夜の交差点に現れる黒い影──それ、本当に不吉ですか?
はじめに

雨上がりの夜道。
アスファルトが街灯を反射し、その光を切るように黒い影が横切ります。
「うわ、黒猫だ」
声に出すほどではなくても、足が一瞬だけ止まる。
そんな経験、案外多いのではないでしょうか。
胸の奥に残るのは、理由の説明がつかない小さな違和感です。
猫は静かに歩いただけで、こちらに何かしたわけでもありません。
少し落ち着いて考えると、だいぶ不思議です。
毛の色が黒い。
それだけで、不幸を運ぶ役を割り当てられている。
冷静に見れば、論理はほぼ成り立っていません。
それでもこの感覚が消えないのは、人間が理屈より先に物語で世界を理解してしまう生き物だからでしょう。
黒猫が不吉だとされてきた理由は、猫の正体にあるのではなく、人間が長い時間をかけて語り継いできた話のほうにあります。
黒猫は不思議な存在なのではなく、不思議がられてきた存在なのです。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
黒いだけで疑われた時代

中世ヨーロッパ。
科学も医学もまだ手探りで、世界は説明のつかない出来事に満ちていました。
病気が流行り、作物が育たず、人が突然倒れる。
原因が分からない不幸に直面すると、人は考え込みます。
そしてだいたい途中で疲れて、「誰かのせい」という結論にたどり着きます。
人間の思考としては、かなり自然な流れです。
そこで視線が向けられたのが、黒猫でした。
夜の闇に溶け込む毛並み。暗い場所で光る目。
人の指示に従うでもなく、気まぐれに歩く姿。
「怪しい要素が揃っている」
今なら笑い話ですが、当時は十分すぎる理由でした。
ちょうどその頃、魔女と悪魔の物語が広く信じられていました。
魔女は悪魔と契約し、黒猫を使い魔として従えている。
あるいは、魔女そのものが黒猫に姿を変えている。
物語としては分かりやすく、犯人役もはっきりしています。
疑う側としては、とても扱いやすい設定です。
その結果、猫を飼っているだけで疑われ、猫と一緒に裁かれる。
そんな出来事が、特別ではなく起きていました。
黒猫からすれば、日常を過ごしていただけです。
それが突然、物語の悪役に配置されてしまった。
抗議が通る相手ではなかったこと自体が、不運の始まりだったと言えるでしょう。
恐怖は物語を信じやすくする

さらに追い打ちをかけたのが、ペストの流行です。
街には死が溢れ、恐怖が日常になりました。
人々は落ち着いて考える余裕を失い、まず身の安全を確保することで精一杯になります。
そんな状況で、
「黒猫が病を運んでいる」
「悪魔の使いが街を歩いている」
という話は、驚くほど早く広まりました。
理由は単純です。
そのほうが分かりやすいからです。
見えない病原菌より、目に見える黒猫のほうが疑いやすい。
説明が難しい現象ほど、物語は力を持ちます。
皮肉なことに、猫が大量に殺された結果、ネズミは勢いを増しました。
そしてペストは、ネズミのノミによって広がる病気でした。
「疑った相手が、違っていた」
今ならそう言えますが、当時の人々は事実よりも安心できる説明を必要としていました。
恐怖の中では、正しさより納得感が優先されます。
こうして黒猫は、出来事そのものよりも、語られた物語によって不吉の象徴になっていったのです。
黒猫が横切ったら運命が決まる?

黒猫に関する話がややこしいのは、この迷信が世界共通ではないところです。
たとえばアメリカの一部では、黒猫が前を横切ると不幸が起きると言われています。
横切っただけで評価が確定するあたり、なかなか厳しい世界です。
一方で、イギリスでは扱いがまるで違います。
イギリスでは黒猫は幸運の象徴で、結婚式の日に見かけると幸せな結婚生活が待っているとされてきました。
同じ行動をしても、結果が正反対になるのは興味深いところです。
では日本はどうかというと、話はもう少し複雑になります。
日本では古くから黒猫は魔除けや厄除けの象徴として受け止められてきました。
ただ、近代以降に西洋の迷信が入り込み、「夜道で黒猫を見ると縁起が悪い」と感じる人も増えていきます。
つまり日本では、黒猫は幸運と不安の両方を背負わされてきた存在だと言えます。
「同じ猫なのに、立場が安定しない」
ここにあるのは事実の食い違いではなく、時代と文化が重なった結果です。
黒猫が不吉なのではなく、その意味づけが、場所や時代によって何度も書き換えられてきただけなのです。
日本では黒猫は歓迎されていた

日本では、黒猫は早くから好意的に受け止められてきました。
平安時代、宇多天皇が黒猫を溺愛していたことは日記にも残っています。
夜目が利き、暗がりに強い存在として、黒は不安よりも守りの色と考えられていました。
江戸時代になると、招き猫は色ごとに役割を分担します。
黒は厄除け、白は福、金は財、赤は健康、ピンクは縁結び。
願いが増えた結果、担当が整理されたわけです。
その中で黒猫は一貫して「守る側」に置かれ、日本では避ける存在ではなく、頼られる存在として扱われてきました。
イメージだけが残る時代

現代では、魔女裁判もペストも歴史の教科書の中にあります。
それでも黒猫=不吉、という印象だけは、しぶとく残りました。
理由の一つが、ハロウィンです。
魔女、黒猫、夜。
この並びは分かりやすく、絵になります。
一度覚えたイメージは便利なので、毎年そのまま使われ続けます。
意味を細かく確認する必要もなく、見た瞬間に「そういう役」と分かるからです。
その結果、黒猫は変わっていないのに、役割だけが固定されました。
中身よりラベルが先に立つ。
人間の認識としては、わりとよくある話です。
最後に

黒猫は、ただそこにいる
現実の黒猫は、人懐こかったり、慎重だったり、甘えん坊だったりします。
特別な性格を付与されがちですが、やっていることは他の猫と大差ありません。
静かに歩き、気まぐれに立ち止まり、気が向けば膝に乗る。
その合間に、こちらの都合などお構いなしに去っていく。
役割を与えられている気配は、まったくありません。
黒猫が運んでいるのは不運ではなく、人間が積み重ねてきた想像です。
怖がったり、意味づけしたり、勝手に物語を足したりした、その結果が黒い毛並みに映っているだけです。
夜道で黒い影が横切ったとき、立ち止まる理由はありません。
それは予兆でも警告でもなく、長く語られてきた話が、たまたま通り過ぎただけなのです。

