日常のふしぎ
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テレビよりスマホ?Z世代が“チャンネルを変えた”本当の理由――「テレビ離れ」ではなく、“見方が変わった”時代のリアル

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

リビングの主役は変わったのかもしれません

「若者のテレビ離れ」という言葉をよく耳にしますが、実はちょっと違います。
彼らは“見ていない”のではなく、“別の場所で見ている”のです。

Z世代(1990年代後半〜2010年代前半生まれ)の人たちは、ドラマもニュースもバラエティもちゃんとチェックしています。
ただし、スマホで・自分のペースで・倍速で見ているのです。

英国の調査によると、16〜24歳の放送テレビ視聴は1日たったの33分。
一方で、YouTubeやTikTokなどの動画視聴は1時間半を超えます。

日本でも高校生のスマホ専用率は99%に達し、博報堂の調査ではスマホ接触時間がテレビを上回る状況が続いています。

つまり、テレビが“嫌われている”のではなく、使われ方のルールが変わっただけなのです。

Z世代にとって、テレビは大型のスクリーンではなく、スマホというポケットサイズの劇場になりました。

リモコンよりも親指が主役。
そこにあるのは、画面の大きさではなく、時間をどうデザインするかという選択なのです。

※本記事はエンターテインメント目的で制作されています。

時間の主導権はスマホに移りました

Z世代にとって時間は「切り分けるもの」ではなく「流れるもの」です。

LINEやSNS、動画など、1日のすき間を埋める存在がスマホであり、まるで呼吸をするように情報を取り入れています。

15秒の動画を3本見て次の予定に移る
——それがごく普通のリズムです。
だから、決まった時間にテレビの前で待つという行為は生活テンポに合わないのです。

彼らにとって“観る”という行為は受け身ではなく、“選ぶ”という能動的な時間の使い方に変わりました。

気になる部分だけを切り抜きで見るのは、時間をムダにしないための自然な戦略なのです。

「編成」という考え方がズレてきたのです

かつては夜9時にチャンネルを合わせるのが日課でした。

家族がリビングに集まり、同じ番組を一緒に笑って観る
——そんな時代が確かにありました。

でも今、Z世代は“自分の時間軸”で生きています。
TVerやYouTubeの倍速再生は彼らの生活リズムそのもの。

「今見たいものを今見る」ことが当然で、「時間に合わせて見る」なんて発想はすでに過去形です。

Z世代は「テレビが嫌い」なのではなく、「待たされるのが嫌い」なのです。

60分番組でも、彼らの集中は最初の10秒で決まります。
もし心を掴めなければ、スワイプ一つで次の世界へ。

彼らにとってテレビの“編成”とは、誰かが決めた順番に従うことであり、それが最も不自由に感じる瞬間なのです。

いま求められているのは、“放送の順番”ではなく、“感情の順番”
「次に何が来るか」ではなく、「次にどう感じたいか」で選ぶ時代になりました。

情報との出会いはアルゴリズムが導きます

Z世代にとって、“番組表”という概念はもう存在しません。

代わりにあるのは、SNSのレコメンド機能(ユーザーの視聴履歴や好みに基づいて自動的におすすめを提示する仕組み)です。
YouTubeのオートプレイやTikTokのFor Youページは、彼らの興味を先読みして次の動画を差し出します。

まるで「あなた、これ好きでしょ?」と話しかけてくるかのように。
「自ら探しに行かなくても出てくる」
——これがZ世代の“情報との出会い方”です。

テレビの名作も、彼らにとってはSNSの切り抜きやハッシュタグから偶然出会うコンテンツの一つに過ぎません。

つまり、発見の起点はチャンネルボタンではなく、タイムラインのスクロール。
視聴の主導権はテレビ局ではなく、アルゴリズムとユーザーの共創によって動いているのです。

さらに、Z世代は“おすすめされる自分”を楽しんでいます。
アルゴリズムが提示する無数の選択肢の中から、自分の好みや興味を再発見していく。

それはテレビの時代にはなかった、“自分を編集する感覚”なのです。

お金と才能は“時間が集まる場所”に吸い寄せられる

広告費は、今どこに人々の時間が流れているかを最も敏感に察知する存在です。

日本のインターネット広告費は3兆円を突破し、縦型動画やコネクテッドTV(CTV)への投資が爆発的に増えています。
スクロールの指先こそが、いまや経済の羅針盤なのです。

若者に人気のタレントや企画は、まずネットで生まれ、SNSで熱量を集め、その勢いのままテレビや映画へと逆輸入されていきます。

もはや「テレビが衰えた」のではなく、「主戦場が移った」のです。
コンテンツの重心は、“放送枠”ではなく“タイムライン”へ。
視聴率という数字より、再生数とエンゲージメント率が語る現実のほうが重くなりました。

