日常のふしぎ
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なぜ人は“外で生きる”ように進化したのに、家にこもりたくなるのか?――太古の脳が、現代の暮らしに追いつけない理由

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

太陽の子である私たちが部屋にこもる理由

人間の脳は、何百万年という長い時間をかけて狩猟採集の暮らしに合わせて進化してきました。

朝は太陽と一緒に目を覚まし、仲間と食料を探し、夕暮れには焚き火のそばで笑い合う。
そんな“外の世界で生きる前提”が、私たちの設計図には刻み込まれています。

ところが現代の私たちは、蛍光灯とスマホの光に照らされながら、ほとんど動かずに一日を終えます。

気づけば、太陽を見ないまま一週間が過ぎることもある。
安全で便利な暮らしを手に入れたのに、なぜか息苦しい。
そんな不思議な感覚を抱いたことはありませんか?

それもそのはずです。

私たちの脳は、いまだに“外で動き、仲間と関わる”ことを前提に働いているからです。静かで閉じた現代の生活は、その本能と真っ向からぶつかっています。
だからこそ、体は休まっているのに心が疲れる。

脳は、常に刺激と交流を求めてうずうずしているのです。

※本記事はエンターテインメント目的で制作されています。

150人の仲間の中で生きていた脳

人間の脳は、もともと150人ほどの仲間の中で生きるようにできています。

つまり、顔を思い出して「この人はどんな人か」をきちんと把握できる範囲がそのくらい、ということです。

これが「ダンバー数」と呼ばれるもの。
イギリスの人類学者ロビン・ダンバーが提唱した理論で、人が心から信頼できる関係を保てる人数には上限があり、それがおよそ150人前後なのです。

要するに、私たちの脳は“大規模社会”ではなく“小さな群れ”の中で最も心地よく動くようにできているのです。

昔の社会では、毎日顔を合わせ、協力し合い、助け合うことが生きることそのものでした。焚き火を囲んで笑い、狩りの成果を分け合い、子どもを一緒に育てる。
そうした“日常のふれあい”が、安心感と幸福感を生んでいたのです。

けれど今の私たちは、何百万人の都市や無限に広がるSNSの世界の中で生きています。

見えるのは無数の名前と投稿、そして絶え間ない情報の流れ。
フォロワーは増えても、心の温度は下がっていくばかりです。
まるで焚き火のぬくもりを忘れ、スマホの画面の光で暖を取っているようなものです。

私たちはいま、関係の「量」に囲まれながら、「質」を失っています。
誰かと本当に目を合わせて話す時間、笑い合う瞬間
──それが減るたびに、心のエネルギーは静かにすり減っていくのです。

夜が明るすぎると、心は眠れなくなる

狩猟採集民の夜は、本当に“暗闇”そのものでした

聞こえるのは虫の声と焚き火のはぜる音。
夜は自然と体を休める時間だったのです。

けれど現代の私たちは、夜でもスマホや街灯に照らされ、まるで昼の延長を生きています。コンビニの明かり、通知音、SNSのタイムライン
──どれも私たちの脳に「まだ昼だよ」と信号を送り続けています。

結果、脳は眠るタイミングを見失い、心は休む暇をなくしていく
寝ても疲れが取れない、なんとなく気分が沈む。
そんな不調の原因は、実は“夜の明るさ”にあるかもしれません。

本来、私たちの体は太陽の光を基準に動いています。
朝に10分だけ自然光を浴びるだけで、体内時計がリセットされ、睡眠リズムが整うことが科学的にも分かっています。

逆に、夜のスマホ光はそのリズムを乱し、メラトニン(眠りを誘うホルモン)の分泌を止めてしまうのです。

つまり、私たちは便利さの代わりに「闇を失った」生き物になってしまったということ。夜は本来、“次の日のための準備時間”

