人間は昔から変わらない? 『進化した猿たち』が暴いた人類の正体

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

人間は進歩しているのでしょうか?

スマートフォンを持ち、AIを使い、宇宙探査まで行う時代です。
昔の人が見たら、まるで魔法のように思えるかもしれません。

しかし、その一方でSNSでは見栄を張り、他人と比較し、つまらないことで言い争い、時には自分でも驚くような失敗を繰り返します。

技術は進歩しているのに、人間そのものはあまり変わっていない

そんな少し意地悪で、しかし妙に納得してしまう視点から人間を観察したのが、星新一先生の『進化した猿たち』です。

星新一先生といえばショートショートの名手として知られています。
『ボッコちゃん』『おーい でてこーい』などを思い浮かべる人も多いでしょう。

ところが『進化した猿たち』は小説ではありません。
星新一先生が長年収集していたアメリカのヒトコマ漫画を題材に、人間という生き物の滑稽さや面白さを語ったエッセイ集なのです。

読んでいると何度も思います。
人類は本当に進化したのだろうか、と。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

主役は漫画ではなく人間

この本を読み始めると、最初は漫画を楽しんでいる気分になります。
しかし読み進めるうちに妙なことに気付きます。

漫画そのものより、人間の行動のほうが気になってくるのです。

囚人のジョーク。
泥棒のジョーク。
結婚生活のジョーク。
精神分析のジョーク。

どれも笑える話です。
ところが、その笑いの正体をよく見ると、人間の弱点ばかりが描かれています。

欲張り。
見栄っ張り。
怠け者。
自分勝手。

しかも厄介なことに、笑っているうちに自分の姿が見えてきます。

最初は、

「なんてバカな人たちなんだ」

と思っていたのに、

途中から、

「待てよ、これ自分もやっているな」

に変わるのです。

本当の意味で笑われているのは登場人物ではありません。

読者自身です。
そして、それが不思議と嫌な気分にならない。
批判ではなく観察として描かれているからこそ、笑いの後味が妙にやさしいのです。

まるで動物園でサルを見て笑っていたら、ガラスに映った自分の顔がサルに似ていたことに気付くような感覚です。

なぜ結婚ジョークは世界中に存在するのか?

本書には結婚をテーマにしたジョークも数多く登場します。

考えてみれば不思議です。
文化も言語も宗教も違う国々で、なぜ同じような結婚ジョークが生まれるのでしょうか?

答えは単純です。
人間はどこでも同じような事をしているからです。

結婚すると相手に期待します。

期待すると不満が生まれます。

不満が生まれると愚痴になります。

そして愚痴はジョークになります。

なんとも身も蓋もない話です。
しかし、これは夫婦に限りません。

会社でも同じです。
学校でも同じです。

人間関係がある場所には期待があり、期待がある場所には失望があり、失望がある場所には笑いが生まれます。

ジョークとは、人類が発明したストレス解消装置なのかもしれません。

人間観察としての異常な執着

この作品の背景には、並外れた収集癖があります。

長年にわたってアメリカのヒトコマ漫画を集め、それを分類し、比較し、人間の行動パターンとして読み解いていく。

その姿勢は、単なる趣味というより研究に近いものです。

昆虫学者が虫の標本を並べるように。
考古学者が土器の破片を分類するように。
ジョークという“軽い素材”を使いながら、そこに浮かび上がるのは驚くほど重たい事実です。

人間は、国が違っても、時代が違っても、驚くほど同じようなことで笑い、同じようなことで失敗しています。

環境が変わっても、役者が変わらない。
だからこそ、古いジョークが古びないのです。

50年前のジョークが今でも笑える理由

古いジョークには賞味期限があります。

流行語は消えます。
時事ネタは忘れられます。
社会情勢も変わります。

それなのに、この作品に収められた多くのジョークは今でも通用します。

理由は単純です。
ジョークの対象が変わらず『人間』そのものだからです。

昔の人はSNSをやっていませんでした。
しかし見栄は張っていました。

昔の人はスマホを持っていませんでした。
しかし他人と比較していました。

昔の人はフォロワー数を気にしていませんでした。
しかし世間体を気にしていました。

道具は変わる。
舞台は変わる。
でも演じている役者は同じ。

だから笑いの構造も変わらないのです。

もし未来人が現代を観察したら、

「二十一世紀の人類は、画面の中の知らない人間の評価を気にして眠れなくなっていた」

と記録するかもしれません。

それはもう、立派なブラックジョークです。

最後に

『進化した猿たち』が今も読み継がれる理由

この本は単なる漫画紹介ではありません。
単なるエッセイでもありません。
ましてや古いアメリカ文化の解説でもありません。

本質は、人間観察そのものです。

欲張りで。
見栄っ張りで。
ときどき間抜けで。
それでもどこか憎めない。

そんな人間という生き物の姿が、静かに積み重なっています。

読むたびに笑ってしまうのに、笑ったあとに少しだけ考えてしまうからではないでしょうか?

自分も同じではないか、と。

結局のところ、この本が描いているのは“遠い誰か”ではなく“目の前の自分”です。

時代が変わっても。
国が変わっても。
技術が進歩しても。
人間は相変わらず見栄を張り、欲をかき、ときどき失敗します。

だからジョークは古びません。
そして読み終えたあと、ふと鏡を見ると少しだけ不思議な気分になります。

そこに映っているのは現代人の顔です。
けれどその奥には、何万年も前からほとんど変わっていない、一匹の「進化した猿」が静かに息づいているのかもしれません。

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佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
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