西部開拓時代の駅馬車運転手とは? 荒野を走った“命がけの物流マン”の実態

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

西部劇の駅馬車って、なんかカッコいいですよね。
夕陽、荒野、拳銃、渋い男。
完全に「自由の象徴」です。

でも実態は違いました。

駅馬車の運転手、現代で言うと
「睡眠不足で山道を爆走する長距離トラック運転手」です。

しかも道路なし。
ナビなし。
サスペンションなし。

乗客「西部の旅って最高ですね! 風が気持ちいい!」
運転手「そうですね。昨日の客も同じこと言ってました」
乗客「旅好きだったんですねぇ」
運転手「ええ。揺れて馬車から落ちるまでは」
乗客「……」

さらに荷台には現金と郵便。
強盗も襲って来る。

もう“旅”じゃないんです。
西部版・24時間営業のブラック物流なんです。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

駅馬車は、西部を支える“血管”だった

19世紀半ばのアメリカ西部には、まだ鉄道が十分に整備されていませんでした。
都市と都市の距離は遠く、移動には何週間もかかります。

そんな時代に活躍したのが、長距離駅馬車会社でした。

中でも有名なのが、1858年に始まった Butterfield Overland Mail

この路線は、

  • セントルイス
  • テキサス
  • ニューメキシコ
  • カリフォルニア

を結び、約2,800マイルを25日で走破していました。

今なら飛行機で数時間の距離ですが、当時としては驚異的な速度です。

しかも道中には、

✔ 砂漠
✔ 山岳地帯
✔ 泥道
✔ 川渡り
✔ 崖道

が待っています。

会社「25日で郵便届けてね」
運転手「途中、砂漠あるんですが」
会社「うん」
運転手「崖道もあります」
会社「うん」
運転手「川、増水してます」
会社「で?」
運転手「……行きます」

駅馬車は止まれません。
なぜなら郵便輸送は国家契約で、遅延すると会社に罰金が科されたからです。

つまり駅馬車は、「走れる時に走る」仕事ではなく、何があっても走り続ける物流網だったのです。

運転手は“馬車職人”だった

駅馬車の運転手というと、「手綱を握っている人」くらいのイメージを持つかもしれません。

ですが、実際にはかなり高度な専門職でした。

彼らは4頭から6頭立ての馬を同時に操ります。
しかも馬にはそれぞれ性格があります。

  • 暴れやすい馬
  • 疲れやすい馬
  • 指示を聞かない馬

そうした馬たちを、長距離運行の中でコントロールし続けなければなりません。

乗客「馬って賢いんですねぇ。ちゃんと道わかってる」
運転手「右のはわかってます」
乗客「左は?」
運転手「昨日サボテンに突っ込んでました」
乗客「えっ」
運転手「今日は崖に興味あるみたいです」

乗客「えっえっ⁉」

さらに問題なのは“道”です。

当時の西部には、現代のような整備された道路はありません。
夜になれば視界は消え、雨が降れば泥沼になり、崖道では転落の危険もありました。

運転手は両手で複数の手綱を操作しながら、足でブレーキを扱っていたと言われています。

つまり彼らは、「馬を走らせる人」ではなく、
“荒野で大型車両を操る技術者”だったのです。

「眠りながら走った」という異常な労働環境

駅馬車運転手の過酷さを知るうえで欠かせないのが、マーク・トウェインの旅行記『Roughing It』です。
彼は西部を旅した際の体験を、かなり生々しく残しています。

その中で特に印象的なのが、運転手たちの労働環境でした。

病欠が出れば、別の運転手が代走する。
長距離を走ったあと、そのまま折り返し運行に入る。

休息はほとんどありません。

トウェインは、ある運転手についてこう書いています。

75マイル走ったあと、そのまま戻りの運行へ出発した。

しかも半分眠ったような状態で馬を操っていたというのです。

乗客「大丈夫なんですか?」
運転手「大丈夫です。馬がだいたい道を覚えてます」

もちろん多少の誇張はあるでしょう。
ですが、それでも当時の駅馬車運転手が「命を削る仕事」をしていたことは十分伝わってきます。

西部劇では格好よく描かれる駅馬車ですが、その裏側には極端な長時間労働がありました。

実は“乗客”もかなり地獄だった

駅馬車の旅にはロマンがあります。
ですが、実際の乗客体験はかなり悲惨でした。

マーク・トウェインは駅馬車を、

「車輪のついた揺りかご」

と表現しています。

ただし、それは快適という意味ではありません。

駅馬車は常に激しく揺れ続けます。

乗客「いや~、揺れますけど景色は最高ですね!」
ガタン!!
乗客「あっ、帽子飛んだ!」
運転手「大丈夫です。昨日の人は飛びました」
乗客「人!?」
運転手「帽子は戻ってきたんですけどねぇ」

しかも車内は、

  • 狭い
  • 埃だらけ
  • 暑い
  • 寒い
  • 身動きできない

という環境でした。

定員いっぱいの9人が乗れば、まさに“揺れる木箱”です。

道路事情が悪いため、衝撃は直接身体に伝わります。
現代のようなサスペンションもありません。

つまり当時の移動は、「快適さ」ではなく、“耐えること”に近かったのです。

現代人が乗ったらたぶん10分で、
「降ります。馬のほうが快適そうなんで」
って言い出すんじゃないでしょうか?

「riding shotgun」の語源になった世界

現代英語には、

“I’ll ride shotgun.”

という表現があります。

「助手席に乗る」という意味ですが、実はこれ、西部開拓時代の駅馬車文化が背景にあります。

当時、現金や金を積んだ駅馬車は強盗の標的でした。
そのため、運転手の隣には武装した警備役が座ることがありました。

彼らは散弾銃を持ち、周囲を警戒していたのです。
つまり “shotgun” とは、本当に散弾銃のことでした。

乗客「オレ、助手席乗ります! なんか特等席っぽいし!」
警備役「覚悟あるか?」
乗客「え?」
警備役「その席は“景色を見る席”じゃない」
乗客「じゃあ何の席なんです?」
警備役「最初に撃たれる席だ」

何気なく使っている日常英語にも、西部時代の暴力と緊張感が残っているわけです。

オシャレな英語だと思ってたら、だいぶ治安の悪い単語でした。

最後に

駅馬車運転手は「西部を動かした無名の労働者」だった

西部開拓時代というと、

  • ガンマン
  • 保安官
  • 無法者

ばかりが注目されます。

ですが、その裏で社会を支えていたのは、毎日決まった時間に荷物を運び、人を送り届けていた労働者たちでした。

駅馬車の運転手も、その一人です。

保安官「街を救ったのは俺だ」
ガンマン「伝説を作ったのは俺だ」
駅馬車運転手「その2人を毎週運んでたの俺だ」

彼らが走らなければ、

✔ 郵便が届かない
✔ 商売ができない
✔ 人が移動できない

西部社会そのものが機能しなくなります。

派手な英雄ではないかもしれません。
けれど、荒野を走り続けた彼らがいたからこそ、西部は“社会”として成立していました。

映画の中では一瞬で通り過ぎる駅馬車ですが、その荷台には、当時の暮らしそのものが積まれていたのです。

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