NetflixもYouTubeもTVerも同じ画面に並ぶ今、テレビは一つのアプリに過ぎません。
しかしその一方で、どのプラットフォームも“物語”をめぐる競争をしている点では同じ。

Z世代はチャンネルではなく、共感できる世界観時間を投資しているのです。

「テレビをテレビで見ない」時代になりました

TVerの学生利用率は年々上昇し、すでに3割を超えています。

Z世代にとって「テレビを観る」とは、もはやリビングに座ってリモコンを握ることではありません。

ベッドの上でスマホを手に取り、イヤホンでニュースを聞きながら、朝の支度中に倍速でバラエティを流す。
そんな日常の一部に“テレビ”は自然に溶け込んでいるのです。

テレビ番組は“特別な娯楽”ではなく、“生活のBGM”になりました。
ニュースを聞き流しながらメイクをし、料理をしながらドラマの名場面をチラ見する。

彼らにとってコンテンツとは、「ながら」で楽しむもの
テレビはもはや“見る対象”ではなく、“共にいる存在”になっているのです。

そして何より象徴的なのは、スマホやタブレットといった新しい受像機でもテレビが成立しているという事実です。

TVerやYouTube、SNSの公式アカウント
——テレビの魂はハードを超えて広がり、Z世代の“スキマ時間”に息づいています。

テレビは場所ではなく、時間と習慣の中で脈打つメディアへと進化したのです。

それでも“テレビでしか味わえない瞬間”があります

どれだけスマホが進化しても、ライブ中継や生放送が持つ“あの瞬間の高揚感”は代えがたいものです。

スタジオの空気が張りつめ、誰かが息をのむ
——その一瞬を、視聴者も画面越しに感じ取れるのがテレビの魔力です。

SNSでは拡散できても、“リアルタイムで同じ瞬間を生きる”感覚までは再現できません。

たとえばW杯の決勝、紅白のサプライズ演出、災害報道の現場中継。

「みんなが同じ時間を共有している」という体験こそが、テレビが唯一無二であり続ける理由です。
Z世代もその瞬間をSNSで実況しながら参加しており、放送とネットがリアルタイムで融合する体験を楽しんでいます。

つまり彼らはテレビを捨てたのではなく、“テレビを新しい形で生き返らせている”のです。

番組を観る行為が、投稿し、語り合い、共感し合う“ソーシャル体験”に変わった。
これこそが、次のテレビ文化の姿なのかもしれません。

「テレビ離れ」は“進化”の別名です

「テレビ離れ」という言葉は、どこか寂しげに響きますよね。
でも実際には、それはテレビの終わりではなく、メディアの進化の途中経過にすぎません。

視聴スタイルが多様化し、Z世代がそれぞれのタイミングと場所でテレビコンテンツを楽しむようになっただけなのです。

テレビは“放送”という一方向の形式を超えて、映像コンテンツのエコシステムへと変貌しています。

公式の切り抜きやハッシュタグ、TVerでの見逃し配信、YouTubeでの公式チャンネルなど——そのすべてがZ世代との新しい接点になっています。

SNSでの拡散やコメントは、かつての“視聴率”に代わる新しい指標。
テレビはもはや「見るもの」ではなく、「参加するもの」になったのです。

そしてこの変化は、悲観すべきものではありません。
テレビがSNSや動画プラットフォームと手を取り合うことで、物語の寿命はむしろ延びているのです。

放送が終わっても、切り抜きが広まり、議論が生まれ、誰かのタイムラインで再び蘇る。
これこそが、現代の“テレビ文化”の新しい形なのです。

最後に

スクリーンが変わっても、物語は止まらないのです

Z世代がテレビを見なくなったのは、画面が小さくなったからではありません。
「自分のペースで選びたい」という、きわめて人間的な欲求の進化形です。

彼らはただ、テレビという“形式”から自由になっただけ。
映像を愛する気持ちまでは、少しも薄れていません。

私たちがすべきことは、「昔は良かった」と嘆くことではなく、彼らのリズムに合わせて再生ボタンを押すことです。

面白いものはどんなスクリーンでも輝きます。
リモコンの代わりに親指が、放送時間の代わりにアルゴリズムが選んでくれる
——それでも物語の力は変わらないのです。

今日も誰かがスマホの小さな画面で笑い、泣き、感動しています。
それこそが、令和の“テレビを観る”という行為の真の姿。

スクリーンがいくつに増えても、人が物語を求める本能だけは変わらないのです。

ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くのが好きで趣味にしている自称小説家です。
歴史や文化、暮らしの中の雑学を通した小噺を発信して、「したいことや好きな事」を発掘しています。
記事を読んでくださる方にも「したいことや好きな事」を見つけるきっかけになれば嬉しく思います。
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