少し照明を落とし、スマホを手放し、静かな暗闇を取り戻してみましょう。
たったそれだけで、翌朝の心の軽さに驚くはずです。

動かない日々が、心まで固めてしまう

人間の体は、本来“じっとしていられない”ようにできています。

狩りをし、木の実を拾い、仲間と歩き回る
──そんな日常が、太古の人類にとっては当たり前でした。
歩くことが生きること、動くことが生存戦略だったのです。

でも現代ではどうでしょう。

朝から晩まで座りっぱなし。
仕事も食事も、娯楽さえも椅子の上。
もはや「動かないこと」がデフォルトになっています。

こうして体を動かさない時間が続くと、筋肉だけでなく心までもがこわばってしまいます。体の“停止信号”は、知らぬ間に心へも伝わってしまうのです。

とはいえ、ジムに通って汗を流す必要なんてありません。

むしろ大切なのは、“小さく動くこと”

1時間に一度立ち上がって背伸びをしたり、窓の外を眺めたり、軽く散歩したり
──それだけで脳は「生きている」と再確認します。

小さな動きが、心に酸素を送り、思考のスイッチを静かに入れ直してくれるのです。

現代の狩猟採集民として知られるハッザ族を対象にした研究では、彼らの総エネルギー消費量が現代人とほとんど変わらないことが分かっています。

ただし決定的に違うのは“動き方”
彼らは一日中こまめに立ち、歩き、体を使って過ごす。
動作の粒度が細かいのです。

要するに、「ちょっと動く」の積み重ねが、心と体を軽く保つ秘訣なのです。

便利さの裏で失ったもの

いまの社会は、驚くほど快適で安全です。

ボタンひとつで買い物ができ、リモートワークで通勤も不要。
誰にも会わずに、ほとんどのことが完結します。
けれど──ふとした瞬間に感じる、あの“ぽっかりした寂しさ”の正体に気づいている人はどれくらいいるでしょうか。

便利さの裏側で、私たちは人との「偶然の出会い」「何気ない会話」を失いつつあります。

エレベーターでの挨拶、コンビニでのやりとり、カフェでの小さな笑顔。
そうした一見些細なやり取りこそ、人間の心をやわらげ、孤独を遠ざけていたのです。

研究では、孤独は喫煙15本分の健康被害に匹敵すると言われています。
つまり、“誰かと笑い合うこと”は、最も身近で強力な予防薬なのです。

人とのつながりが心の免疫力を高め、ストレスを和らげ、人生を少し優しくしてくれます。

私たちはテクノロジーと引き換えに、人間らしさを少しずつ置き忘れてきました。
けれど、それを取り戻すのは難しくありません。

近所の人に声をかける、友人と食事をする
──それだけで、世界の輪郭がふっと明るくなるのです。

最後に

太陽の下で、もう一度息をしよう

外に出ることは、ただ気分を変えるための行動ではありません。
人間が本来持っている“生きるリズム”を取り戻すためのスイッチなのです。

朝の光を浴びると、脳は「一日が始まった」と感じ、体内時計がリセットされます。
風に当たることで呼吸は深くなり、心拍が整い、思考もクリアになっていく
──それはまるで、体と心が再び世界と“同期”する瞬間です。

もし最近、何もする気が起きない、外に出るのが億劫だと感じているなら、それは怠けではありません。
脳が少し疲れて、現実との距離を取りたがっているだけです。

そんな時は、無理に頑張る必要はありません。
ほんの少しでいいのです。
カーテンを開けて光を入れる。
ベランダに出て空を見上げる。
それだけで、世界はあなたに優しく話しかけてきます。

そして、太陽はいつも変わらずそこにあります。
あなたが外に出るのを、まるで古い友人のように待っているのです。

今日のたった一歩が、明日の自分を少し軽くしてくれる。
その小さな変化の積み重ねこそが、“生きる力”をもう一度思い出させてくれるはずです。

ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くのが好きで趣味にしている自称小説家です。
歴史や文化、暮らしの中の雑学を通した小噺を発信して、「したいことや好きな事」を発掘しています。
記事を読んでくださる方にも「したいことや好きな事」を見つけるきっかけになれば嬉しく思います。
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