日常のふしぎ
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三分で幸福になる装置――なぜカップ麺は、こんなにも美味しく感じてしまうのか

佐藤直哉(Naoya sato-)
<景品表示法に基づく表記>当サイトのコンテンツ内には商品プロモーションを含みます。

はじめに

カップ麺という発明品

カップ麺とは、工業製品です。

……と書くと急にロマンが消えますが、事実なので仕方ありません。

乾燥させた麺。
粉末化された調味。
油で揚げた炭水化物。

要するに、
「小麦と油と塩を、最高に都合よく固めたもの」です。

それらを紙と発泡スチロールの器に詰め込み、
お湯を注げば三分で「ラーメンになる」という、
人類の怠惰を全力で肯定する食品です。

主成分は小麦と油と塩。
そこにグルタミン酸ナトリウムと核酸系調味料が加わります。
いわゆる“うま味”です。

このうま味、ただの味ではありません。

「まあまあ」「うまい」に格上げし、
「薄い」「ちょうどいい」に変換し、
「塩少なめなのに満足できる気がする」という錯覚までくれます。

脳に対する営業力が高すぎます。

さらに、揚げ麺の油。

保存のためだけだと思ったら大間違いで、
香りを運び、コクを作り、
「ちゃんと食べた感」を演出する名脇役でもあります。

つまりカップ麺とは、

「短時間で最大の満足を生むよう設計された、味覚の工業製品」

というわけです。

理屈で説明すると、そうなります。

──ここまで読むと、
なんだか研究室で作られた無機質な食べ物に見えますが、
実際はもっと泥臭くて、人間の弱さに優しい存在です。

深夜の裏切り

■それでも棚の奥に手が伸びる

なぜ僕たちは、こんなにもカップ麺が好きなのでしょうか?

深夜。
冷蔵庫を開けると、そこには豆腐と納豆。
健康意識だけは一人前のラインナップです。

「今日は大人しく寝よう」と思った、その瞬間。

棚の奥にいます。
あいつがいます。

カップ麺です。

見つけた瞬間の高揚感といったらありません。

「あ、今日は勝ったな」と思う自分。

いや、どこが勝ちなのでしょうか。

栄養バランス的には完全敗北。
体にいいわけがありません。
医者が見たら静かに首を振るやつです。

それなのに、
なぜか胸の奥が少しだけあたたかくなります。

三分待つだけで幸せになれるという、この安さ。

冷静に考えたら、
こんなに簡単に手に入る幸福が本物なわけがありません。

なのに僕は信じてしまいます。

なぜ人は、こんなにも簡単に騙されるのでしょうか。

いや、
騙されていると分かっているのに、
なぜ自分から騙されに行くのでしょうか。

しかもわざわざ棚の奥まで取りに行って。

誰に頼まれたわけでもないのに。

むしろ止める人もいないのに。

正体発覚

■脳をだます三分間のからくり

少し真面目に考えてみました。

カップ麺の正体は何でしょうか。

僕はこう思います。

カップ麺は、
「脳を“うまい気分”にする装置」なのではないか、と。

……装置て。

いや、でも本当にそうなのです。

味そのものより先に、香りが来ます。

フタを開けた瞬間。

湯気と一緒に立ち上がる粉末スープの匂い。
油の匂い。
ガーリックの匂い。
ネギの匂い。

ここで脳が言います。

「はいはい、もう分かりました。これは美味しいやつですね」

まだ一口も食べていないのにです。

人間の脳は、味覚よりも嗅覚に弱いようです。

匂いを嗅いだ瞬間、もう勝負は終わっています。

裁判でいえば、
証拠提出の前に有罪判決が出ている状態です。

脳内では「これは美味しいやつだ」という判決が先に出ます。

そしてその判決に、
舌が後追いで同意します。

「異議あり」と言う前に、
もうすすっています。

うま味は、その同意書に押される実印です。

気づいたら契約完了。

返品不可。

もう戻れません。

湯気の劇場

■キッチンで始まる小さな上演

さらに、油で揚げた麺。

ここで一度、落ち着きましょう。

これはただの乾燥した小麦です。

なのに、
熱湯をかけた瞬間から、
やたらと存在感を主張してきます。

熱湯を吸って戻る音。

「ジュワッ」という音がするだけで、
もう期待値が上がってしまいます。

なぜ音にこんなにも弱いのでしょうか。

箸で持ち上げたときの、
ぬらりとした重さ。

軽いはずなのに、
なぜか“ちゃんと食事している感”があります。

ずずっと吸い込むと、
熱い蒸気が鼻の奥を抜け、
舌に塩味とうま味が同時に広がります。

ここで脳が言います。

「はいはい、もう外食ですね」

いや、違います。
自宅のキッチンです。

それなのに、
口の中は一瞬でラーメン屋になります。

たった三分で、
脳は「外食した」という満足感を得ます。

コスパが良すぎます。

これはもう、食品というより、演出です。

ある夜のこと。

仕事が終わらず、日付が変わった頃。

部屋は静かで、エアコンの音だけがしています。

キッチンの電気をつけ、
ポットの湯を注ぎます。

ふたを閉めると、
ふにゃりとした発泡スチロールの感触が指に残ります。

この時点で、
もう半分は満足しています。

三分後。

ふたをめくると、
湯気がふわっと顔にかかります。

一瞬、息を止めます。

視界は白。

でも分かります。

そこにいます。

茶色い液体と、ふやけた麺が。

世界でいちばん簡単なごちそうです。

最後に

意志の弱さはスープに沈む

僕は分かっています。

塩分が多いことも。

油が多いことも。

体にいいわけがないことも。

……ここまで理解している人間が、なぜ今、箸を持っているのでしょうか?

でも、
箸を持つ手は止まりません。

止めようとする理性と、
「まあまあ今日くらいは」と言う本能が、
キッチンで小競り合いを始めます。

理性「やめとけ」
本能「三分だぞ」

本能が強いです。
圧倒的に強いです。

「今日はこれでいいや」と思いながら、
スープまで飲み干してしまいます。

ここでようやく気づきます。

あ、
証拠まで消してしまったな、と。

健康診断の結果より、
今この瞬間の幸福を取ってしまう判断力。

カップ麺は、
僕の意志の弱さを、
三分で可視化する装置です。

そして今日も僕は、
理屈より楽を選び、
豆腐を放置し、
カップ麺のふたをめくっています。

きっと明日も、
同じことをするでしょう。

反省はします。

でも買います。

分かっているのに。

美味しいからです。

ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、小噺を発信しています。
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