AI時代にお守りが売れる理由
はじめに

朝の通勤ラッシュ。
ぎゅうぎゅうの車両から、人々がホームへと吐き出されます。
片手にはスマホ。
もう片手には、さっき買ったコンビニコーヒー。
自動改札にICカードをかざす直前、人の流れが一瞬だけゆるみます。
そのとき、胸ポケットにそっと触れ、小さな袋をぎゅっと握る人がいます。
そう、お守りです。
仕事のプレゼン前。
試験の前。
告白の前。
なぜか“いつもより丁寧に靴ひもを結ぶ日”はありませんか?
そして多くの人が、こう言います。
「別に信じてないけど、一応」
この「一応」こそ、人間の正体をよく表しているのかもしれません。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
不安に効く、無料アプリ

迷信は世界そのものを変えるわけではありません。
変わるのは、僕たちの心拍数です。
不確実性が高いとき、人は「自分はコントロールできている」という感覚を欲しがります。
面接。
試合。
初デート。
相手の気分も、運も、未来も読めません。
そんなとき、脳内で小さな会議が始まります。
「何かできることはない?」
「とりあえず、いつものルーティンをやっておこうか」
「よし、お守り。靴ひもは二重。これでいこう」
迷信は、いわば心理的なアプリのようなものです。
起動は一瞬。
副作用は少なめ。
そして、安心を“ほんの少し”与えてくれます。
脳は、意味を貼りたがる

たまたま合格した日に使っていたペン。
たまたまうまくいった日に着ていたシャツ。
すると脳がささやきます。
「つまりは……ペンのおかげだ」と。
人間は偶然があまり得意ではありません。
意味のない出来事に、意味を貼ろうとします。
AのあとにBが起きると、「AがBを起こした」と感じやすいのです。
これは単なるバグではありません。
むしろ、生き延びるための装置でもあります。
理由のない世界は不安です。
だから脳は、とりあえず理由を用意します。
「効いた気がする」は、案外あなどれない

お守りを持つ。
安心する。
肩の力が抜ける。
集中できる。
結果が出る。
ここまで来ると、迷信は世界を直接変えなくても、自分を変えていると言えます。
しかも人は、こう言いながら実行します。
「信じてないけど、やる」
理性はスーツのようなもの。
感情はジャージのようなもの。
同じ部屋に住んでいて、どちらも追い出すことはできません。
でも、ここからが大切です

迷信には大きく分けて二つあります。
① かわいい迷信
・験担ぎ
・ルーティン
・気持ちを整える儀式
人生の七味のような存在です。
少しあったほうが、味わいが出ます。
② 危ない迷信
・健康判断を丸投げする
・投資を丸投げする
・高額な課金を求める
・外れたときに説明が変わる理屈
見分け方はシンプルです。
それは「不安」をエサにしていませんか?
安心をくれる迷信は優しい存在です。
しかし、不安をあおって依存させるものは、もはや迷信というより商売です。
ここには、はっきりと線を引いてよいのだと思います。
なぜAI時代に増えて見えるのか

僕たちはいま、答えがすぐに手に入る世界に生きています。
検索すれば答えが出る。
AIに聞けば整理してくれる。
データは未来を予測してくれる。
それでも——
不安だけは、消えません。
合理性が強まるほど、説明しきれない感情が浮き彫りになります。
科学は太陽のようなものです。
世界全体を照らします。
けれど夜は訪れます。
夜に太陽を持ち歩くことはできません。
そのとき、人はポケットの中の小さな火を探します。
迷信は、常夜灯のような存在です。
部屋全体を照らすほど強くはありません。
しかし足元を少しだけ照らし、「もう一歩いける」と思わせてくれます。
最後に

僕たちは愚かだから迷信を持つのではありません。
不安と一緒に生きているからこそ、迷信を持つのです。
ロケットを飛ばせる知性と、
お守りを握る心。
その両方が、同じ人間の中に同居しています。
そしておそらく、どちらも捨てる必要はありません。
ただ——
ポケットに入れておくこと。
人生のハンドルを渡さないこと。
科学で未来を照らしながら、
私たちは小さな火種も握って生きています。
それは弱さではなく、人間らしさなのだと思います。

