日常のふしぎ
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「趣味は?」と聞かれて3秒フリーズするあなたへ——大人が“無趣味”だと思い込む本当の話

佐藤直哉(Naoya sato-)
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はじめに

「趣味は何ですか?」

この質問、人生で何回聞かれましたか。

飲み会、面談、プロフィール欄、マッチングアプリ。
なぜか人生の節目という節目に必ず現れる、逃げ場のない質問。
もはや親戚のおじさん並みに遭遇率が高い。

しかも厄介なのは、答えを間違えてもゲームオーバーにはならないことです。

ならないのに、地味に心だけ削ってくる。

そして多くの大人は、この瞬間に一瞬フリーズします。

(あ、来た)
(例のやつだ)
(どうする? 無難にいく? それとも個性を出す?)

脳内会議、即時開催。

「えーっと……特にない、かな?」

口から出るのは、なぜか一番守りに入った回答。

でも心の中はフル稼働です。

(いや待て。映画も観る。動画も観る。毎晩SNSも欠かさず巡回してる。なのに“趣味”って言い切る勇気が出ないのはなぜだ。誰に止められてるわけでもないのに)

このモヤモヤ、実はかなり多数派。

博報堂生活総合研究所の調査によると、「自分は無趣味である」と答えた人は22.5%。

4〜5人に1人が、誰に命じられたわけでもないのに、自分で自分に「無趣味です」という判定を下しています。

——多い。思っていたより、ずっと多い。

※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。

大人の「趣味がない」は“ゼロ”ではなく“名乗れない”

まず結論から言います。

大人の「趣味がない」は、実際に何もしていない状態ではありません。

むしろ、ちゃんとやってます。驚くほどやってます。

・動画を見る
・SNSを眺める
・カフェでぼーっとする
・休日は寝て回復に全振りする

普通です。
現代人として模範的です。
テストに出たら満点です。

それなのに「趣味は?」と聞かれた瞬間、急に口が重くなるのはなぜか。

理由はシンプルで、多くの人の頭の中に、こんな“理想の趣味像”が住み着いているからです。

趣味とは
・長く続いていて
・そこそこ詳しくて
・できれば上達していて
・人に話しても「へぇ」と言われるもの

要するに「ちゃんとしていて、少し尊敬されるやつ」

この基準で自己採点を始めると、こうなります。

「動画? いや、それは暇つぶしでしょ」
「SNS? それを趣味って言う勇気はまだない」

——誰も聞いてないのに、脳内で勝手に却下大会が始まる。

その結果、

「自分、趣味ないんですよね」

という結論に着地する。

……いや待って。

それ、趣味がないんじゃなくて、
趣味として“名乗る許可”を自分に出してないだけでは?

——趣味のハードル、オリンピック種目にする予定でもあります?

