「それ、本当にスポーツじゃないの?」──eスポーツが突きつけた、意外と厄介な問い
はじめに

「eスポーツって、スポーツなの?」
この質問を聞いた瞬間、なぜか頭の中で一拍置いてしまう。
反射的に「違うでしょ」と言えそうなのに、なぜか言い切れない。
逆に「スポーツだと思うよ」と言ってみても、その先の説明で急に足が止まる。
要するに、みんな答えを持っているつもりで、実は持っていない。
――いや、正確に言うと、持っているのは答えじゃなくて「感じ」です。
なぜそんなことが起きるのか。
理由は単純で、「スポーツ」という言葉が、思っている以上に便利で、思っている以上に雑に使われてきたから。
多くの人が思い浮かべるスポーツ像は、だいたい決まっています。
- 体を大きく動かす
- 汗をかく
- 体育や部活の記憶と結びついている
ここまでは、ほぼ満場一致。

でも、このイメージを絶対の基準にした途端、話は静かに壊れ始めます。
射撃は?
アーチェリーは?
チェスはどうして追い出されていない?
ほとんど走らない競技が、長年なにも言われず「スポーツ」の席に座っている現実を前にすると、
「汗をかくかどうか」という判定方法が、いかに心もとないかが見えてくる。
そうなると、当然この疑問に戻ってくる。
なぜeスポーツだけが、ここまで疑われ続けているのか。
ここで揉めているのは、ゲームが好きか嫌いかではありません。
本当に問われているのは、
私たちが“スポーツ”という言葉を、どれくらい深く考えずに使ってきたのかという点です。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
スポーツの定義は、思っているよりずっと柔らかい

ここで一度、「スポーツって何?」を真面目に確認してみます。
真面目に、です。
安心してください。
すぐに真面目じゃなくなります。
まず、日本の制度から。
日本のスポーツ基本法では、スポーツを「運動競技その他の身体活動」と定義しています。
この中で一番仕事をしているのが、「その他の身体活動」という部分。
便利すぎて、もはや魔法の言葉です。
走らなくてもいい。
跳ばなくてもいい。
極端な話、ゼーハー言っていなくてもいい。
意訳すると、だいたいこんな感じでしょう。
「まあまあ、身体を使ってたら細かいこと言わないから」
法律がこのテンションで書かれているの、ちょっと意外です。

一方で、学術や哲学の世界に目を向けると、急に空気が引き締まります。
スポーツは、
- 身体技能を使った競争
- ルールに基づいて制度化されたゲーム
として整理されてきました。
ここで重要なのは、「身体技能」と「制度」のセット。
つまりスポーツの正体は、
筋肉がどれだけあるかではなく、技能を競わせる仕組みが社会に用意されているか。
スポーツは、筋肉だけでは成立しません。
ルールがあり、運営があり、観る側がいる。
そこまで含めて、ようやくスポーツっぽくなる。
(念のため言っておきますが、筋肉は今でも重要です。筋肉は裏切らない。ただし、それだけでは足りないのです。)
eスポーツは本当に「体を使っていない」のか

「でもeスポーツって、体を動かしてないよね?」
はい、来ました。
ここで必ず出てくる、あのお決まりの一言です。
たしかに、走らない。
跳ばない。
転ばない。
競技中の姿勢は、ほぼユニフォーム姿で椅子に座ったままです。
……うん、見た目だけ切り取ると、体育の授業感はかなり薄い。
でも、そのまま話を終わらせるには、ちょっと早い。
ここで一度、あなたの指先を見てください。
今この文章をスクロールしている、その指です。
今日だけで何回動かしましたか。
数えていない?
ですよね。
数えられないくらい動いているから。

eスポーツで求められるのは、
- 一瞬の反応速度
- 画面全体を把握する視野
- 正確すぎる入力
- 同時に考える力
要するに、「考えながら動く」を極端に突き詰めた競技です。
プロの世界では、1分間に数百回の操作が当たり前。
これはもう、
「動いていない」のではなく、
「動かし方が派手じゃないだけ」と言ったほうが正確でしょう。
射撃やアーチェリーも、見た目は静かです。
それでも誰も「体を使ってないからスポーツじゃない」とは言わない。
つまり論点はここ。
- 大きく動く身体だけを“身体”と呼ぶのか
- 細かく制御する動きも“身体活動”に含めるのか
この線の引き方で、eスポーツの立ち位置は大きく変わります。
汗の量でスポーツを判定するのは、さすがに乱暴。
(汗をかかない競技にも、汗だくのゲーマーにも、どちらにも失礼です。)
スポーツかどうかは「誰がそう扱うか」で決まる

