『あと1戦だけ』が止まらない理由──ゲーム依存は本当に“意志の弱さ”の問題なのか?
はじめに

その“あと1戦”は、あなたのせいじゃない(かもしれない)
「あと1戦だけ」
この言葉ほど、信用できない日本語があるでしょうか。
カップラーメンの「3分」と同じくらい、だいたい守られません。(みなさんは守ってますか?……あっそうですか……)
気づけば時計は深夜2時。
翌朝の会議?
知らない子ですね。
それでも翌日、ニュースやSNSで目にするのはこんな言葉です。
「最近の若者はゲーム依存でダメだ」

……いや待ってください。
それ、本当に「ゲーム」や「若者」のせいでしょうか?
ここで少し立ち止まって考えてみましょう。
なぜ「ゲーム依存」という言葉は、ここまで強いトーンで語られるようになったのか。
鍵になるのは大きく二つ。
ひとつは、私たちの脳がどう反応しているのかという話。
もうひとつは、社会やメディアがこの問題をどう語り、どう不安を膨らませてきたのかという話です。
肩肘張る必要はありません。
日常の「あるある」から、順番にほどいていきましょう。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
そもそも“ゲーム依存”って何?

■時間の長さは問題じゃない
まず大前提から。
ゲームを長時間やる=ゲーム依存ではありません。
世界保健機関(WHO)は、ICD-11という国際的な診断基準で「ゲーム障害」を定義していますが、ポイントは「時間」ではなく、
- 自分でコントロールできない
- 生活よりゲームを優先してしまう
- 問題が起きてもやめられない
という“生活に支障が出ているかどうか”です。

極端に言えば、
- 仕事も家庭も健康も問題なし
- 空き時間にゲームを満喫
なら、それはただの「趣味がゲームな人」
逆に、
- 学校や仕事に行けない
- 人間関係が壊れる
- 睡眠も食事も崩壊
ここまでいくと、初めて「依存」という言葉が顔を出します。
米国精神医学会(APA)も、インターネット・ゲーム障害をまだ研究段階としつつ、「生活機能の破綻」を重視しています。
つまり、問題なのはゲームそのものではなく、“制御不能な状態”なのです。
なぜ脳はゲームをやめさせてくれないのか

■脳科学編①
さて、ここから脳の話です。
難しそう? 大丈夫。
要するに、脳はこう思っています。
「ゲーム、めっちゃ効率よくて楽しいじゃん」
報酬系という“ご褒美工場”

ゲームをすると、脳の中では「報酬系」と呼ばれる回路が動きます。
勝利演出、レベルアップ音、ガチャのキラキラ──
これらは全部、
「はい! ご褒美です!」
と脳にドーパミンを配るスイッチ。
しかもゲームは、
- すぐ結果が出る
- 失敗してもすぐ再挑戦できる
- 成果が数字や演出で見える
という、脳にとって理想的すぎる環境を提供します。
現実世界?
努力しても評価されないことの方が多いですよね。
上司も光りませんしね。
「やめたい脳」と「やりたい脳」の内戦

■脳科学編②
さらに厄介なのが、脳内で起きている“内戦”です。
- 「もう寝ろ」と言う理性的な脳(前頭前野)
- 「今日もログインボーナスが貰えるぞ」と囁く報酬脳
この綱引き、疲れている夜ほど前者が弱くなります。
前頭前野は、
- 我慢
- 計画
- 判断
を担当する部署。
残業続きでヘトヘトのとき、この部署は人手不足。

すると、
「まあいいか、今日くらい」
が発動します。
これが「意志が弱い」の正体。
……というと身もフタもないですが、実際には脳の仕組みとして起きやすい現象なのです。
ただし重要な注意点。
脳画像研究は「原因」ではなく「傾向」を示すもの。
ゲームで脳が変わったのか、もともと特性があったのか──
ここは今も議論の最中です。
なぜ社会はゲームを“悪者”にしたがるのか

■メディア論編①
ここで視点を変えましょう。
なぜ「ゲーム依存」は、こんなにもニュースになりやすいのか。
答えはシンプル。
新しいメディアは、だいたい悪者にされるから。
マンガ、テレビ、ロック音楽、インターネット。
全部、登場した瞬間にこう言われました。
「若者がダメになる!」
これは社会学で「モラル・パニック」と呼ばれる現象。

特に、
- 子ども
- 教育
- 時間
が絡むと、大人社会は急に不安になります。
ゲームは、その三点セットを完璧に満たしてしまった。
まるで“疑われるために生まれてきたメディア”です。
時間=お金の世界で起きていること

■メディア論編②
もう一つ重要なのが、「注意経済」という考え方。
現代のデジタルサービスは、
「どれだけ長く滞在してもらえるか」
が勝負。
ゲームも例外ではありません。
- 毎日ログインでボーナス
- 期間限定イベント
- 今逃すと二度と手に入らないアイテム
これ、冷静に見ると結構あざとい。

でも責めきれないのも事実。
なぜなら、それがビジネスとして合理的だから。
問題は、
「個人の意志」だけに責任を押し付けると、この構造が見えなくなることです。
なぜ条例や裁判にまで発展したのか

■日本の場合
日本では、ゲーム依存がついに「条例」になりました。
香川県のネット・ゲーム依存症対策条例。
賛否両論、そしてなんと訴訟まで起きました。
これは、日本社会が
- 子どもの問題
- 家庭の問題
- 教育の問題
を、どう扱うかで揺れている証拠でもあります。

医療機関では相談マニュアルが整備され、支援の動きも進んでいます。
「問題視=即・禁止」ではなく、
「どう付き合うか」を模索している段階、と言えるでしょう。
最後に

ゲーム依存は“三者共犯”で考えると見えてくる
ゲーム依存が問題視される理由は、単純ではありません。
- 脳の仕組み(やめにくい設計)
- サービス設計(時間を奪う構造)
- 社会の不安(新メディアへの恐れ)
この三つが絡み合っています。
誰か一人を悪者にすると、話は簡単になります。
でも、それでは本質を見失う。
ゲームは、楽しい。
だからこそ、強い。
「楽しさ」とどう距離を取るか。

その問いは、ゲームに限らず、
スマホ、SNS、動画配信──
現代を生きる私たち全員に向けられています。
さて、この記事を読み終えたあなた。
このあと、スマホを置きますか?
それとも、
「あと1記事だけ」読んでしまいますか。
……大丈夫。
その選択をした脳のことを、
今日から少しだけ、理解しているはずです。

