なぜ三日坊主になるのか?やりたいことが続かない人ほど、実はちゃんとした理由がある
はじめに

「よし、今日から毎日やるぞ!」
──そう誓った、その瞬間の自分。
あの人、やけにやる気だけはありましたよね。
で、三日後。
もはや別人格です。
ソファに深く沈み込み、スマホを握りしめ、裁判官のような顔で判決を下します。
「……今日は忙しかった。うん、忙しかった。これは不可抗力」
安心してください。
これはあなたがダメ人間だからでも、意志が豆腐だからでもありません。

世界のどこかで今この瞬間も、同じ自己弁護が量産されています。
もはや個人芸ではなく、集団競技です。
人はなぜ、あんなに本気で決意し、あんなに自然に忘れるのか。
なぜ「やりたい」という気持ちは本物なのに、体だけが動かないのか。
その理由を知ると、不思議なことが起きます。
今まで「自分がダメだから続かないんだ」と心の中で言っていたあのツッコミが、少しだけ違って聞こえてくるんです。
「……あ、これ性格の問題じゃなかったな」と。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
「21日で習慣化」という勘違い

まず最初に言わせてください。
全国の三日坊主経験者のみなさん、悪いのはあなたじゃありません。
問題の発端は、だいたいこのフレーズです。
「21日で習慣化する」
……誰が最初に言い出したんでしょうね、これ。
たぶん悪気はなかった。
でも結果として、多くの人をこう思わせました。
「え、もう3週間経ったのに全然ラクじゃないんだけど?」
そりゃそうです。

研究を見てみると、習慣が“勝手に回り出す状態”になるまでには、早くて2か月前後。
平均すると3〜5か月。
人によっては半年以上。
3週間?
まだ入口です。
たとえるなら、ジムに入会して3回行ったあとにこう言っている状態。
「すみません、まだ腹筋割れてないんですけど」
いや、割れる前に筋肉があなたの存在を認識してません。
3週間でラクになる前提そのものが、だいぶ無茶。
だから続かなくても当然です。
それは失敗ではありません。
まだ慣れていないだけ。
ここを勘違いすると、人は必要以上に自分を責め始めます。
本当は、時間の見積もりを間違えていただけなのに。
やる気はある。でも、やらない。それが人間

「やる気はあるんです」
はいはい、わかります。
そのセリフ、信用度はかなり高いです。
嘘ついてる感じ、ほぼしません。
実際、多くの場合“本当に”やる気はあります。
問題は別のところにあるようです。
人はよく、「やる気が出ないから動けない」と思いがちですが、順番が逆です。
心理学の世界では、「やるつもり」と「実際にやる」の間には、思った以上に深い溝があることが知られています。
専門用語で言うと“意図と行動のズレ”。
……難しそうに聞こえましたね。

でも中身はシンプルです。
やる気はある でも体が動かないということです。
これ、異常でも例外でもなく、初期設定です。
人はなぜか「あとでやろう」という便利な言葉を思いつきました。
しかも厄介なことに、その“あとで”は、ほぼ来ません。
永久欠番です。
引退しています。
それなのに、私たちはここで自分を責め始めます。
「意志が弱いからだ」
いやいや。
冷静に考えてください。
やるかやらないかを毎回“気合”で決める設計、そもそも無茶じゃないですか。
意志が試される状態に置かれている時点で、だいたい負け試合です。
脳はあなたの味方じゃない(少なくとも成長面では)

ここで少し、脳の話をします。
誤解されがちですが、脳はあなたの人生をより良くしようとか、夢を叶えようとか、そういう情熱は一切持ち合わせていません。
あるのは、たったひとつの方針だけです。
「今日を無事に、できるだけ省エネで終えろ」
この一点。
なので、新しいことを始めようとした瞬間、脳は即座に査定に入ります。
「それ、エネルギー使う?」
──使います。
「じゃあ却下で」
早い。判断が早い。

その結果、脳内ではこんな声が次々と上がります。
「今日は疲れてる」
「明日から本気出せばいい」
「今じゃなくてもよくない?」
しかもこれ、少数意見じゃありません。
脳内会議、全会一致です。
反対派ゼロ。
さらに厄介なのが、新しい行動は“考える部署”を使うという点。
この部署、非常に打たれ弱い。
スマホの通知一発で集中力が蒸発します。
なのに私たちは、そんな部署に毎回フル稼働を要求するわけです。
そりゃ続かないですよね。
あなたが弱いんじゃない。
設計上、そうなるようにできているだけです。
「気合で続ける」は、短距離走専用スキル

