
なぜ今、万年筆なのか

万年筆の魅力は、とにかく「ゆっくり書けること」です。
いまの僕たちは毎日バタバタで、考える前に指が動いてしまいます。
万年筆で書くと、自然とスピードが落ちます。
ゆっくり、ていねいに、一文字ずつ書くことになる。
そのペースが、頭の回転とちょうど合うんです。
だからメモは「とりあえず残すもの」から「考えを整理するもの」に変わります。
日記も「今日あったことの記録」から「自分の気持ちをまとめる時間」になります。
つまり万年筆は、忙しい毎日の中で無理やり立ち止まらせてくれる道具。
ちょっと休憩しよう、と肩をたたいてくれる存在です。
……そりゃ気持ちよく感じます。
ゆっくり考える時間なんて、今の時代では立派なご褒美ですから。
最初の一本は、背伸びしなくていい

最初から高級品に行く必要はありません。
むしろ、最初は“気軽に使える一本”で十分です。
なぜなら、万年筆の最大の敵は「買って満足、使わず満足」だから。
……それ、ただの置物です。
書いて、洗って、また書く。
この往復運動に慣れてくると、道具はちゃんと相棒に育ちます。
気づけば「このペン、今日はご機嫌だな」なんて話しかけている。
自分で言ってて少し怖いですが、だいたいみんな通る道です。
字幅は迷ったらF(細字)かM(中字)。
インクは迷ったら黒かブルーブラック。
ここは冒険しなくて大丈夫。冒険は二本目からで間に合います。
そして、気づいた頃には——
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だらけになっているはずです。
それを人は、成長と呼びます。
……たぶん。
最後に

机の上に、一本のペンがあります。
今日も静かに出番待ち。
出勤してるのに、まだ仕事していません。
そのペンから伸びる線は、ニュースでも通知でもなく、あなたの時間の痕跡です。
……ちょっと格好つけすぎましたが、だいたいそんな感じです。
便利さは、探さなくても向こうからやってきます。
でも、じっくり考える時間は、自分でつかまえに行かないと逃げます。
手を動かして言葉を探す感覚は、思ったより手ごわい。
でも一度つかまえると、ちょっとクセになります。
インクは乾きます。
紙もそのうち黄ばみます。
でも書いた線だけは、しぶとく残ります。
万年筆は、未来に急ぐための道具じゃありません。
立ち止まる言い訳をくれる、ちょっとずるい相棒です。