ここから話は、急に現実的になります。
というのも、スポーツというものは、意外とロマンではなく運用で決まるからです。
スポーツとは何か。
理想を言えば、定義で決めたい。
哲学で殴り合いたい。
辞書を盾にしたい。
でも現実は、こうです。
社会がスポーツとして扱い始めた瞬間、それはスポーツになる。
身もふたもないですが、本当。
どれだけ定義論で揉めても、
大会が採用し、連盟が承認し、行政が制度に組み込んだら、もう後戻りはしません。
「いや自分は認めてないんだけど」と言っても、
世界はだいたいその人を置いて進みます。

国際スポーツ界でも、一応それっぽい判断基準は用意されています。
- 勝ち負けがはっきりすること
- 危なすぎないこと
- 特定の企業だけが全部握らないこと
- サイコロを振って決まらないこと
要するに、
みんなが納得しやすい形になっているかどうか。
これはつまり、スポーツが
価値観の集合体
であるという話ではないでしょうか。
公平であること。
安全であること。
競技として成立していること。
人類が好きな言葉が、ここでもきれいに並んでいます。
(守るのは難しい。でも掲げるのは大好き。)
アジア競技大会が示した、いちばん現実的な答え

ここで一度、定義論は横に置きます。
辞書も哲学も、ちょっと休憩。
なぜなら、スポーツの世界ではときどき、いちばん強い答えを出すのが大会そのものだからです。
eスポーツの立場が大きく変わった瞬間があります。
それが、アジア競技大会での正式競技採用でした。
2020年のOCA総会で承認され、2023年の杭州大会では、eスポーツはついにメダル競技として実施されます。
デモでも参考展示でもなく、ちゃんと表彰台あり。
そして2026年の愛知・名古屋大会でも、この流れは続く予定です。

ここで勘違いしやすいのですが、
「ゲームが急に立派になった」わけではありません。
選手がある朝起きたら、スポーツ力が100ポイント増えていた、という話でもない。
起きたのは、
制度が『ここから先はスポーツ扱いします』と線を引いたという事実です。
スポーツの定義は、
辞書で静かに決まるより先に、
大会のプログラムで、わりと大胆に更新されたりします。
現実はいつも、
「議論 → 決断 → あとから説明」
だいたいこの順番で進みます。
IOCが迷っている事実が、いちばん正直

さて、ここで「じゃあオリンピックはどうなの?」という声が聞こえてきます。
当然です。
スポーツ界の最終試験官みたいな存在ですから。
ただし、ここで期待してはいけません。
IOC(国際オリンピック委員会)は、白か黒かをスパッと出してくれるタイプではない。
むしろその逆で、
めちゃくちゃ慎重に悩み続けることで有名です。
eスポーツについても同じ。
「ようこそ!」と無条件で迎え入れる気はない。
かといって「来るな」と門を閉めるほど単純でもない。

Olympic Virtual Series(現実の競技をデジタル化した“仮想競技大会”)や、Olympic Esports Series(IOCが公式に主催したeスポーツ大会)を通じて、
まずはシミュレーション系を中心に、そっと距離を測っています。
なぜそんな回りくどいことをするのか。
理由は山ほどあります。
暴力表現、競技の公平性、運営ルールを誰が決めて誰が責任を持つのかというガバナンスの問題、そして「その競技そのものが特定のゲーム会社に所有されている」というeスポーツ特有の構造の問題。
どれも、オリンピックの理念と一発で噛み合う話ではありません。
だからIOCは、
受け入れつつ、同時に作り替えるという、一番しんどい選択をしています。
この「決めきれなさ」は、優柔不断ではなく、
スポーツという概念が今まさに揺れている証拠。
IOCが迷っている。
それ自体が、eスポーツがもう無視できない存在になったことを示しています。
日本でも、制度と数字が静かに追いついてきた

