なぜ人は集めてしまうのか?──「それ、何個目?」が止まらない脳の正体
はじめに

気づけば同じシリーズの本がずらり。
引き出しの奥には、今は使っていないのに、なぜか処分できないガジェット。
「……これ、何個目だっけ?」
そう思った瞬間に、
頭のどこかで小さな声が聞こえる。
――でも、これは必要なやつだよね?
そう、おなじみの自己弁護です。
そして数分後、指はなぜか限定モデルを検索中。

不思議ですよね。
誰に頼まれたわけでもないのに、
なぜ人はここまで熱心に集めてしまうのか。
理性は「もう十分」と言っている。
一方で心は「あと少しだけ」と囁いてくる。
この静かな綱引き、 実は多くの人が、かなり日常的に体験しています。
棚や引き出しを前にして、
ほんの一瞬でも思考が止まったことがあるなら、
もうこの話とは無関係ではありません。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
その集め方、全部同じに見えていませんか?

ここで一度、深呼吸を。
というのも、世の中にはよく似ているけれど、実はまったく性格の違う行動が二つあります。
- 収集(コレクション)
- ためこみ(ホーディング)
名前は似ていますが、中身は別物。
双子だと思って近づいたら、片方は他人だった、くらい違います。
収集というのは、
「テーマがある」
「だいたい整理されている」
「日常生活はちゃんと回っている」
この三拍子がそろっている状態。

一方のホーディングは、
「捨てられない」
「空間が侵食される」
「本人も周囲もだんだん困ってくる」
状態です。
たとえば、
フィギュアを棚に並べてニヤニヤしている → 収集
廊下が段ボールで塞がれて横歩きになる → それは話し合いの時間です
同じ“モノが多い”でも、意味はまるで違う。
ここで扱うのは前者。
生活を壊さず、むしろちょっと楽しくしてくれる、
健全で、人間くさくて、少し可笑しい収集癖の話です。
世界が不安定だから、棚だけは整えたい

■理由①
正直な話、人生はだいたい思い通りになりません。
仕事は予定どおり進まないし、
人間関係は気を遣いすぎて肩が凝るし、
将来に至っては、もはや天気予報より当たりません。
そんな毎日の中で、人はふと考えます。
「せめて、自分で選んで並べた“この棚の中”だけは、自分の思い通りになってほしい」
そう考えたとき、人が自然と手を伸ばすのが、収集です。
カードを番号順に並べる。
シリーズ本を刊行順にそろえる。
色別、年代別、作家別にきっちり分ける。

この瞬間、あなたは棚の中の最高責任者。
部下(結局自分)は文句を言わず、配置換えにも素直に応じてくれます。
現実世界がどれだけ荒れていても、
少なくとも本棚だけは平和。
研究でも、先の見えない状況に置かれるほど、人は「秩序だったまとまり」を作ることで安心しやすくなると言われています。
仕事が荒れている時期に限って、なぜか収納術に詳しくなる。
それは、現実のすべてを立て直せなくても、 「自分が手を入れられる範囲」だけは整えておきたい、という感覚に近いのではないでしょうか。
小さく整えて、気持ちを持ち直す——そんな自己防衛なのです。
コレクションは「自分は何者か」を勝手に語り出す

■理由②
あなたのコレクションを、誰かに見せたことはありますか?
その瞬間、なぜか始まるのが、頼まれてもいない解説タイム。
- 「これは初期のやつで…」
- 「この作家のこの時期が一番で…」
- 「これ、実は限定で…」
別に聞かれていないのに、口が止まらない。
途中でふと我に返って、
(……あ、今、ちょっと語り過ぎているな)
と内心で焦ったことがある人も多いはずです。
でも、あれは悪癖ではありません。

収集というのは、
「自分はこういうものに惹かれて、こういう基準で選ぶ人間です」
という自己紹介が、勝手に外に漏れ出ている状態。
名刺には書けないし、
履歴書にもまず載らない。
それでも、
あなたがどんなものに時間を使い、
どんなところで立ち止まり、
どこに価値を感じてきたかは、
だいたい棚を見れば分かってしまう。
モノそのものより、
そこに至るまでの知識や時間、そして妙に譲れないこだわり。
コレクションは、
自分という人物像が、無言で保存されている場所なのかもしれません。
「あと一個足りない」が脳にずっと話しかけてくる

■理由③
シリーズが途中で止まっている。
色が一つだけそろっていない。
……この状態で、平常心を保てる人っていますか?
たぶんいません。
いたら、その人は人生でも相当割り切れるタイプです。
人の脳は、「未完成」や「中途半端」を見つけると、
それを放置できないようにできています。
しかも厄介なことに、
終わっていないものは、
頭の中でずっと存在感を主張してくる。
まるで、
「まだ終わってないよ?」
「このままで本当にいいの?」
と、静かに話しかけてくる感じ。