ここで、わりと残念なお知らせです。
「根性」
「意志力」
「気合」
この三点セット、見た目は強そうですが、長期戦になると一気にポンコツ化します。
スタートダッシュには使えます。
一日目とか、二日目とか。
三日目あたりで、息切れします。
「気合で続ける」というのは、
マラソン大会に全力疾走で突っ込んでいくようなものです。
周りからは一瞬だけ、こう思われます。
「うわ、あの人すごい!」
で、5分後。
「あ、もういないな」と。

一方で、なぜか続いている人たちがいます。
あの人たち、別に根性論者ではありません。
むしろ拍子抜けするほど、頑張っていない。
正確に言うと、
頑張らなくても、なぜか始まってしまう状態を先に作っています。
疲れていても、気づいたらやっている。
考える前に、体が動いている。
サボろうとしても、
「いや、もうそこにあるし……」となる。
勝っているのは、強い人ではありません。
意志を使わなくて済む配置を作った人です。
目標は「守るもの」じゃない。「作り直すもの」

続かないと、人はまず自分を疑います。
「決めたのに守れなかった……」
そう、おなじみの自己裁判です。
被告:自分。
罪状:意思薄弱。
でも、ここで一回だけ深呼吸してください。
よく考えてみると、
環境も、体力も、気分も、予定も、全部変わっているのに、
目標だけ初期設定のままって、冷静に見て無理ゲーじゃないですか?
むしろ、変えないほうが不自然です。
それなのに私たちは、
「最初に決めたから」
という理由だけで、目標を聖書みたいに扱い始めます。
破ってはいけない。
疑ってはいけない。
……いやいや。

うまくいく人たちは、もっと雑です。
- 目標を下げる
- 一旦やめる
- 別ルートに切り替える
これを、ためらいなくやります。
しかも、罪悪感ゼロ。
これは逃げではありません。
現実に合わせて調整しているだけ。
目標は信仰ではありません。
生活を良くするための道具です。
使いにくくなったら、
「ん?これ合ってないな」と直せばいい。
それだけの話です。
続く人が静かにやっていること

ここでようやく、
「じゃあどうすればいいんだよ」という声が聞こえてきます。
はい、もっともです。
ご安心ください。
ちゃんと現実的な話があります。
続いている人たちが、わりと地味にやっているのがこれです。
「もし◯◯したら、△△する」
名前はちょっと横文字ですが、中身は拍子抜けするほど単純。
いわゆるIf-Then。
- もし歯を磨いたら、ストレッチ
- もし帰宅したら、とりあえず運動着に着替える
ここで勘違いしないでほしいのですが、
彼らは“やる気が湧くのを待って”いません。
待っていたら一生来ないことを、もう知っているからです。

ポイントはひとつだけ。
迷わない状況を先に作ること。
人は決断に弱い生き物です。
「やる? やらない?」と考え始めた時点で、
だいたい負けています。
だから、考える前に始まるように決めておく。
意志を使わない。
気合も使わない。
その代わり、
「気づいたらもうやってた」を量産する。
続いている人たちは、ただそれを淡々とやっているだけです。
それでも続かなかったら?

ここで、また心の中から声がします。
「ほら見ろ。やっぱり自分はダメだ」
──はい、ストップ。
その判決、早すぎます。
続かなかった瞬間に、人格まで一緒に落とす必要はありません。
言うべきセリフは、これだけで十分です。
「この方法、合わなかったな」
以上。
落ち着いています。大人の対応です。

ここで「自分は意志が弱い」と言い出すのは、
靴擦れしたときに
「俺の足が悪いんだ」と反省するようなもの。
いや、靴です。
まず疑うのは。
続く人と続かない人の差は、才能ではありません。
違うのは、そこで何をするか。
自分を責めるか、やり方を見直すか。
それだけです。
最後に

三日坊主は、可能性の副作用
三日坊主は、だらしなさの証拠ではありません。
むしろ、
「ちょっとやってみたいな」
が人より多く浮かぶ、というだけの話です。
それは怠けではなく、好奇心です。
落ち着きがないのではなく、アンテナが立っている。
問題があるとすれば、続かなかったことではありません。
続け方を、誰からも教わらないまま大人になってしまったこと。
だから、また三日で止まってもいいんです。

そこで人生が終了するわけでも、才能が否定されるわけでもありません。
そのときは、深刻な顔をする代わりに、こう言ってください。
「いやいや、今はまだ助走中だからね」と。
自分にそう言える人は、ちゃんと前に進めます。
少なくとも、立ち止まったまま自分を殴り続けるよりは。
三日坊主は、失敗ではない。
そう考えられる人から、また一歩目が始まります。