ここで視点を、日本に戻します。
というのも、日本はわりと分かりやすい。
感情論より先に、制度と数字が静かに並び始めるタイプの国だからです。
まず制度。
JeSU(日本eスポーツ連合)は2018年に設立され、2024年にはJOCの準加盟団体として承認されました。
これ、地味ですがかなり大きいです。

「様子見してたけど、もう無視はできないよね」という、
大人の世界特有の前向きサインです。
行政の提言文書にも、eスポーツは普通に登場するようになりました。
もはや括弧付きでも、注釈付きでもありません。
次に数字。
- 2023年の国内市場規模:約147億円
- 国内ファン数:856万人
こうして並べると急に現実味が出ます。
この人数、
「ちょっとした県なら全員ファン」という規模です。
人は、面白くないものに時間もお金も使わない。
これは希望でも理想でもなく、
いちばん正直で、いちばん冷酷な社会の意思表示です。
それでも残る違和感

……と、ここまで読むと、
「じゃあもうスポーツでいいじゃん。解決!」
と言いたくなるところですが、残念ながら話はそう簡単には終わりません。
ここからが、ちょっと面倒で、でも目をそらせない部分です。
eスポーツには、まだいくつかの“引っかかり”が残っています。
- 競技のルールや存続が、ゲーム会社の判断に大きく左右されること
- 健康や依存の問題から、どうしても目を背けられないこと
これは揚げ足取りではありません。
むしろ、本気でスポーツとして扱おうとした瞬間に、必ず出てくる論点です。
野球にもドーピング問題があり、サッカーにも審判問題がある。
完璧なスポーツなんて、最初から存在しません。
eスポーツだけが特別にダメなのではなく、
ようやく「他のスポーツと同じ土俵」に上がってきただけ。
だから今、議論は次の段階に進んでいます。
「スポーツかどうか」ではなく、
「どんなスポーツとして育てていくのか」
ここまで来て初めて、
eスポーツは“議論されるに値する存在”になった、と言えるのかもしれません。
eスポーツは、スポーツという言葉を揺さぶっている

「eスポーツはスポーツなのか?」
ここまで読んできて、
「結局どっちなんだよ」と思った人もいるはずです。
はい、そのツッコミ。
ごもっともです。
でも実は、その迷いこそが、この話のいちばん大事なポイント。
というのも、この問いには、
今すぐ白黒をつけられる“正解”が存在しないからです。
むしろ重要なのは、
この問いが、しつこく残り続けているという事実です。

なぜ消えないのか。
それは、スポーツという言葉そのものが、
時代ごとに意味を更新しながら使われてきたから。
かつては、走ることも、跳ぶことも、
「そんなの競技になるの?」と言われていたのです。
今では当たり前でも、
最初から当たり前だったスポーツなんて、一つもありません。
eスポーツは、その更新作業を
私たちの目の前で、しかもかなり分かりやすくやっている存在です。
だから答えが出ない。
でも、それでいい。
私たちは今、
スポーツという言葉が書き換えられている途中のページを読んでいるのです。
最後に

ここまで来て、ようやく一周します。
スポーツをスポーツたらしめるもの。
それは筋肉量でも、発汗量でも、使っている道具の値段でもありません。
結局のところ、
同じルールを前にして、勝ち負けに一喜一憂し、知らない誰かの動きに本気で感情を持っていかれる
――その、人間の性質そのものです。
eスポーツを見て、思わず声が出たことがあるなら。
「今のうまいな」とか、「それは無理だろ」とか、
心の中でツッコミを入れたことがあるなら。
その時点で、あなたはもう観客です。

そして観客がいる競技は、だいたいスポーツです。
「スポーツって、何だったっけ?」
この問いに、はっきりした答えを出せないままでも構いません。
むしろ、その答えを探し続けてしまう感じこそが、
スポーツという文化の正体なのかもしれません。
今日もどこかで、誰かが本気で勝負をしていて、
誰かがそれを本気で見ています。
(操作するのは選手。僕は相変わらず、観戦しながら静かにお菓子を取っています。)