だから人は、
「そろえたら、きっとスッキリするはず」
と自分に言い聞かせて、集め続ける。
研究でも、収集行動は
「終わった」
「完了した」
という感覚を得るための行為だと説明されています。
つまり、
集めているのはモノそのものではなく、
もう気にしなくていい、という許可なのかもしれません。
買った瞬間から、なぜか価値が爆上がりする現象

■理由④
店では、あれだけ迷っていたのに。
「うーん、高いな……本当に必要かな……」
と、あんなに冷静だったはずなのに、
家に持ち帰った瞬間、なぜかこう思っている。
「……いや、これは良い買い物だった」
誰に聞かせているわけでもないのに、
自分に向かって熱弁をふるい始める。
「質もいいし」
「長く使えるし」
「そもそも安かった気がするし」
——最後の一文、だいぶ怪しいですね。
でも安心してください。
それ、あなたの判断力が急に劣化したわけではありません。

人の脳は、
いったん自分のものになった瞬間、その価値を盛って評価するようにできています。
だから、
- 手放すのが惜しくなる
- 売ると損した気がする
- 「まだ使う可能性」を全力で探し始める
という流れが、いとも簡単に完成する。
収集が増えるほど、
「これは資産」
「これは必要経費」
「これは思い出」
と、頭の中の会計処理はどんどん甘くなっていきます。
意志が弱いのではありません。
脳が、全力で自分を正当化しにきているだけです。
(なお、財布はその間ずっと無言です。かわいそうに)
懐かしさは、だいたいの不安に効く

■理由⑤
昔のゲーム。
学生時代によく聴いていた音楽。
子どもの頃に集めていたもの。
それを手に取った瞬間、
一気に時間が巻き戻ることがあります。

……いや、正確に言うと、
時間は戻っていない。
戻っているのは自分のテンションだけです。
「あ、この感じ。大丈夫だった頃の自分だ」
別に問題が解決したわけでもないのに、
なぜか一息つける。
収集は、
過去の安心できた場所への非常口みたいなもの。
今がちょっとしんどくても、 一瞬だけ 「まあ、なんとかなるか」 と思わせてくれます。

懐かしさには、不安を和らげ、
気持ちを落ち着かせる働きがあるとも言われています。
つまり、
「懐かしいものを集める」のは、
ただの思い出浸り
……ではなく、
自分の機嫌を自分で取り直すための手段でもあるのです。
そう考えると、
あの棚、
意外と優秀なメンタルサポート役なのかもしれません。
じゃあ、どこからが黄色信号?

ここまで読んで、
「うんうん、分かる分かる」と頷いていた方。
……一応、確認だけしておきましょう。
自分に向かって、
「私は大丈夫、私は健全」と言い聞かせつつ、
そっとチェックしてみてください。
- 生活スペースはちゃんと機能しているか
(床が見えないけど、まあ慣れてる、は要注意) - モノの量より「捨てられなさ」が主役になっていないか
(使う予定はある。いつか、たぶん、きっと) - 人間関係や仕事に、影響が出始めていないか
(約束より先に荷物が増えていないか)
ここで
「……あ、ちょっと引っかかるかも」
と一瞬でも思えたなら、まだ大丈夫。

本当に危ないときは、
引っかかりすらしません。
収集は楽しい。
間違いなく楽しい。
ただし、
人生の主役まで任せる必要はありません。
棚は脇役。
あなたは主演。
——配役、間違えなければ、それで十分です。
最後に

収集癖は、人間が人間である証拠
人は不安だから集める。
……らしい。
自分を知りたいから集める。
……そう言われると、ちょっと格好いい。
終わらせたいから集める。
……分かる。途中で止まってるの、気持ち悪い。
懐かしさに助けられたいから集める。
……これはもう、否定しません。
理由を並べてみると、
収集癖って、ずいぶん人間くさい。
完璧でもないし、合理的でもない。
でもその分、ちゃんと感情で動いている。
だから収集癖は、
欠点というより、人間らしさの副産物なのだと思います。

もし今日、棚を眺めて
「まあ、悪くないな」と思えたなら、
それは浪費ではありません。
それは、
迷ったり、悩んだり、楽しんだりしながら、
ここまで生きてきた証拠です。
——さて、次に集めるのは何でしょう。
……と考え始めている時点で、
もうだいぶ楽しんでいます。
安心してください。
それもまた、人間らしさです。

