敵はなぜ右からやってくるのか?――80年代ゲームの秘密と、人間の“右向き脳”の不思議――
はじめに

あなたの脳は“右からの敵”を予測している
コントローラーを握っていたあの頃、画面の右端から敵が現れた瞬間に、反射的にジャンプボタンを押していませんでしたか?
敵が左から出てくると、なんだか裏切られた気分になって
――「おい、そっちかよ!」と突っ込みを入れた人も多いはずです。
実はこの「敵は右から来る」という定番、偶然でも伝統でもありません。
そこには人間の脳のクセと文化、そしてハードウェアの事情が絶妙に絡み合っているのです。
※本記事は筆者個人の感想をもとにエンターテインメント目的で制作されています。
右に進む方が作りやすかった⁉

■80年代のハードウェア事情
1980年代のゲーム開発は、今とは比べものにならないほどシンプルでした。
メモリも描画性能も限界ギリギリ。
そんな時代に、画面を動かす最も効率的な方法が「背景を左に流してプレイヤーが右に進むように見せる」手法でした。

そこで問題になったのが左端の処理です。
負の座標やスクロール境界の扱いが厄介で、右方向に進行させるほうが圧倒的に簡単でした。
その結果、
「右へ進む=正義」
「右から敵が来る=自然」
という図式が生まれたのです。

つまり、“右から敵が来る”のはデザイナーの気まぐれではなく、ファミコンとアーケード基板の仕様が生んだ必然。
技術が文化を決めた好例といえます。
『スクランブル』(1981)や『スーパーマリオブラザーズ』(1985)の成功によって、この“右進行の法則”は完全に定着しました。
横スクロールの文化は、すでにこの時代に形作られていたのです。
読字方向が生む“右進行の脳内マップ”

■心理的には……
ここからは心理学的な話です。
私たちは文字を読むとき、左から右へ視線を動かします。(縦書きは別として……)
この読字方向のクセが、無意識のうちに「進む=右」という感覚を刷り込んでいるのです。
心理学の研究によれば、多くの人は左から右への動きを「前進」や「自然」と感じ、逆に右から左の動きを「逆行」や「不安定」と捉える傾向があるといいます。
つまり、横スクロールの右進行は私たちの文化と認知にぴったり合った“快い体験”なのです。

右から来る敵は、脳が「前方から迫るもの」として自然に受け止めやすい。
まるで人間の脳構造を理解して設計されたようなデザインなのです。
一方で、右から左に文字を読む文化圏(アラビア文字など)では、逆向きのゲーム進行のほうが直感的に感じられるそうです。
文化がプレイヤーの“方向感覚”すら変えるというのは、興味深い話ですね。
映像文法と“右向きヒーロー”の誕生

■映画でも使われる技法
映画や漫画でも、左から右に進むキャラクターは「前向き」や「英雄的」な印象を与えます。
逆に右から左に進む動きは「不穏」や「逆境」「敵の登場」として描かれることが多いのです。(あくまで多いだけで絶対ではありませんが……)
この映像文法を、ゲームはそのまま受け継いだのです。
だからこそ、敵が右から現れるのは理にかなっており、ヒーローは左から右へ進み、悪役はその進路を塞ぐのです
――まるで映画のワンシーンのように。

さらに、私たちの視線の動きにはZ型やF型パターンと呼ばれる傾向があり、左上から右下に流れるのが自然です。
そこから考えても、右から敵が登場する構図は、プレイヤーの視線の流れを邪魔しない、非常に合理的な演出なのです。
マリオが教えてくれた“右に進む未来”

■あの有名ゲームでも……
任天堂の開発者インタビューによれば、2Dマリオの基本ルールは「右へ進む」こと。
だからこそ、あえて左に少し戻ると“隠しアイテム”が配置されていたりするのです。
プレイヤーは右進行を前提として理解しているため、左への寄り道に“ご褒美”を感じるのです。
「右=未来」
「左=過去」
という感覚も、私たちの時間感覚と重なります。
右に進むことは未来へ進むこと。
敵が右から現れるのは、これからの未来に立ちはだかる試練を象徴しているともいえるでしょう。
……なんだか、急に人生訓のようになってきましたね。
右から来ない敵は“違和感”になる?

■例外もあります
もちろん、すべてのゲームが右進行ではありません。
『メトロイド』のように左右を行き来する作品もあります。
しかし、右進行に慣れたプレイヤーの脳は、「左から敵が来る」とそれだけで違和感を覚えます。
まるで道を歩いていて、信号が横から飛び出してきたような気分でしょう。
一度“右進行=正しい”と学習してしまうと、脳はそれを基準に世界を判断します。
だからこそ、右から敵が現れると私たちは妙な安心感すら覚えるのです。
……いや、敵が出てきて安心して戦うってどういう感情なんでしょうね。
最後に

右を向く、その理由と未来
敵キャラが右から出てくるのは、ハードウェアの制約(技術)から始まり、読字方向のクセ(心理)で補強され、映画文法や文化(芸術)で完成した、三段ロケットのような構造のゲーム文法といえます。
つまり、「右から出てくる敵」は、人間と機械と文化が生み出した、見事な共同作品なのです。
そして、もし次に横スクロールの敵が右から現れたら、少しだけ敬意を払ってみてください。
彼らは単なる雑魚敵ではなく、1980年代の技術者の知恵と、人間の脳のクセ、そして文化の積み重ねが形にした“歴史の証人”なのです。
右から現れるその敵は、いつだって私たちの“未来”からやってきます。
だから今日も、私たちは右へ進むのです
――希望と、ジャンプボタンを信じて。