余暇が“趣味”より先に「回復」に吸われる現実

次に、大人の時間の使われ方を見てみましょう。

総務省の社会生活基本調査によると、2016年から2021年にかけて増えたのは、「趣味の時間」よりも「休養・くつろぎ」「睡眠」でした。

つまりどういうことか。

理想の休日プランでは、

「よし、今日は何か新しいことを始めよう!」

となるはずが、現実ではこうなります。

「……とりあえず横になるか」

開始5分でゴールに到達。

でもこれは、決して怠けではありません。

パナソニックの調査でも、ひとり時間に求めるものの大多数は
「癒し」
「リラックス」
などの回復系。

つまり大人の余暇は、

趣味の時間というより、
故障寸前の自分をだましだまし使い続けるためのメンテナンス時間です。

それなのに私たちは、ソファで横になりながらふとこう思う。

「今日、何もしてないな……」

——いやいや、してます。

全力で生き延びるための調整作業を。

スマホですら毎日充電しないと文句を言うのに、
人間だけノーメンテで走り続けられると思う方が、どう考えても無茶です。

「休むこと」への罪悪感が、趣味を後ろめたくする

ここで登場するのが、日本社会おなじみの感情です。

そう、罪悪感

JOB総研の調査によると、「休むことに罪悪感がある理由」の1位は「同僚に迷惑をかけるから」

出ました。
伝家の宝刀・同僚

別に誰かに直接言われたわけでもないのに、
頭の中で勝手に

「今、あの人が大変かもしれない」
「自分だけ楽しいことしていいんだっけ?」

と、想像上の会議が始まります。

その結果、思考はこう変換される。

休む=申し訳ない

楽しむ=もっと申し訳ない

趣味=なんか後ろめたい

……誰に謝ってるんでしょうか。

そして最終的に、こう言う。

「いや、趣味とか特にないですね(※本当はある)」

自分の楽しみを、自分で打ち消す。

名乗らなければ、責められない。

でもその代わり、
自分が何を好きだったのかも、
少しずつ分からなくなっていく。

——冷静に考えると、かなり切ない話です。

余暇の“ライト化”で、趣味が趣味に見えなくなった

現代の余暇は、昔よりずっと手軽です。

動画、外食、旅行、ゲーム。

指を動かせば娯楽が出てくる。
財布を出せば楽しみが始まる。
準備運動?
いりません。
道具?
ほぼ不要です。

レジャー白書などを見ても、参加者が多い余暇活動の上位は、こうした「消費型」のものがずらりと並びます。

どれも楽しい。
普通に楽しい。
むしろよくできている。

それなのに、なぜか本人の中では評価が低い。

「ただ消費してるだけだしな……」

……いや待ってください。

楽しい時間を過ごしているのに、なぜ急に反省会が始まるんでしょうか。

原因はだいたいこの思い込みです。

趣味=努力
趣味=上達
趣味=仲間

この三点セットを無意識に抱えていると、

「気軽に楽しめるもの」ほど、
「これは趣味じゃない判定」を食らいやすくなります。

でも冷静に考えてみてください。

楽しむために始めたはずのものが、
いつの間にか修行扱いされている。

——趣味って、そんなストイックな契約でしたっけ?

趣味にまで「成果」を求める大人たち

大人になると、なぜかあらゆるものに成果を求め始めます。

仕事なら分かる。
お金が発生してますから。
勉強も分かる。
試験がありますから。

でも、なぜか趣味にまで同じ目線を向けてしまう。

・上手くならないと意味がない
・続かないなら趣味じゃない
・人に語れないなら持ってないのと同じ

……誰が決めたんでしょう、この厳しすぎる採点基準。

そもそも趣味って、
「役に立たなくても許される数少ない時間」
だったはずです。

成果ゼロ。
評価なし。
比較対象もなし。

それなのに、いつの間にか自分の中で始まる。

「で、どこまで上達したの?」
「それ、将来何かに役立つの?」

——知らないです。
趣味ですから。

成果がなくても、
誰にも褒められなくても、

「ちょっと楽しい」

それだけで成立する。

にもかかわらず、
趣味の時間にまで成果報告を求め始める自分。

……いや、あなた誰ですか。
上司ですか。

——趣味にまで目標管理シートを持ち込まなくていいんです。

「趣味がない」を抜ける、現実的な抜け道

じゃあどうすればいいのか。

ここで突然、人生が変わる魔法の答えが出てきたら気持ちいいんですが、
残念ながらそんなものはありません。

答えは、とても地味です。

小さく、浅く、短く。

派手さゼロ。
映え要素なし。
インタビューで語りにくいやつ。

・週15分
・1ヶ月だけ
・上達しなくてOK
・誰にも言わなくていい

この条件を見て、
「それ、趣味って言えるの?」
と思った方。

……はい、その反応こそが今回のテーマです。

趣味は、最初から

・人生を変えなくていい
・特技にならなくていい
・一生続かなくていい

「やってみて、合わなかったらやめる」

これで十分。
むしろ健全です。

趣味は履歴書に書くための項目ではありません。

自分の機嫌を、ほんの少しだけ良くするための、
誰にも提出しなくていい私用メモみたいなものです。

おわりに

趣味は、名乗る前に楽しめばいい

大人が「趣味がない」と感じるのは、

時間が足りないからでも、
才能が枯れたからでも、
急に人間としての彩りが失われたからでもありません。

——そんな大事件、起きてません。

ただ単に、
疲れを取ることを優先して、
休むことにどこか後ろめたさを感じて、
趣味のハードルを自分で自分の頭上まで引き上げているだけ。

セルフ縛りプレイ、開催中です。

だから、もう少し雑でいい。

趣味は、
上達しなくてもいい。
続かなくてもいい。
人に説明できなくてもいい。

今日、5分だけやってみて、

「あ、これ意外と嫌いじゃないな」

と思えたら、それで十分。

それを翌週やらなくても、誰も困りません。
世界も崩壊しません。

——名乗れるかどうかは、
暇になった未来の自分に丸投げしておきましょう。

ABOUT ME
佐藤直哉(Naoya sato-)
佐藤直哉(Naoya sato-)
ブロガー/小説家
文章を書くことを楽しむ自称・小説家です。
歴史や文化、日々の暮らしに潜む雑学を題材に、小噺を発信しています。
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